20代の頃は人気モデル、30代~40代の頃はタレントとして活躍するほか、自身の恋愛などプライベートを包み隠さず率直に発言するスタイルが賛否両論を巻き起こし、常に注目を集めてきた、梅宮アンナ(うめみや あんな)さん。

今回は、そんな梅宮アンナさんの、若い頃から現在までの活躍や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

梅宮アンナ

「梅宮アンナの生い立ちは?小6の時には教師からイジメを受けていた!」からの続き

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梅宮アンナが10代の時は「ねるとん紅鯨団」で有名になるほか「JJ」の専属モデルで人気を博していた

19歳の時にデビューすると女性ファッション雑誌「JJ」のモデルとして活躍

梅宮アンナさんは、19歳の時に街でスカウトされ、ラジオ番組でデビューすると、

その後、女性ファッション雑誌「JJ」の専属モデルとして頭角を現し、一躍、女性たちのファッションリーダー的な存在になると、「CLASSY」「ViVi」「VERY」などでも活躍します。

梅宮アンナ

梅宮アンナ

梅宮アンナ

10代の時にバラエティ番組「ねるとん紅鯨団」で一躍有名になっていた

また、梅宮アンナさんは、デビューする前から、たびたび、”梅宮辰夫の娘”として、バラエティ番組に出演しており、

とんねるずが司会を務めるバラエティ番組「ねるとん紅鯨団」の芸能人大会に出演して、一躍有名になっているのですが、

梅宮アンナさんは、2018年3月26日にとんねるずが司会を務めた「とんねるずのみなさんのおかげでした」が最終回を迎えると、とんねるずの石橋貴明さんとの思い出について、

デビューするちょっと前に出させていただいて、とにかく貴さん(石橋貴明さん)にすごくかわいがられて、『アンナちゃん、アンナちゃん』とすごくよく言ってくれて。本当に優しくしてくださった

と、語っています。

梅宮アンナは22歳頃にタレントの羽賀研二と交際し「ペヌード写真集」も出版していた

また、梅宮アンナさんは、1994年、22歳頃から、タレントの羽賀研二さんと交際を始めているのですが、

このことがワイドショーや女性週刊誌などで大きく取り上げられると、その後、2人でペアヌード写真集を出版し、”バカップル”として注目を集めます。

ただ、羽賀研二さんに巨額の借金や浮気が発覚したことで、梅宮アンナさんの父親である梅宮辰夫さんは、羽賀研二さんのことを”稀代のワル”と呼び、交際を猛反対。

そんな梅宮辰夫さんの発言もマスコミに大きく取り上げられ、報道は加熱したのでした。

(しかし、梅宮アンナさんと羽賀研二さんは、1999年、突然、破局しています)

梅宮アンナ
梅宮アンナさんと羽賀研二さん。

梅宮アンナが30代~40代の時はタレントとしてバラエティ番組などで活動

結婚&出産後は一時活動休止も30代~40代の時はタレントとしてバラエティ番組に出演

その後、梅宮アンナさんは、2001年、28歳の時に結婚し、29歳で出産すると、子育て中心だったのか、一時はテレビ出演が途絶えていたのですが、しばらくすると、再び、バラエティ番組やトーク番組に精力的に出演しています。

梅宮アンナ

父・梅宮辰夫の相続手続に奔走していた

梅宮アンナさんは、48歳の時には、お父さんの梅宮辰夫さんが他界されているのですが、悲しみに暮れる間もなく、相続の手続きに奔走していたことを、2020年7月、48歳の時に、雑誌のインタビューで明かしています。

梅宮アンナさんによると、お葬式の直後から、相続の手続きに必要な書類集めに奔走していたそうで、自宅のある東京と母親の梅宮クラウディアさんのいる神奈川県・真鶴を車で往復しながら、今日は役所、明日は銀行とあちこち駆け回っていたそうです。

(お母さんは、憔悴(しょうすい)して泣いてばかりだったほか、アメリカ出身のため、日本語の読み書きがあまり得意ではなかったことから、手続きはすべて梅宮アンナさんが担ったのだそうです)

ちなみに、梅宮辰夫さんは、戦前に旧満洲で生まれ、俳優になってからも住まいを転々としていたことから、戸籍謄本を集めるのが大変だったそうですが、以前、芸能人の家族史を徹底取材するNHKの番組「ファミリーヒストリー」へ出演していたことが役に立ち、無事、集めることができたのだそうです。

(戸籍謄本は、相続関係の書類として、亡くなった人が生まれてから死ぬまでの軌跡を連続して集めなければならないそうです)

父・梅宮辰夫が亡くなった直後は梅宮辰夫名義の銀行口座が凍結されお金に困っていた

また、相続の手続きが済んでいない間は、父・梅宮辰夫さん名義の銀行口座が凍結されていたことから、

  • お墓を建てるのも自分(梅宮アンナさん)の貯金から出さなければならなかった
  • 毎月の生活費を現金で渡されていたお母さんは、自分名義の口座を持っていなかったため、生活費を引き出すことができなかった
  • お母さんのクレジットカードが使えなくなっていた(引き落とし口座が凍結されるとカードも使えなくなるため)

など、亡くなった直後は、お金のことでとても困ったそうです。

ただ、幸い、梅宮アンナさんのお母さんのクラウディアさんには、梅宮辰夫さんの生命保険があり、手続後、比較的早く保険金がおりたため、ホッとしたそうです。

父・梅宮辰夫は遺言書を遺していなかった

また、梅宮辰夫さんは遺言書を遺していなかったそうで、梅宮アンナさんは、遺された家族が困らないように、元気なうちに遺言書を書く大切さを感じたといいます。

ちなみに、梅宮辰夫さんは、生前、美食家でお酒も大好きだったため、若い頃から糖尿病を患っていたほか、70歳を過ぎてからは6度のガン手術をしており、いつ何があるかわからない状態だったことから、

梅宮アンナさんと梅宮クラウディアさんは、2017年頃から、「箇条書きでもいいから何か書き残しておいて」と頼んでいたそうですが、

梅宮辰夫さんは、「わかったわかった」と言うばかりだったそうで、結局、遺してくれたのは自慢の料理のレシピをまとめたものだけだったそうです。

(梅宮辰夫さんがいよいよ体調が危うくなり、梅宮アンナさんが「病院の支払いもあるから、私の口座に少しお金を移してくれない?」と言った際には、梅宮辰夫さんは、鬼のような形相で、「俺の金を使う気かー!」と怒鳴ったといいます)

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梅宮アンナは52歳の時に乳ガンが判明していた

こうして、ようやく、父・梅宮辰夫さんの相続手続を済ませた梅宮アンナさんですが・・・

2024年8月13日、51歳の時には、乳ガンを患っていることを公表しています。

梅宮アンナさんによると、5月下旬に異変に気付き、6月中旬に検査を受けると、7月上旬にはガンが判明したそうで、現在は、治療を続けながら、仕事を続けているとのことです。

「梅宮アンナと羽賀研二の馴れ初めは?破局の理由は?」に続く

梅宮アンナ
ガン闘病中の梅宮アンナさん。

お読みいただきありがとうございました

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