17歳の時、アルバム「インフィニット」で鮮烈なデビューを飾ると、たちまち、”天才ギタリストの出現”と大きな話題となって、国内ジャズ界を牽引する存在として活躍し、

1970年代後半には「YMO」のワールドツアーにも参加すると、アルバム「KYLYN(キリン)」「TO CHI KA(トチカ)」など、フュージョン史に残る名盤を次々と発表した、渡辺香津美(わたなべ かずみ)さん。

今回は、渡辺香津美さんの若い頃(ジャズギタリストとしてプロデビュー)から現在までの代表作(アルバム)や経歴を時系列でご紹介します。

渡辺香津美

「渡辺香津美の生い立ちは?小6でエレキギター!中2でジャズに転向していた!」からの続き

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渡辺香津美は17歳の時にジャズギタリストとしてプロデビュー

高校生の頃、実家のすぐそばにあったジャズ・クラブで開催されていた、師匠・中牟礼貞則さんのジャムセッションに参加させてもらうようになった渡辺香津美さんは、やがて、バンド編成で出演する機会をもらえるようになると、

他のバンドのオーディションに誘われる機会も増えたそうで、1971年、17歳のある日のこと、ジャズピアニストの今田勝さんに声をかけられたそうですが、

渡辺香津美さんは、楽屋で少し弾くだけだろうと思い、今田勝さんに会いに行くと、なんと、そのままステージに上るように言われたそうで、

ガチガチに緊張しつつも、なんとかステージをこなし、片付けをしていると、

お疲れさま

と、声をかけられ、3000~4000円(現在の貨幣価値に換算すると数万円)のギャラをもらったそうで、

これが、渡辺香津美さんのプロデビューとなったそうです。

ちなみに、渡辺香津美さんは、この時のことについて、

これにはシビレましたね。自分は満足してお客さんは喜んでくれて、さらにお金がもらえる。それ以前もライブはやってはいましたが、このときがプロデビューの瞬間だったと思います。

と、語っています。

渡辺香津美は17歳の時にアルバム「インフィニット」で鮮烈デビュー

そんな渡辺香津美さんは、同年、アルバム「インフィニット」で鮮烈なデビューを果たしているのですが、

その卓越したギターテクニックは、”天才ギタリストの出現”と大きな話題となっています。

渡辺香津美は23歳の時にアルバム「Olive’s Step」をリリース

その後、渡辺香津美さんは、今田勝さん、渡辺貞夫さん、鈴木勲さんなどと共に、国内ジャズシーンのトップ・グループに在籍しているのですが、

1977年、23歳の時には、ジャズクラブ「新宿ピット・イン」にセッションで出演した際、ドラマーのつのだ☆ひろさんに誘われて、ベースの高水健司さん、キーボードの坂本龍一さんと初共演すると、強烈な刺激を受けたそうで、

この頃、アルバム制作の話があったため、このセッションから、つのだ☆ひろさん、坂本龍一さん、そして、ベースに後藤次利さんを加えてアルバムを完成させ、1977年9月25日には、ジャズとフュージョンを融合させた「Olive’s Step」をリリースしています。

渡辺香津美は25歳の時にアルバム「KYLYN(キリン)」をリリース

また、1978年には、坂本龍一さんのファーストアルバム「千のナイフ」のレコーディングに参加するほか、「六本木ピット・イン」(新宿ピットインの姉妹店)で坂本龍一さんと頻繁に共演を重ねるなど、坂本龍一さんと親交を深めると、

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1979年6月25日には、坂本龍一さんと共同プロデュースしたアルバム「KYLYN」をリリースしています。

渡辺香津美は25歳~26歳の時に「YMO」のサポートギタリストとして海外ツアーに参加していた

そんな渡辺香津美さんは、坂本龍一さんとバンド「KYLYN」を結成すると、「KYLYN」とほぼ同じメンバーで、坂本龍一さんが所属していたバンド「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」のライブにも参加するようになり、

「YMO」が夏から秋にかけて海外ツアーをした際も、引き続きサポート・ギタリストとして参加すると、「YNO」は社会現象を巻き起こすほどの異常な人気を博し、渡辺香津美さんも「KAZUMI」としてその名を世界に轟かせたのでした。

渡辺香津美
1979年のYMOのライブより。

渡辺香津美は26歳の時にアルバム「TO CHI KA(トチカ)」が大ヒット

また、渡辺香津美さんは、1980年5月25日、26歳の時には、フュージョンアルバム「TO CHI KA(トチカ)」をリリースすると、オリコンLPチャートで最高10位を記録。

そして、同年(1980年)には、フュージョンユニット「Mobo(モボ)」も結成すると、ジャズ、ロック、ファンクの要素を融合したハイブリッドな音楽スタイルで注目を集めました。

渡辺香津美は20代後半~30代前半にハービー・ハンコック、マーカス・ミラー、トニー・ウィリアムスら海外アーティストと共演

その後も、渡辺香津美さんは、ジャズとフュージョンを融合させたアイコンとしてフィールドを牽引すると、1980年代前半には、ハービー・ハンコックさん、マーカス・ミラーさん、トニー・ウィリアムスさんら海外アーティストと共演するほか、

1987年、34歳の時には、日米混合バンド「One for All」を結成するなど、国際的に活動しています。

渡辺香津美は30代後半の時にアコースティック・アルバム「DANDYISM」「ONE FOR ALL」をリリース

そして、1990年代には、アコースティックを基調とした、

の2枚のアルバムをリリースしています。

渡辺香津美は50歳~57歳の時「Guitar Renaissance(ギター・ルネッサンス)」シリーズのアルバムをリリース

また、2000年代には、クラシック、映画音楽、童謡、ジャズスタンダードなどを、すべてアコースティックギターで演奏した、アコースティック・ギターのソロ・プロジェクト「Guitar Renaissance(ギター・ルネッサンス)」シリーズを開始し、

と、アルバムをリリースしています。

渡辺香津美の現在は?

そんな渡辺香津美さんは、ソロ活動と並行して、若手ミュージシャンとのコラボレーションも展開し、精力的にライブ活動やレコーディングなどを行っていたのですが・・・

2024年2月27日、軽井沢の自宅で倒れ、救急搬送されると、脳幹出血と診断され、入院。

予定されていた活動をすべて中止し、治療に専念することが発表されました。

(その後、渡辺香津美さんは、同年4月に意識を回復すると、リハビリ専門病院への転院を経て、10月には自宅療養に移行し、現在は、要介護5・障害者1級の認定を受け静養しているそうです)

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渡辺香津美のアルバム(ソロ)

それでは、最後に、渡辺香津美さんの主なアルバム(ソロ)をご紹介しましょう。

などを、リリースしています。

「渡辺香津美の現在の病状は?脳幹出血で倒れ2ヶ月間意識不明だった!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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