1948年、「鐘の鳴る丘」で舞台デビューすると、以降、俳優、タレント、パーソナリティとして、70年以上も芸能界で活躍を続けている、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さん。
今回は、そんな毒蝮三太夫さんの若い頃から現在までの活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「毒蝮三太夫の生い立ちは?幼少期は?子役で中1から全国巡業していた!」からの続き
毒蝮三太夫が10代の時は映画監督を目指し助監督の試験を受けるも不合格だった
1951年、15歳の時に、「青い真珠」で映画デビューし、以降、子役として活動するようになった毒蝮三太夫さんですが、高校を卒業する頃には、映画監督になりたいと思うようになったそうで、
児童劇団を辞め、日本大学芸術学部映画学科に進学すると、演出を勉強し、助監督の試験を受けたそうですが・・・
すべて不合格だったことから、そのまま俳優を続けることにしたそうです。
中学1年の時、舞台「鐘の鳴る丘」のオーディションを受ける友だちに頼まれ、付き添いで同行すると、オーディションでは、台本を読まされ、自分だけ合格して、公演のため全国を巡業したという、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さん …
毒蝮三太夫が20代の時は「坊っちゃん」でテレビドラマデビューするも脇役のチンピラ役ばかりだった
そんな毒蝮三太夫さんは、テレビ黎明期だった1957年、21歳の時には、「坊っちゃん」でテレビドラマデビューも果たすと、以降、テレビドラマにも出演するようになったそうですが、当初は、脇役のチンピラの役ばかりだったそうです。
毒蝮三太夫が30代の時は「ウルトラマン」のアラシ隊員役、「ウルトラセブン」のフルハシ隊員役で子供たちの人気者になっていた
30歳の時に「ウルトラマン」の科学特捜隊アラシ隊員役で子供たちの人気者に
しかし、1966年、30歳の時には、空想特撮シリーズ「ウルトラマン」の科学特捜隊・アラシ隊員役に抜擢されると、「ウルトラマン」は大ヒットし、毒蝮三太夫さんも、一躍、子供たちの人気者となったのでした。
友達が受ける舞台のオーディションに頼まれて付き添った際、自分も台本を読まされて、合格してしまい、その後、映画やテレビドラマに出演するようになったという、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、回ってくる役は端役ば …
「ウルトラマン」より。
31歳の時に「ウルトラセブン」の地球防衛軍フルハシ隊員役でさらなる人気を博していた
さらに、翌年の1967年、31歳の時には、続編「ウルトラセブン」でも、地球防衛軍フルハシ隊員役で出演すると、毒蝮三太夫さんは、さらなる人気を博しています。
1966年、空想特撮シリーズ「ウルトラマン」で、科学特捜隊・アラシ隊員役を演じ、たちまち子供たちの間で人気を博した、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんは、翌年の1967年、続編「ウルトラセブン」にも出演し、さらなる …
「ウルトラセブン」より。地球防衛軍のフルハシ隊員に扮する毒蝮三太夫さん。
ちなみに、毒蝮三太夫さんが「ウルトラマン」に出演し始めた当初は、子供番組は、一段低く見られていたことから、役者仲間にバカにされ、肩身の狭い思いをしていたそうですが、
50年以上経過した現在でも、たくさんの人が、「ウルトラマン」の科学特捜隊のアラシ隊員、「ウルトラセブン」の地球防衛軍のフルハシ隊員ともに、覚えてくれていることから、今では出演して良かったと思っているそうです。
31歳の時に「笑点」に座布団運びとして出演
そんな毒蝮三太夫さんですが、親友だった落語家の立川談志さんから、1961年頃から、7年もの間、俳優よりも話をする仕事が向いていると説得されていたそうで、
「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の大ヒットで、たちまち、子供たちの人気者になった、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんは、そんな中、親友で落語家の立川談志さんに誘われ、談志さんの演芸番組「笑点」に出演することにな …
最終的には出演のお膳立てまでしてもらい、1967年、31歳の時、「笑点」に座布団運びとして出演するようになったそうです。
親友で落語家の立川談志さんから、7年もの間、俳優よりも話をする仕事をするよう説得され、最終的には出演のお膳立てまでしてもらったことから、毒蝮三太(どくまむし さんだゆう)さんは「笑点」に出演するようになったといいます。 …
