早稲田大学第二文学部国文科入学とほぼ同時に詩作を始め、詩誌「歴程」、芸術総合誌「ユリイカ」などに詩を投稿するようになると、1963年には、詩集「青い部屋」で作家デビューし、1981年には、小説「小さな貴婦人」で芥川賞を受賞した、吉行理恵(よしゆき りえ)さん。
今回は、そんな吉行理恵さんの、生い立ち、若い頃からの作品(詩・小説)や経歴を、時系列でまとめてみました。
吉行理恵のプロフィール
吉行理恵さんは、1939年7月8日生まれ、
東京府(現・東京都)の出身、
学歴は、
女子学院中学校・高等学校
⇒早稲田大学第二文学部日本文学専修卒業
ちなみに、本名は、「吉行理恵子」で、苗字が「吉行」⇒「辻」⇒「吉行」と変遷しているのですが、これは、母親が再婚の際に養子縁組したからで、養父が死去後、再び「吉行」姓に戻したのだそうです。
また、
お父さんは、作家の吉行エイスケさん、
お母さんは、美容師の吉行あぐりさん、
お兄さんは、作家の吉行淳之介さん、
お姉さんは、女優の吉行和子さんという、
著名人一家です。
吉行理恵が幼い頃は感受性の強い子供だった
吉行理恵さんは、お父さんで作家の吉行エイスケさんとお母さんの吉行あぐりさんのもと、3人きょうだい(兄と姉が1人ずつ)の末っ子として誕生したそうですが、
幼い頃は、靴下の穴を見つけて、
靴下が痛いよう
と、泣いたり、
赤いポストが色褪せているのを見ると、
ポストが枯れている
と、悲しむなど、
とても感受性の強い子供だったそうです。
吉行理恵は20代の時に「青い部屋」の発刊で作家デビュー
24歳の時に「青い部屋」を自費出版で作家デビュー
そんな吉行理恵さんは、作家だったお父さんやお兄さんの影響を受け、早くから文筆活動を始めると、早稲田大学第二文学部国文科入学とほぼ同時に詩作を始め、詩誌「歴程」、芸術総合誌「ユリイカ」などに詩を投稿するようになったそうで、
大学卒業後も詩作を続け、1963年、24歳の時には、詩集「青い部屋」を自費出版し、作家デビューしたそうです。
25歳の時には女性詩人8人と同人誌「ゔぇが」を立ち上げていた
そして、1964年、25歳の時には、女性詩人の工藤直子さん、吉原幸子さんら8人とともに同人誌(詩誌)「ゔぇが」を立ち上げると、「ゔぇが」は、発足当時、24歳から32歳という若手女性詩人の集まりだったため、注目を集めたそうです。
(ただ、「ゔぇが」は、その後、それぞれの活動が忙しくなったため、1967年6月に第6号を出したのを最後に解散しています)
吉行理恵が30代の時は「男嫌い」「雲のいる空」ほか
吉行理恵さんは、その後も、
- 1970年(31歳)「吉行理恵詩集」
- 1973年(34歳)「記憶のなかに」
「記憶のなかに」 - 1975年(36歳)「男嫌い」
- 1977年(38歳)「雲のいる空」
と、次々と作品を発表しています。
ちなみに、1975年、36歳の時には、「針の穴」が芥川賞の候補に上がるも、受賞には至りませんでした。
吉行理恵は40代の時に「小さな貴婦人」で芥川賞を受賞
そして、40代の時には、
- 1981年(42歳)「小さな貴婦人」
- 1981年(42歳)「井戸の星」
- 1985年(46歳)「迷路の双子」
と、作品を発表すると、
ついに、1981年、42歳の時に発表した小説「小さな貴婦人」が、「第85回 芥川賞」を受賞しています。
「小さな貴婦人」
(お兄さんの吉行淳之介さんも、1954年に「芥川賞」を受賞しており、当時、兄妹で芥川賞を受賞したのは初めてのことだったそうです)
ちなみに、この「小さな貴婦人」は、女性と猫の生活を描いたものなのですが、吉行理恵さんは、大の猫好きだそうで、「私と猫のこと」というエッセイで、
口べたで、だから書いているようなところがあるんですが、猫のことなら、話せるかもしれません。猫のいいところは、まず、べたべたしないことです。だから、友だちになれます。
私は猫を抱いたりするのはあまり好きじゃないし、猫も触られるのはあまり好きじゃありません。猫でもまれにベターッとくっついてくるのがいるけど、それなりに理由はあるんでしょうが、ああいうのは困ります。
と、綴っています。
(吉行理恵さんは、美男美女と言われ、才能あふれる兄と姉を持ったことで、幼い頃からコンプレックスを抱えて生きていたそうで(実際に、幼い頃、周りの大人達から「美しくない」「愛想がない」などと、心無いことを言われていたそうです)、誰に対しても心を開くことができず、鬱々とした思いを抱えていたことから、話すことよりも、書くことでしか、自分の思いを伝えることができなかったのだそうです)
吉行理恵が50代の時は「黄色い猫」「猫の見る夢」
また、吉行理恵さんは、その後も、
- 1989年(50歳)「黄色い猫」
「黄色い猫」より。 - 1992年(52歳)「猫の見る夢」
「猫の見る夢」
を、発表しています。
吉行理恵の死因は甲状腺ガン
そんな吉行理恵さんですが、2006年5月4日、甲状腺ガンにより、66歳で他界されています。
ちなみに、お姉さんの吉行和子さんによると、当初、甲状腺ガンは手術をすれば大丈夫と言われていたそうですが、そのすぐ後に転移が見つかり、余命3ヶ月と宣告されたそうで、
血の気が引きました。どうしていいかわからなかった。母にもいえないまま、まもなく死ぬ妹と、いつまで生きるかわからない母の、それぞれの病院を毎日行き来していましたね
妹の死は本当にショックでした。私が子供のころから母は働いてばかりだし、兄とは年が離れていて、バラバラの家族だったんだけれど、妹とは幼少期からいつもふたりで、とても大切な存在だったから。先に逝(い)かれてしまったな、って
と、語っています。
(吉行理恵さんのガンが判明した時、ちょうど、お母さんの吉行あぐりさんは入退院を繰り返していた時期だったそうです)
吉行理恵は生涯独身で子供はいない
ちなみに、吉行理恵さんは、生涯独身で、一度も結婚しておらず、子供もいません。
吉行理恵さんは、大の猫好きだったということなので、猫がパートナーであり、子供の代わりだったのかもしれません。
吉行理恵の死後は「青い部屋」「湯ぶねに落ちた猫」
また、吉行理恵さんの死後には、
- 2007年「青い部屋」
- 2008年「湯ぶねに落ちた猫」
「湯ぶねに落ちた猫」より。
が、発表され、
2007年には、お母さんの吉行あぐりさんの編集による「吉行理恵レクイエム「青い部屋」」が出版されているのですが、
吉行あぐりさんは、この本の冒頭部分で、
理恵すみませんでした。母親はいつも子供によりそって、いろいろ世話をする人と理恵は思っていましたのに、私はまったく違いました
と、追悼文を寄せています。
15歳の時に作家の吉行エイスケさんと結婚すると、その後、美容院を開業し、32歳で吉行エイスケさんと死別後は、吉行淳之介さん、吉行和子さん、吉行理恵さんの3人の子供を女手ひとつで育て上げ、98歳まで現役美容師を続けたという …