1962年、18歳の時に、「鍛冶屋のルンバ」で歌手デビューすると、次々とヒットを連発し、囁(ささや)くように語りかける独特の歌唱法で人気を博した、園まり(その まり)さんですが、
2007年には、乳ガンが判明し、手術は無事に成功するも、2019年に再発し、闘病生活を続けながら、歌手活動をしていたといいます。
今回は、そんな園まりさんの、乳ガンと診断された時のこと、闘病生活から他界されるまでの経緯をご紹介します。
「園まりの夫は?結婚してた?渡哲也に片思いしていた!平尾昌晃とも?」からの続き
園まりは更年期障害の治療を受ける前に受けた検査で乳ガンが判明していた
園まりさんは、2006年(62歳)頃から更年期障害を患っていたそうで、顔のほてりや寒気などの症状を緩和するため、婦人科でホルモン補充療法(HRT)を受けることになったそうですが、
このホルモン補充療法(HRT)は、乳ガンや子宮頸ガンのリスクが増すということで、治療前にガンの検査を受けることを医師から勧められたそうです。
ただ、園まりさんは、気乗りせず、忙しかったこともあり、延ばし延ばしにしていたそうですが、自身の家系が”ガン家系”だったこともあり、2007年10月、ようやく検査を受けることにすると・・・
検査の結果、右の乳房にガンの腫瘍(しゅよう)らしきものがあることが判明したそうです。
そこで、さらに精密検査を受けたところ、幸い、早期だったため、ガンそのものの大きさは1.5センチほどで、リンパ節の転移もなかったのだそうです。
(触診ではしこりが触れることもなく、全く自覚症状はなかったそうです)
園まりは「三人娘クリスマス・ディナーショー」を中尾ミエと伊東ゆかりのサポートで乗り越えていた
ただ、検査の結果が判明してから2週間後に「三人娘クリスマス・ディナーショー」が予定されていたそうで、園まりさんは、無事に乗り切れるか不安だったそうですが、
「三人娘」の中尾ミエさんと伊東ゆかりさんにガンのことを正直に話すと、本番では2人が支えてくれ、なんとか無事に乗り切ることができたのだそうです。
園まりは右乳房のガン摘出手術を受け無事成功していた
そして、クリスマス・ディナーショーが終了して1ヶ月後の2008年1月24日、聖路加国際病院に入院し、右乳房のガン摘出手術を受けると、手術は1時間半ほどで無事に終了したそうです。
(園まりさんは、早期だったため、乳房温存手術が可能だったそうです)
ただ、手術は無事に終わったものの、その後の治療(ホルモン療法)では、動悸、イライラ、顔のむくみなどがあり、5年間は症状を押さえるのが大変だったそうで、
特に、「三人娘」のコンサートは、約2時間ノンストップで高いヒールを履いて歌い踊るため大変だったそうですが、
園まりさんは、2016年のインタビューで、
私の場合は、むくみ解消のためのウオーキング、岩盤浴が新陳代謝をよくしてくれました。体を温め、デトックスすることが大事だと実感しています。あとは、偏りなく食べたいものを食べ、野菜や果物を多くとるよう心がけています。 今はすっかり元気ですよ!
と、語っています。
園まりの死因は急性心不全
しかし、2019年にはガンが再発。
そんな中、園まりさんは、入退院を繰り返し、闘病生活を続けながら、「三人娘」としてコンサートや音楽番組に出演を続けていたそうですが、2024年7月26日、午前5時43分。都内の病院で、急性心不全により、80歳で他界されたのでした。
ちなみに、所属事務所によると、園まりさんは入院中のベッドで眠るように息を引き取ったそうですが、亡くなる5日前には、お見舞いに来た、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんと笑顔で会話していたといいます。
また、(独身だったため)2人に自身の衣装や小物などを預けていたほか、近年は、マネジャーと墓について相談していたそうで、
所属事務所は、
何かを悟ったように身辺を整理し、誰にも迷惑をかけることなく、立派な最期でした
と、コメントを発表しています。
美しい歌声と可憐なルックスで多くのファンを魅了し、昭和の歌謡界を代表する歌手として活躍した、園まり(その まり)さん。 そんな園まりさんは、幼い頃は、左肘を大ケガし、小学校入学後に手術を受けるまで曲がったままだったほか、 …