1967年、泉アキさんに提供した「恋はハート」で作曲家デビューすると、以降、「ブーメラン・ストリート」「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」など、次々とヒット曲を生み出し、演歌、歌謡曲、ポップス、アニメソングと幅広いジャンルで約200曲を手掛けた、三木たかし(みき たかし)さん。
そんな三木たかしさんは、お父さんの仕事が長続きせず、貧困家庭で育ったそうですが、歌手志望だったお母さんの影響を受けて、小学生の時に独学でギターと作曲を始めると、12歳の時には、妹の黛ジュンさんと、飲み屋で流しの歌手をして家計を支えていたといいます。
今回は、そんな三木たかしさんの、生い立ちをご紹介します。
三木たかしのプロフィール
三木たかしさんは、1945年1月12日生まれ、
東京都の出身、
本名は、「渡邊匡(わたなべ ただし)」で、「渡辺たかし」名義で活動していたこともありました。
また、歌手の黛ジュンさんは妹です。
三木たかしが幼い頃は父親の仕事が長続きせず貧困家庭で育っていた
三木たかしさんは、4人兄妹(兄1人妹2人)の2番目として誕生すると、幼い頃は、もともと歌手志望だったお母さんの影響で、
美空ひばりさんや島倉千代子さんなど、ラジオから流れる流行歌がいつも流れている環境で育ったそうです。
しかし、お父さんは仕事が長続きせず、お母さんが家計を支えていたことから、生活は貧しく、さらに、三木たかしさんが小学生の時には、お父さんが事業に失敗して多額の借金を背負ったことで、一家は経済的に困窮したそうで、
自宅に借金取りが来ると、妹で後に歌手となる黛ジュンさんと押し入れにこもり、紙に書いた鍵盤を弾いて遊んでいたそうです。
(三木たかしさんは、兄弟の中で、黛ジュンさんと一番仲が良かったそうです)
三木たかしは12歳の時に独学でギターと作曲を始めていた
そうした貧困家庭でありながらも、ある時、お母さんが質流れのギターを買ってくれたそうで、独学でギターと作曲を始めると、
12歳頃には、家計を支えるため、歌が上手だった妹の黛ジュンさんと、飲み屋で流しをしていたこともあったそうです。
また、三木たかしは、この頃、早くも、黛ジュンさんのために、「兄妹すずめ」という演歌を作曲していたといいます。
三木たかしは12歳の時に歌手に憧れ船村徹に弟子入りを志願するも作曲家になることを勧められていた
そんな三木たかしさんは、やがて、歌手に憧れるようになると、12歳の時には、知り合いに紹介してもらい、弟子入りしようと、作曲家で歌手の船村徹さんの元へ、黛ジュンさんと訪れたそうですが、
三木たかしさんがワンコーラスを歌った後、船村徹さんは、三木たかしさんが持ってきていた作曲した譜面を見て、
君は作曲家の方が向いている
と、言ったそうで、
三木たかしさんは、これを聞き、歌手を断念したのだそうです。
(一方、船村徹さんは、黛ジュンさんには歌手になることを勧めたそうです)
「【画像】三木たかしの若い頃は?アンパンマンほか代表曲や経歴を時系列まとめ!」に続く
1959年、14歳の時、ジャズベーシスト・作曲家の小野満氏に師事し、1967年、「恋はハートで」で作曲家デビューすると、1968年、23歳の時には、妹の黛ジュンさんに提供した「夕月」が100万枚を売り上げる大ヒットとなり …