1957年、イヴ・アレグレ監督作品「女が事件にからむ時」で映画デビューすると、1960年には、ルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」で完全犯罪をもくろむ青年トム・リプリーを演じて、一躍スターダムに駆け上がり、以降、類まれなる美貌と確かな演技力で次々と映画に出演して、世界中の人々を魅了した、アラン・ドロン(Alain Delon)さん。

今回は、そんなアラン・ドロンさんの、美し過ぎる若い頃の画像と、デビューからの経歴を時系列でまとめてみました。

アラン・ドロン

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アラン・ドロンが20代の頃は「女が事件にからむ時」で俳優デビューすると「太陽がいっぱい」で大ブレイク

22歳の時に女優のブリジッド・オーベールにカンヌに行くように勧められていた

アラン・ドロンさんは、1956年、21歳の時には、パリで、職を転々とし、チンピラのような暮らしをしていたそうですが、何をしていいか分からず、途方に暮れていたそうです。

そんな中、1957年夏、女優のブリジッド・オーベールさんと知り合い、交際するようになると、ある日のこと、ブリジッド・オーベールさんに、

カンヌで映画祭が開催されるから歩いてみたら。あなたほどの美貌なら、監督の誰かから声が掛かるかもしれない

と、言われたそうです。

22歳の時にカンヌでアメリカの有名エージェントにスカウトされるも断っていた

このことがきかっけとなり、アラン・ドロンさんは、カンヌを歩いてみると、ハリウッドの有名エージェント、ヘンリー・ウィルスンさんに、

君はいい体をしている

と、スカウトされたそうで、

スクリーンテストを受けると合格し、アメリカでの成功に太鼓判を押され、英語の習得を条件に7年間の契約を持ちかけられたのだそうです。

しかし、アラン・ドロンさんは、

私はフランス人なので、まずはフランスで勝負をしたい

と、この誘いを断ったのだそうです。

22歳の時に映画「女が事件にからむ時」で俳優デビュー

その後、アラン・ドロンさんは、1957年、22歳の時、映画「女が事件にからむ時」で俳優デビューを果たすと、
以降、

  • 1957年(22歳)「黙って抱いて」
  • 1958年(23歳)「恋ひとすじに」
  • 1958年(23歳)「お嬢さん、お手やわらかに!」
  • 1958年(23歳)「学生たちの道」

と、立て続けに映画に出演しています。

「黙って抱いて」に出演するアラン・ドロン
「黙って抱いて」より。

25歳の時に映画「太陽がいっぱい」でスターダムに駆け上がる

そして、1960年、25歳の時、映画「太陽がいっぱい」で主人公のリプリー役を演じると、この映画は世界的な大ヒットを記録し、アラン・ドロンさんも、一躍、スターダムに駆け上がったのでした。

ちなみに、アラン・ドロンさんは、当初、主人公・リプリーの友人で、富豪の息子・フィリップ役を演じることになっていたそうですが、

リプリーこそ自分にふさわしい役だと思い、ルネ・クレマン監督の邸宅に招待された際、プロデューサーたちの前で、リプリーを演じたいと直談判し、リプリー役を勝ち取ったのだそうです。

「太陽がいっぱい」に出演するアラン・ドロン
「太陽がいっぱい」より。

25歳~28歳の時に「若者のすべて」「太陽はひとりぼっち」「山猫」などヨーロッパの巨匠たちの作品に次々と出演

アラン・ドロンさんは、その後も、

  • 1960年(25歳)イタリアの巨匠・ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「若者のすべて」
  • 1962年(27歳)同じくイタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品「太陽はひとりぼっち」
  • 1963年(28歳)再びルキノ・ヴィスコンティ監督と組んだ「山猫」

など、ヨーロッパの巨匠たちの作品に次々と出演し、絶頂期を迎えています。

「山猫」
「山猫」より。クラウディア・カルディナーレさんとアラン・ドロンさん

29歳の時には来日もしていた

そんな凄まじい人気を誇っていたアラン・ドロンさんは、1964年、29歳の時には、来日も果たしています。

アラン・ドロンが30代の頃はボディガードが射殺体で発見され犯人扱いされるも「太陽が知っている」「栗色のマッドレー」「もういちど愛して」などのヒットで再ブレイク

33歳の時にボディガードが射殺体で発見され犯人扱いされていた

こうして人気絶頂だったアラン・ドロンさんですが、1968年10月、33歳の時には、ボディーガードのステファン・マルコヴィッチさんが射殺体で発見されたことで、すっかり犯人扱いされ、俳優生命の危機に直面しています。

