大学卒業後、ハワイアンバンド「高木智之とハロナ・セレナ―ダス」でウクレレ奏者としてデビューすると、1964年には、「ザ・ドリフターズ」に加入し、1969年には、「ザ・ドリフターズ」主演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」で、コメディアンとして人気を博した、高木ブー(たかぎ ぶー)さん。

そんな高木ブーさんは、15歳の誕生日にお兄さんからウクレレをプレゼントされたことがきっかけで、ウクレレに夢中になると、高校時代は、ウクレレに明け暮れる毎日を送っていたそうで、小学校の同窓会では友達2人とバンドを組んでみんなの前で演奏するほか、何人かでバンドを組んで演奏会やダンスパーティーで演奏するなど精力的に活動していたといいます。

今回は、高木ブーさんの、生い立ち(幼少期から高校時代まで)をご紹介します。

高木ブー

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高木ブーのプロフィール

高木ブーさんは、1933年3月8日生まれ、
東京府東京市豊島区巣鴨(現・東京都豊島区巣鴨)生まれ、
千葉県東葛飾郡柏町(現・柏市)育ち、

身長160センチ、

血液型はO型、

学歴は、
京北学園中学校
⇒京北高校
⇒中央大学経済学部卒業

趣味は、クレー射撃、

ちなみに、 本名は、高木友之助(たかぎ とものすけ)で、当初は、高木智之(たかぎ ともゆき)の芸名で活動していたそうです。

高木ブーの幼少期は裕福な家庭で何不自由なく育っていた

高木ブーさんは、「金門商会」という水道やガスのメーターを作る会社に勤めるお父さんのもと、6人兄弟(兄3人、姉2人)の末っ子として、東京の巣鴨で誕生すると、裕福な家庭で何不自由なく育ったそうです。

高木ブーが4~5歳の時には父親と毎晩差し向かいで晩酌(ごっこ)をしていた

また、高木ブーさんは、お兄さんやお姉さんと年が離れていたため、家族みんなにかわいがられて育ったそうですが、兄弟と一緒に遊んだ記憶はなく、両親と過ごすことが多かったそうで、

高木ブーさんが、4~5歳の時には、お父さんが夕方に会社から帰って来くると、毎晩、差し向かいで晩酌(ごっこ)をしていたそうです。

(高木ブーさんはもちろん、お酒ではなく、水だったそうです)

高木ブーが幼い頃は休みの度に両親に映画館に連れて行ってもらっていた

また、高木ブーさんが幼い頃は、戦時中だったそうですが、それにもかかわらず、休みの度に両親が映画館に連れて行ってくれ、楽しい時を過ごすことができたそうです。

高木ブーは12歳の時に「東京大空襲」を体験していた

そんな高木ブーさんですが、1945年、12歳の時には、太平洋戦争の戦局が厳しくなっていき、米戦略爆撃機「B29」がしょっちゅう飛ぶようになったそうで、

同年4月13日には、「東京大空襲」を体験したそうですが、命からがら、なんとか生き延びることができたのだそうです。

高木ブーは15歳の誕生日に兄からウクレレをプレゼントしてもらっていた

ただ、「東京大空襲」により、巣鴨の家は燃えてなくなってしまったそうで、高木ブーさんは、東京を離れ、母方の実家がある千葉県・柏に疎開し、終戦後もしばらくその地で過ごしたそうです。

そんな中、15歳の誕生日には、8歳年上のお兄さんがウクレレをプレゼントしてくれたそうで、最初はコードすら分からなかったそうですが、レコードを聴きながら独学で勉強したのだそうです。

高木ブーは高校1年生の時に夏祭りのステージでウクレレを演奏していた

そして、高校1年生の夏には、ウクレレを持っていることを理由にハワイアンバンドに誘われると、千葉県・柏の夏祭りのステージで、ハワイアンバンドの一員として演奏したそうですが、

このことがきっかけとなり、楽器を演奏する楽しさに目覚め、すっかり、ウクレレに夢中になったのだそうです。

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高木ブーは高校生時代はバンドを組んでウクレレを演奏していた

こうして、高木ブーさんは高校生時代は、ウクレレに明け暮れる毎日を送っていたそうで、小学校の同窓会では友達2人とバンドを組んでみんなの前で演奏するほか、何人かでバンドを組んで演奏会やダンスパーティーで演奏するなど精力的に活動したのだそうです。

高校生の時の高木ブー
高校生の時の高木ブーさん。

ちなみに、高木ブーさんは、ウクレレに出会う前は、強くなりたくて、ボクシングを習っていたそうですが、ウクレレに出会った後は、2年ほどでボクシングは辞めたそうです。

「【画像】高木ブーの若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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