太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、寺尾聰さんの「ルビーの指環」、KinKi Kidsの「硝子の少年」など、誰でも一度は聴いたことがあるだろうヒット曲を手掛け、これまで2100曲以上の作品を生み出し、シングル通算約5000万枚を売上げた、松本隆(まつもと たかし)さん。

そんな松本隆さんは、プライベートでは、結婚と離婚を3度しているといいます。

今回は、松本隆さんの、最初の妻、再婚相手(2番目の妻と3番目の妻)、子供について調べてみました。

松本隆

「松本隆の自宅は神戸の高層マンション!仕事場は京都!その理由とは?」からの続き

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松本隆の最初の妻は?

松本隆さんは、1971年5月、21歳の時、細野晴臣さんの小学校の同級生だった女性と結婚したそうです。

(松本隆さんと奥さんの出会いに細野晴臣さんは全く関与しておらず、この偶然には3人とも驚いたそうです)

ただ、松本隆さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、奥さんとどのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚、離婚に至ったかは不明です。

ちなみに、松本隆さんは、「はっぴいえんど」解散時に、奥さんの妊娠が判明し、家族を養うために、なりゆきで作詞家を目指すことになったそうで、

解散は、細野さんと大瀧さんが2人で決めちゃった。僕と(鈴木)茂は、その結論を伝えられただけ。2人は音楽家としてライバルで、ぶつかり合うことが多かった。「もうそろそろかな」とは思っていたけど、突然かつ予想外のタイミングで解散と言われた。

ところが同時期に妻の妊娠がわかった。そうなると、やっぱり男としては責任をとらなきゃならない。ところが事務所からの給料は半年も遅配でなかなか入ってこない状態。妻から「もう無理」と言われて、生活のために“なりゆき”で作詞家を目指すことになったんです。

と、語っています。

松本隆の再婚相手(2番目の妻)は?

松本隆さんは、最初の妻と離婚後、別の女性と再婚&離婚しているようですが、最初の妻同様、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚、離婚に至ったかは不明です。

松本隆の再婚相手(3番目の妻)は書道家の川尾朋子

松本隆さんは、2016年頃、京都を中心に活動している、28歳年下の書道家の川尾朋子さんと3度目の結婚をしています。

川尾朋子
松本隆さんの3番目の妻で書道家の川尾朋子さん。

松本隆さんは、2013年頃から、関西(神戸)に拠点を移しているのですが、2016年に、川尾朋子さんの書道のレッスンを受けたことがきっかけで、川尾朋子さん知り合ったそうで、ほどなく結婚したのだそうです。

松本隆は川尾朋子との結婚を公表していなかった

ちなみに、松本隆さんは、川尾朋子さんとの結婚を公表しておらず、親しい人にしか知らせていなかったそうですが、

その理由は、自身は有名な作詞家ではあるものの芸能人ではないこと、川尾朋子さんもタレントではないことから、わざわざ世間に発表する必要はないと判断したのだそうです。

また、川尾朋子さんのほうも、結婚相手が松本隆さんであることを隠そうとしていたそうで、

川尾朋子さんの知人は、

2018年くらいに久しぶりに川尾さんにお会いしたら、左手の薬指に指輪があって。驚いて本人に聞いたら“最近、かなり年上の音楽関係の人と結婚したんです”と打ち明けてくれたんです。

当時、松本さんと親しくしていたのを知っていたので、“松本さん?”と聞いたらしばらく考えたのちに、複雑な表情で“……そうです”って。でも、有名人の松本さんと結婚したから名前が売れた、と思われたくないのか、親しい人だけにしか話していなかったみたいですよ

と、語っています。

松本隆は川尾朋子との結婚を伏せつつもSNSで“匂わせ”投稿をしていた

ちなみに、松本隆さんは、お互いに結婚したことを公にはしていないものの、SNSで“匂わせ”投稿を頻繁に行っており、

  • 2016年6月4日には、川尾朋子さんからレッスンを受け、ツーショット写真を公開しつつ、「川尾先生は超絶美人で、あの人とあの人を足して2で割った感じ。ぼくのフレーズをさらさらと書いたら、息を飲むほど美しい文字になった」と投稿
  • 2017年8月6日には、友人たちと自宅で神戸花火大会を鑑賞した時の写真を投稿した際、前列の中央に川尾朋子さんと並んで座り、なにげに2人の左手薬指が光っていた
  • 結婚指輪をした手で書き初めをする様子を投稿

また、2018年4月18日に発売されたCD「白鳥の歌」は、松本隆さんが詞を担当し、川尾朋子さんが題字を揮毫(きごう)していたそうです。

松本隆

松本隆と川尾朋子の離婚理由は?