33歳~38歳の時にはプライベートを連想させる作品に次々と出演し巻き返しを図っていた

ボディーガードが死体で発見されたことで、犯人扱いされ、大きくイメージダウンしてしまったアラン・ドロンさんですが、

  • 1968年(33歳)「太陽が知っている」
  • 1970年(35歳)「栗色のマッドレー」
  • 1971年(36歳)「もういちど愛して」

など、プライベートを連想させるような作品に次々と出演してヒットを連発させると、

  • 1969年(34歳)「シシリアン」
  • 1970年(35歳)「ボルサリーノ」
  • 1971年(36歳)「帰らざる夜明け」
  • 1972年(37歳)「リスボン特急」」

など、プライベートとは無関係の映画も立て続けにヒットするようになり、

アラン・ドロンさんは、見事巻き返しを図り、再び映画界の頂点に返り咲いたのでした。

「栗色のマッドレー」
「栗色のマッドレー」より。

ちなみに、アラン・ドロンさんは、1973年、38歳の時には、映画「ショック療法」で、オールヌードになっており、捨て身の演技も披露しています。

36歳の時には日本でレナウンの紳士服「ダーバン」のCMに出演

また、アラン・ドロンさんは、1971年、36歳の時には、レナウンの紳士服「ダーバン」のCMにも出演しています。

アラン・ドロンが40代の頃は「アラン・ドロンのゾロ」「パリの灯は遠く」に出演するほか「危険なささやき」で監督デビューも

アラン・ドロンさんは、その後も、

  • 1975年(40歳)「アラン・ドロンのゾロ」
  • 1976年(41歳)「パリの灯は遠く」
  • 1977年(42歳)「友よ静かに死ね」
  • 1979年(44歳)「エアポート’80」

などの映画に出演しています。

「アラン・ドロンのゾロ」
「アラン・ドロンのゾロ」より。

また、1981年、46歳の時には、映画「危険なささやき」で、主演も兼ね、監督デビューも果たしています。

「危険なささやき」出演時のアラン・ドロン
「危険なささやき」より。

アラン・ドロンは1960年代~1980年代の日本での人気が凄まじかった

そんなアラン・ドロンさんは、1960年代(20代)~1980年代(40代)は、日本での人気も凄まじく、1980年代~1990年代には、アラン・ドロンさんと一緒にご飯を食べるツアーなどもあったといいます。

アラン・ドロンの50代~60代前半は「カサノヴァ最後の恋」「ハーフ・ア・チャンス」ほか

そして、アラン・ドロンさんは、

  • 1985年(50歳)「復讐のビッグガン」
  • 1988年(53歳)「アラン・ドロン/私刑警察」
  • 1992年(57歳)「カサノヴァ最後の恋」
  • 1995年(60歳)「百一夜」
  • 1998年(63歳)「ハーフ・ア・チャンス」

などの映画にも出演しています。

「カサノヴァ最後の恋」出演時のアラン・ドロンとエルザ
「カサノヴァ最後の恋」より。エルザさんとアラン・ドロンさん。

アラン・ドロンは50代後半から一線を退くも68歳の時にテレビシリーズ「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」で復帰していた

アラン・ドロンさんは、1990年代後半(50代後半)からは一線を退いていたのですが、2003年(68歳)~2004年(69歳)の時には、テレビシリーズ「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」で復帰しています。

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アラン・ドロンは82歳で芸能界引退すると83歳で名誉パルムドール賞受賞も、84歳の時には脳卒中で手術し、88歳で他界

そんなアラン・ドロンさんも、2017年、82歳の時には、芸能界から引退を表明しています。

そして、2019年5月30日、83歳の時には、映画界への長年の功績が讚えられ、「第72回カンヌ国際映画祭」で「名誉パルムドール(Honorary Palme d’or)」を受賞しています。

「名誉パルムドール」を受賞するアラン・ドロン
「名誉パルムドール」を受賞するアラン・ドロンさん。

しかし、アラン・ドロンさんは、それから3ヶ月も経たない2019年8月8日、脳卒中を起こして手術を受けていたことが報じられると、

(幸い、手術は成功し、退院後は、スイスで療養を続けていたそうです)

2024年8月18日、88歳で他界されています。

お読みいただきありがとうございました

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