ただ、1969年、33歳の時には、「笑点」の視聴率が低迷してしまい、それに伴って、立川談志さんと新レギュラーのメンバーとの関係が悪化し、立川談志さんが降板となってしまうと、
毒蝮三太夫さんも、立川談志さんのいない「笑点」に残る気はなく、続いて、降板したのでした。
落語家の立川談志さんとは大学時代からの親友だったという、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、落語でブラックユーモアを持ち味としていた談志さんは、落語以外でもなかなかの皮肉屋だったそうで、毒蝮さんは、腹が立って …
落語家の立川談志さんとは、「オイ!」「オマエ」と呼び合うほど、気のおけない仲だったという、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、そんな談志さんも、2011年、他界されます。 「毒蝮三太夫は立川談志を駅のホームか …
33歳の時にラジオ番組「ミュージックプレゼント」でお年寄りを「ジジイ」「ババア」と呼び人気を博していた
その後、毒蝮三太夫さんは、一時、定期収入がなくなり、経済的に厳しい日々を過ごしたそうですが、1969年10月、ラジオ番組「ミュージックプレゼント」のパーソナリティに起用されると、以降、実に50年以上も続く人気番組となっています。
この番組は、毒蝮三太夫さんが街に繰り出して、スーパー、商店街、工場、会社、銭湯など様々な場所を訪ね歩き、その様子を生放送するというものなのですが、
初対面のお年寄りに対し、下町育ちの毒蝮三太夫さんが親しみを込めて、「ジジイ」「ババア」と呼び、その人情味あふれる様子が人気の秘訣なのだそうです。
1969年、落語家・立川談志さんが演芸番組「笑点」を降板することになり、共に降板した、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんは、一時は、定期収入がなくなり、厳しい日々を過ごしたそうですが、まもなく、ラジオ番組「ミュージ …
ただ、毒蝮三太夫さんがお年寄りを「ジジイ」「ババア」と呼ぶことに、当初は、ラジオ局(TBS)に抗議が殺到したといいます。
ラジオ番組「ミュージックプレゼント」では、お年寄りに対し、愛情を込めて「ジジイ」「ババア」と呼び、人気を博している、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、当初は、この呼び方に抗議が殺到したといいます。 「毒蝮三 …
「ミュージックプレゼント」より。
毒蝮三太夫は70歳の時に「腸閉塞」と「大腸ガン」を併発し、手術を受けていた
そんな毒蝮三太夫さんですが、2006年、70歳の時には、「腸閉塞」と「大腸ガン」を併発し、手術を受けると、手術は6時間以上もかかったそうですが、幸い、手術は成功し、現在は無事回復しています。
ラジオ番組「ミュージックプレゼント」などで、いつも元気な印象の、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんですが、70歳の時には、「腸閉塞」と「大腸ガン」を併発し、手術を受けていたといいます。 「毒蝮三太夫の愛妻家ぶりが凄 …
毒蝮三太夫の80代(現在)
85歳の時には映画「老後の資金がありません!」に出演
毒蝮三太夫さんは、2021年、85歳の時には、映画「老後の資金がありません!」で、主人公・後藤篤子(天海祐希さん)の友達・サツキ(柴田理恵さん)の父親で元警察官の頑固ジジイ・大泉健三役を演じているのですが、
劇中、篤子の姑役の草笛光子さんに向かって、「ババア」と言っており、気持ちよかったとコメントしています。
50年以上もパーソナリティを務めるラジオ番組「ミュージックプレゼント」では、高齢者を「ジジイ」「ババア」と呼び、人気を博している毒蝮さんですが、なんと、先輩女優の草笛光子さんにも(役の上とはいえ)「ババア」と言っていたそ …
「老後の資金がありません!」より。草笛光子さんと毒蝮三太夫さん。
85歳からはYouTuberとしても活動
そんな毒蝮三太夫さんは、2021年4月21日からは、Youtubeチャンネル「マムちゃんねる」を開設し、YouTuberとしても活動を開始しています。
1948年、「鐘の鳴る丘」で舞台デビューすると、以降、俳優、タレント、パーソナリティとして、70年以上も芸能界で活躍を続け、著書も出版している、毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さん。今回は、そんな毒蝮さんの出演作品( …