1969年、「アンドレ・カンドレ」名義でデビューした際には鳴かず飛ばずも、1972年3月、井上陽水として「人生が二度あれば」で再デビューすると、1973年にリリースした3枚目のアルバム「氷の世界」が日本初のミリオンとなる大ヒットを記録した、井上陽水(いのうえ ようすい)さん。

そんな井上陽水さんは、熱烈なビートルズのファンであることが有名ですが、ビートルズには音楽性だけではなく、考え方や生き方まで影響を受けたそうで、自作曲「カンドレ・マンドレ」をラジオ番組に持ち込んだのもビートルズのポール・マッカートニーさんの影響だったといいます。

今回は、井上陽水さんの、ビートルズとの出会いから、ビートルズに熱狂していたエピソードなどをご紹介します。

井上陽水

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井上陽水は中学3年生の時にビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いて衝撃を受けていた

井上陽水さんは、1963年、中学3年生の時、受験勉強をしながらラジオを聴いていると、オヤッと思う曲が流れてきたそうで、それが、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」だったそうですが、この2分に満たない短い曲を聴いて衝撃を受けたそうです。

ちなみに、井上陽水さんがすぐに友達に話をすると、その友達はお金持ちだったことから、早速レコードを買って来たそうですが、井上陽水さん自身はそんなお金はなく、レコードを買うという習慣がなかったそうです。

井上陽水は高校生の時に友達が買ったビートルズのレコードをテープレコーダーに録音させてもらっていた

そんな井上陽水さんは、高校生の時には、「英語の勉強のため」と親にウソをつき、友だちから安くテープレコーダーを分けてもらうと、

友達が買ったビートルズのレコードを全部テープに録音させてもらい、歌詞カードも全て自分で書き写したそうです。

(また、それ以来、ビートルズの雑誌の切り抜きも集めるようになったそうです)

井上陽水はビートルズの、長髪、サイン、歩き方など全てをマネしていた

すると、やがて、ビートルズ熱が昂じて、井上陽水さん自身もビートルズのマネがしたくなり、フォークギターと楽譜を買い、友達とハーモニーで歌ったりするようになったそうですが、

それだけではなく、どうしたらビートルズに同化できるのかばかり考えていたそうで、長髪はもちろん、サインや歩き方までマネをし、ビートルズのトレードマークだった襟のないジャケットも自分で作るほどだったそうで、

(その頃、世間ではフォークソングが流行っていたそうですが、井上陽水さんは、アメリカン・フォークソングや、フォークソングが訴えるような政治的な活動には全く興味がなく、ただただ、ビートルズ一辺倒だったそうです)

井上陽水さんのビートルズへの熱狂は、高校時代、浪人中、そして、上京してからも続き、ビートルズに明け暮れる毎日を送ったのだそうです。

井上陽水はビートルズの考え方や生き方にも影響を受けていた

また、井上陽水さんは、高校生の時には、ポール・マッカートニーさんがビートルズをレコード会社に売り込むために書いた文章を読んだそうですが、

ビートルズは反社会的な出で立ちをし、反社会的な暮らしぶりをしていただろうにもかかわらず、その文章は、自分たちビートルズがいかに素敵なバンドかということがきちんと書かれてあったそうで、

(レコード会社の偉い人たちに、「僕たちはちゃんと話ができますよ」とアピールするような文章だったそうです)

井上陽水さんは、その文章を読み、ちょっと素敵だなと思い、ビートルズの外見や音楽だけではなく、考え方や生き方にも影響を受けたのだそうです。

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井上陽水が自作曲「カンドレ・マンドレ」をラジオ番組に持ち込んだのはポール・マッカトニーの影響だった

そんな井上陽水さんは、自作曲「カンドレ・マンドレ」をテープレコーダーで録り、地元・九州の深夜ラジオ番組に持ち込むと、見事採用され、

この時、ディレクターに、

これ・・・かけてもらえませんかぁ

と、お願いして帰ると、

この「カンドレ・マンドレ」は番組内で放送され、数多くのリクエストを受けたそうですが、

実は、この時、井上陽水さんは浪人生で、浪人している仲間がたくさんいことから、その仲間たちにハガキを配って

僕の曲リクエストしてもらえないかねぇ・・・

と、お願いしていたそうで、

これらの行動も、ポール・マッカトニーさんの影響だったかもしれないと語っています。

また、井上陽水さんは、

ビートルズがいなかったら僕の人生は全然別のものになっていたということは確かだと思いますね、生き方にしろ職業にしろ。

ただ、音楽的な影響ということになると、勿論あると思うけれども、自分ではよくわからない。他人からそうした指摘をされたこともありませんしね。

こんなふうにビートルズを自分の中で処理しようとしても、それが明確な輪郭を結ばない。漠然としているんですね。とにかく凄かったという程度のことしか出てこない。

と、語っています。

「井上陽水は中島知子と不倫交際していた?デマとは言い切れない理由とは?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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