1973年、25歳の時、「エアロスミス」として、「Aerosmith」でレコードデビューすると、同アルバムの収録曲「Dream On」が、たちまち全米シングルチャート59位まで上昇するヒットとなった、スティーヴン・タイラー(Steven Tyler)さんは、

以降、シングル「Dream On」、アルバム「Get Your Wings」「Toys in the Attic」「Rocks」など、ヒットを連発しました。

今回は、スティーヴン・タイラーさんの若い頃(エアロスミスの1970年代)の代表曲やアルバムほか経歴をデビューから時系列でまとめてみました。

スティーヴン・タイラー

「スティーヴン・タイラーの生い立ちは?父親は音楽家で幼少期から音楽に恵まれていた!」からの続き

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スティーヴン・タイラーは22歳の時に「エアロスミス」を結成!バンド名の意味は?

スティーヴン・タイラーさんは、1970年頃、「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」などのバンドで、ドラマー兼ヴォーカルとして活動していたそうですが、

1970年夏、22歳の時、アメリカ・ニューハンプシャー州サナピー湖にあるクラブ「ザ・バーン」で、友人のジョー・ペリーさん(ギター)とトム・ハミルトンさん(ベース)らのバンド「ザ・ジャムバンド」の演奏を観て、

ジョー・ペリーさんとトム・ハミルトンさんに、新たに新バンドを結成する話を持ちかけ、新バンドを結成すると、

その後、ジョーイ・クレイマーさん(ドラム)、レイモンド・タバーノさん(もう一人のギター)も加入し、バンド名「エアロスミス」として、音楽活動をスタートしたそうです。

ちなみに、バンド名「エアロスミス」は、ジョーイ・クレイマーさんの提案だったそうですが、ジョーイ・クレイマーさんは、高校時代、ノートの隅にバンド名をいくつか書いており、「エアロスミス」はその中の一つだったそうで、

「空気」を意味する「エアロ」(aero)と「職人」を意味する「スミス」(smith)を合わせた造語なのだそうです。

スティーヴン・タイラーは23歳の時に「エアロスミス」としてパーティバンドのような活動をしていた

すると、翌年の1971年には、レイモンド・タバーノさんが脱退し、新たに、ブラッド・ウィットフォードさんがギターとして加入したそうですが、

「エアロスミス」は、当初は、カバー曲を中心に演奏する、パーティバンドのような活動をしていたそうです。

スティーヴン・タイラーは25歳の時に「エアロスミス」としてファーストアルバム「Aerosmith」でレコードデビュー

そんな中、「エアロスミス」は、ボストンの「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介で、地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶと、

その後、マネジメント会社の交渉により、1972年夏には、コロムビア・レコードとの契約が成立したそうで、1973年1月には、ファーストアルバム「Aerosmith(野獣生誕)」でレコードデビューを果たしたのでした。

スティーヴン・タイラーは25歳の時に「エアロスミス」としてシングル「Dream On」がヒット

すると、「Aerosmith(野獣生誕)」の収録曲「Dream On」がアメリカ東海岸地区を中心に注目され、1973年6月27日にシングルカットすると、全米シングルチャート59位まで上昇するヒットを記録します。

「Dream On」
「Dream On」

スティーヴン・タイラーは26歳の時に「エアロスミス」として2枚目のアルバム「Get Your Wings」がロングヒット

そして、1974年3月には、2枚目のアルバム「Get Your Wings(飛べ!エアロスミス)」をリリースすると、1年以上に渡り、全米アルバムチャート200位圏内に入り続けるロングヒットを記録したのでした。

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スティーヴン・タイラーは「エアロスミス」として3枚目のアルバム「Toys in the Attic」が全米チャート11位のヒット

さらに、1975年4月、27歳の時には、3枚目のアルバム「Toys in the Attic(闇夜のヘヴィ・ロック)」が、このアルバムに収録されていた「Walk This Way」や「Sweet Emotion」などのシングルがヒットしたことと相まって、全米チャート11位(Billboard 200)となるヒットを記録。

(バンド初のプラチナ・ディスクを獲得)

ちなみに、スティーヴン・タイラーさんは、アルバム「Toys in the Attic」について、

まず、タイトルの意味は“屋根裏のオモチャ箱”っていうんだ。1960年にトニー賞にノミネートされ1963年に映画化されたブロードウェイミュージカルと同名とは知らなかったよ。

まぁ知ってたところで関係ないさ。これは世界でただ一つの、セクシーで心揺さぶるエアロスミスのアルバムなんだ。

屋根裏には思い出の品が詰まってるんだ。昔から懐かしい場所だ。古いテディベア、漫画本、バネのオモチャ、先祖の宝物、虫食いのあるお気に入りのセーター、幼い頃の写真、古いローラースケート、ストーンズのコンサートチケット…このタイトルに決めた理由は“バンドの成功”だった。

俺は宇宙人にも知られたくて岩に名前を刻んだ。長く生きたいことへの表明だ。死んだ後もレコードは長く聴き継がれる。片時も忘れることのなかったお気に入りの品と一緒に、俺達のアルバムも屋根裏にしまわれるんだ。

エアロスミスはそういうバンドになったんだ。ビートルズやアニマルズ、キンクスは歌詞とタイトルの上手さで成功した。俺はイカれた頭でなく、ちゃんと考えて作品を創ってるんだ。

と、語っています。

スティーヴン・タイラーは「エアロスミス」として4枚目のアルバム「Rocks」が全米アルバムチャート3位の大ヒット

そんな「エアロスミス」は、この勢いに乗り、前2作のアルバム「Aerosmith(野獣生誕)」「Get Your Wings(飛べ!エアロスミス)」のセールスも好調となり、シングル「Dream On」が再発売されると、全米チャート6位まで上昇。

また、1976年には、4枚目のアルバム「Rocks」が全米アルバムチャート3位と、1970年代の「エアロスミス」最大のセールスを記録すると、

「エアロスミス」は押しも押されぬ人気バンドとなり、「キッス」「クイーン」とともに、”3大バンド”と称されるようになったのでした。

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(このアルバム「Rocks」は日本でも400万枚を売り上げる大ヒットを記録しています)

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スティーヴン・タイラーは28歳~29歳の時に「エアロスミス」として「Back In The Saddle」「Last Child」「Draw The Line」などが大ヒット

さらに、「エアロスミス」は、

その後も、

  • 1976年には、「Back In The Saddle」(※「Rocks」からのシングルカット)
  • 1976年には、「Last Child」(※「Rocks」からのシングルカット)
  • 1977年には、「Draw The Line」

と、立て続けにヒットを飛ばしたのでした。

「【画像】スティーヴンタイラーの若い頃(エアロスミス80~90年代)は?代表曲アルバムまとめ!」に続く

「Last Child」
「Last Child」

お読みいただきありがとうございました

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