ただ、そんな松本隆さんの“匂わせ”も、徐々に見られなくなっていったそうで、川尾朋子さんとも、約1年半の結婚生活の末、2019年に離婚したそうです。

ちなみに、離婚の理由は、まだまだ現役の作詞家として活動していた松本隆さんと、仕事で世界を飛び回ることも多かった川尾朋子さんは、夫婦で過ごす時間がなくなり、すれ違いが増えたことによるものだったそうです。

松本隆は3度目の離婚後も女性を口説いてた

こうして、70歳の時に、3度目の離婚をした松本隆さんですが、高齢での離婚にもかかわらず、意気消沈している様子はないそうで、

松本隆さんの知人は、

古希を過ぎても、相変わらず“女遊び”はしていますよ。“ぼくが女性に触れるとね、その人は必ず運気が上がるんだ”って口説かれて、自宅に誘われた女性もいたみたいです

と、語っており、まだまだお元気のようです。

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松本隆の子供は娘が3人

ちなみに、松本隆さんは、最初の妻との間に女の子が1人誕生しているほか、2番目の妻との間にも女の子が2人誕生していると言われているのですが、

娘さんたちについては、一切、情報がないため、芸能関係者ではなく、一般人だと思われます。

さて、いかがでしたでしょうか。

松本隆さんの、

  • 松本隆(作詞家)の生い立ちは?幼少期は本を乱読!中2でビートルズに衝撃を受けていた!
    • 松本隆のプロフィール
    • 松本隆は小学1年生の時に事故に遭い入院中にSF小説「地底王国」を読んだことがきっかけで読書が好きになっていた
    • 松本隆は小学生の時には本を乱読していた
    • 松本隆は小学生の時には祖父の影響で映画音楽やクラシックを聴くようになっていた
    • 松本隆は小学5年生の時にステレオで西部劇映画「アラモ」「荒野の決闘」などの主題曲を聴いていた
    • 松本隆は中学時代には図書館の本を片っ端から読み漁っていた
    • 松本隆は中学2年生の時に「ビートルズ」の「抱きしめたい」を聴いて衝撃を受けていた
    • 松本隆は中学3年生の時にバンド「バーバリアンズ」を結成するも自然消滅していた
  • 松本隆の細野晴臣との出会いは?デビューからバーンズ時代までの経歴を時系列まとめ!
    • 松本隆は高校1年生の時にバンド「バーンズ」(Ⅰ期)を結成
    • 松本隆は高校2年生の時にドラムメーカー主催の全国コンテストに出場し優勝していた
    • 松本隆は18歳の時にヤマハ主催の「第一回ライトミュージックコンテスト」の関東甲信越大会でロック部門の3位に輝いていた
    • 松本隆は大学進学後にベースの欠員を埋めるため面識のなかった細野晴臣を電話で勧誘していた
    • 松本隆と細野晴臣の出会い
    • 松本隆は細野晴臣に敬服していた
    • 松本隆は大学1年生の時に細野晴臣を迎え入れ「バーンズ」(Ⅱ期)をスタートさせていた
    • 松本隆は大学2年生の時に細野晴臣に詞を書くよう勧められていた
    • 松本隆が大学2年生の時に「バーンズ」(Ⅱ期)は解散していた
  • 【画像】松本隆(作詞家)の若い頃は?エイプリル・フール~はっぴいえんどの経歴を時系列まとめ!
    • 松本隆は19歳の時に細野晴臣に誘われてロックバンド「エイプリル・フール」に加入
    • 松本隆は20歳の時に「はっぴいえんど」を結成
    • 松本隆は21歳~22歳の時に「はっぴいえんど」として「はっぴいえんど」「風街ろまん」をリリース
    • 松本隆は22歳の時に「はっぴいえんど」の解散を細野晴臣と大瀧詠一から一方的に通告されていた
    • 松本隆は23歳の時に「はっぴいえんど」として3枚目のアルバム「HAPPY END」をリリースするも手抜きの極致だった
  • 【画像】松本隆の作詞家下積時代の曲は?音楽プロデューサーもしていた!
    • 松本隆は24歳の時に南佳孝のデビューアルバム「摩天楼のヒロイン」をプロデュースしていた
    • 松本隆は24歳の時に作詞家に転身していた
    • 松本隆は24歳の時に「チューリップ」のシングル「夏色のおもいで」を作詞していた
