1970年4月、「最後の世界/むなしいうた」でソロデビューすると、その後は、「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)での活動を経て、1971年、「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)を結成すると、
1973年9月にリリースした5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒットを記録し、その後も、「赤ちょうちん」「妹」を次々とヒットさせた、南こうせつ(みなみ こうせつ)さん。
今回は、そんな南こうせつさんの、若い頃からの代表曲(歌)や経歴をデビューから時系列でまとめてみました。
「南こうせつの生い立ちは?幼少期から歌が上手かった!高1の時はエレキに夢中!」からの続き
南こうせつは21歳の時に「最後の世界/むなしいうた」でレコードデビューするもさっぱりだった
高校時代からフォークグループ「ヤング・フォーク・スリー」を結成して活動していた南こうせつさんは、東京へ行って自分の実力を試したい、との思いから高校卒業後の進路を東京の大学に絞り、明治学院大学進学を口実に上京し、クラウンのオーディションを受けると、見事合格したそうで、
1970年4月、21歳の時には、「最後の世界 / むなしいうた」でレコードデビューを果たしたそうですが・・・
レコードを買ってくれたのは、親、親戚、友達だけで、全部で250枚ほどしか売れなかったそうです。
「最後の世界 / むなしいうた」
南こうせつは21歳の時に「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)を結成し「酔いどれかぐや姫」をリリースしていた
そんな南こうせつさんは、同年(1970年)には、大島三平(おおしま さんぺい)さん、森進一郎(もり しんいちろう)さんと、「南高節とかぐや姫」(第一期「かぐや姫」)を結成すると、同年10月25日、ファーストシングル「酔いどれかぐや姫」をリリースしています。
「酔いどれかぐや姫」
南こうせつは22歳の時に「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)を結成しシングル「青春」をリリースしていた
その後、南こうせつさんは、「南高節とかぐや姫」として、シングル3枚とアルバム1枚をリリースするのですが、こちらも、わずか1年で解散すると、
1971年、22歳の時には、カレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田パンダ(やまだ ぱんだ)さん、高校時代の後輩だった伊勢正三(いせ しょうぞう)さんと、フォークグループ「南こうせつとかぐや姫」(第二期「かぐや姫」)を結成し、同年9月25日には、シングル「青春」をリリースしています。
「青春」
南こうせつは24歳の時に5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒット
そして、1973年9月、24歳の時、5枚目のシングル「神田川」をリリースすると、青春の悲しみが若い世代の共感を呼び、160万枚を売り上げる大ヒットを記録しているのですが、
実は、この「神田川」は、もともとはアルバムの曲で、深夜ラジオから火がつき、シングルカットしてリリースしたものだったそうで、
(当時、アルバムからのシングルカットは異例のことだったそうです)
南こうせつさんは、
1973年、かぐや姫のLPレコードのB面に入っていた曲「神田川」を、僕が担当していたTBSラジオのパックインミュージックでオンエアしたところ、とんでもない数のリクエストハガキが来まして、レコード会社は慌ててシングルレコードにして発売しました。
あっという間にミリオンセラーになって、何が起こっているのやら、僕を取り巻く周りがザワザワしてびっくりしましたが、この歌が僕の一生を左右する歌となりました。皆さんには心から感謝します。
と、語っています。
南こうせつは24歳の時に「赤ちょうちん」が70万枚を売り上げる大ヒット
そんな南こうせつさんは、1974年1月10日にリリースした6枚目のシングル「赤ちょうちん」も、70万枚を売り上げる大ヒットとなっているのですが、
実は、南こうせつさんは、「神田川」の次のシングルは、「22才の別れ」か「なごり雪」を考えていたそうで、そんな中、すでに映画化が決まっていた「赤ちょうちん」をレコード会社が一方的にリリースすることに決めていたといいます。
「赤ちょうちん」
南こうせつは25歳の時に「妹」が60万枚を売り上げる大ヒット
また、南こうせつさんは、1974年5月20日、25歳の時にリリースした7枚目のシングル「妹」も、累計60万枚を売り上げる大ヒットとなっています。
「妹」
南こうせつが26歳の時に「かぐや姫」を解散した理由とは?
しかし、南こうせつさんは、人気絶頂だった1975年4月12日、26歳の時、「東京神田共立講堂」で行われたコンサートをもって「かぐや姫」を解散しています。
というのも、「赤ちょうちん」「妹」は、映画化に絡んでのリリースだったため、アーティストの意志が無視されることが続き、このことが、解散につながったそうで、
南こうせつさんは、「かぐや姫」解散の理由について、インタビューで、
神田川が売れ、僕らも「さあ、これから」って喜んでいて。神田川が映画化されるって聞いたとき、凄く名誉なことって喜んでいたんですけど…。
映画の内容や主演に関してなど、僕らに対して何の説明もなかったのです。その頃から、次に出すシングルとかも、僕たちの思うようにいかなくなってきて。それが、解散の原因です。
と、語っています。
南こうせつは29歳の時にソロ4枚目のシングル「夢一夜」がオリコンチャート3位を記録するヒット
「かぐや姫」解散後、南こうせつさんはソロに転向し、1976年2月10日、26歳の時、ソロ第一弾シングル「今日は雨」をリリースすると、
その後も、
- 1977年1月25日「愛する人へ」
- 1977年6月5日「夏の少女」
などがヒットし、
1978年10月25日、29歳の時にリリースした4枚目のシングル「夢一夜」は、オリコンチャート3位を記録するヒットとなっています。
「夢一夜」
南こうせつの現在(70代)は?32歳からのライフワーク「サマーピクニック」を終了していた
そんな南こうせつさんは、以降、ライブを中心に活動し、2024年も、
- 「南こうせつコンサートツアー2024~夜明けの風~」
- 「デビュー55周年記念 南こうせつコンサートツアー2024~神田川~」(4月~8月)
と、精力的にツアーを展開しています。
ただ、1981年、32歳の時から、ライフワークとして行っていた、地元・九州でのオールナイト野外コンサート「サマーピクニック」は、2024年9月23日(75歳)に開催された日本武道館での「南こうせつ ラストサマーピクニックin 武道館」でのコンサートを持って終了しています。
「南こうせつの妻・育代との馴れ初めは?子供は?息子は医学部?娘はカメラマン?」に続く
「南こうせつ ラストサマーピクニック in武道館」より。
1973年9月、24歳の時、「南こうせつとかぐや姫」(第2期かぐや姫)としてリリースした5枚目のシングル「神田川」が160万枚を売り上げる大ヒットを記録するほか、ソロになってからも、「今日は雨」「愛する人へ」「夏の少女」 …