    • 松本隆が24歳~25歳の時は様々なジャンルの作詞を手掛けていた
    • 松本隆は25歳の時にアグネス・チャンに提供した「ポケットいっぱいの秘密」が大ヒット
  • 【画像】松本隆の若い頃(作詞家全盛時代)から現在までの代表曲や経歴を時系列まとめ!
    • 松本隆は26歳の時に太田裕美に提供した「木綿のハンカチーフ」が150万枚を売り上げる大ヒット
    • 松本隆は28歳の時に原田真二に提供した「てぃーんず ぶるーす」「キャンディ」「シャドー・ボクサー」がヒット
    • 松本隆は28歳の時に原田真二に提供した「タイム・トラベル」が大ヒット
    • 松本隆は28歳~31歳まで筒美京平とタッグを組み「東京ららばい」「セクシャルバイオレットNo.1」「スニーカーぶる~す」ほか作詞
    • 松本隆は31歳の時に寺尾聰の「ルビーの指環」の作詞を手掛け160万枚を売り上げる大ヒット
    • 松本隆は31歳の時に「イモ欽トリオ」の「ハイスクールララバイ」を作詞し160万枚を売り上げる大ヒット
    • 松本隆は大瀧詠一のソロアルバム「A LONG VACATION」で作詞を手掛けミリオンセラーの大ヒットを記録
    • 松本隆は32歳~35歳の時に「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」「小麦色のマーメイド」ほか松田聖子の作詞を手掛けていた
    • 松本隆は40歳から一時作詞活動を休止していた
    • 松本隆は48歳の時にKinKi Kidsに提供した「硝子の少年」がヒットチャート1位を獲得する大ヒットを記録
    • 松本隆は55歳の時にはインディーズレーベル「風待レコード」を設立
    • 松本隆は59歳の時に中川翔子に提供した「綺麗ア・ラ・モード」がヒット
    • 松本隆の現在(60代~70代)は?
  • 松本隆の筒美京平との出会いは?「木綿のハンカチーフ」以降ゴールデンコンビと呼ばれていた!
    • 松本隆は「はっぴいえんど」解散後は家族を養うために専業作詞家に転身していた
    • 松本隆は歌謡界の帝王・筒美京平と一緒に仕事をしたいと思っていた
    • 松本隆は「夏色のおもいで」の作詞で筒美京平に見初められていた
    • 松本隆は筒美京平とタッグを組み太田裕美に提供した「木綿のハンカチーフ」が150万枚を売り上げる大ヒットを記録
    • 松本隆は「木綿のハンカチーフ」を作詞した際、筒美京平からクレームがあると予想していた
    • 松本隆は「木綿のハンカチーフ」を作詞した際、筒美京平からクレームがあると予想していた
    • 松本隆が筒美京平とのタッグで最も印象に残る作品は中川翔子の「綺麗ア・ラ・モード」
  • 松本隆の自宅は神戸の高層マンション!仕事場は京都!その理由とは?
    • 松本隆が神戸と京都に拠点を移した理由は?
    • 松本隆の神戸の自宅は免震の高層マンション
    • 松本隆は神戸の元町周辺を舞台にした曲「トアロードのハレ娘」の作詞を手掛けていた
  • 松本隆の最初の妻は?再婚相手(3番目の妻)は書道家の川尾朋子!子供は?
    • 松本隆の最初の妻は?
    • 松本隆の再婚相手(2番目の妻)は?
    • 松本隆の再婚相手(3番目の妻)は書道家の川尾朋子
    • 松本隆は川尾朋子との結婚を公表していなかった
    • 松本隆は川尾朋子との結婚を伏せつつもSNSで“匂わせ”投稿をしていた
    • 松本隆と川尾朋子の離婚理由は?
    • 松本隆は3度目の離婚後も女性を口説いてた
    • 松本隆の子供は娘が3人

について、ご紹介しました。

突然、「はっぴいえんど」が解散し、生活の危機を迎えるも、そんな逆境の中、生活のためになりゆきで始めた作詞家で、見事、才能を発揮し、大成功を収めると、その後は順風満帆で、70歳を回っても、女性に目がないという松本隆さん。そんな松本隆さんからは今後も目が離せません!

お読みいただきありがとうございました

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