1993年、少年時代からの憧れのチームである巨人(読売ジャイアンツ)に移籍すると、父・長嶋茂雄監督のもと、オープン戦では打率3割7分5厘の活躍で、人生最高の好調ぶりを見せ、開幕スタメンを獲得した、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、
そんな中、リトルリーグ時代から患っていた右肘と右膝が急激に悪化したといいます。
今回は、そんな長嶋一茂さんの、若い頃(読売ジャイアンツ移籍1年目から現役引退まで)の経歴を時系列でご紹介します。

「【画像】長嶋一茂の若い頃(ヤクルトスワローズ時代)は野村克也監督と確執!」からの続き
長嶋一茂は26歳の時に巨人(読売ジャイアンツ)に移籍
ヤクルトスワローズでは、野村克也監督とコーチ陣から嫌がらせを受け、そのストレスから、夜はお酒を飲んで酔っていないと眠れない状態にまで精神的に追い詰められていたという長嶋一茂さんは、
そんな環境を変えるため、1992年には、アメリカのロサンゼルス・ドジャースのマイナーリーグの春季キャンプに参加するのですが、1Aでは、打率.235、7本塁打の成績を残したものの、2Aに昇格できなかったそうで、1992年9月には帰国したそうです。
すると、ヤクルトはサードのハウエル選手が好調だったうえ、14年ぶりの優勝目前という状況だったこともあり、野村克也監督からは一切声をかけられることはなかったそうで、結局、シーズン終了まで一度も一軍には上がれず、ずっと二軍生活だったのだそうです。
ただ、その後、お父さんの長嶋茂雄さんが巨人軍監督に復帰すると、桑原オーナーの前向きな発言と長嶋茂雄監督の獲得意思表明を受けて、長嶋一茂さんは、同年12月22日に金銭トレードでの巨人移籍が正式発表されたのでした。

野村克也監督やその取り巻きのコーチから毎日のように嫌がらせされる環境から逃れるため、ロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグ1Aのベロビーチ・ドジャースの春季キャンプに参加した、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、 …
長嶋一茂は巨人移籍1年目(27歳)は絶好調でキャンプ中に一軍昇格を果たしていた
そんな長嶋一茂さんは、少年時代からの憧れのチームである巨人(読売ジャイアンツ)に入れた喜びで練習に没頭し、年明けから後輩と自主トレを開始すると、日中の練習後も夜遅くまでバット振りを続け、取り憑かれたようにトレーニングに打ち込んだそうです。
すると、二軍では文句なしの好成績を残し、末次利光二軍監督が一軍昇格を推薦してくれたそうで、当初、長嶋茂雄監督は、親子だからといって甘やかすのを嫌い、厳しい基準で評価していたのですが、最終的には長嶋一茂さんの実力を認め、2月12日には一軍昇格を許可したのだそうです。

長嶋一茂は巨人移籍1年目(27歳)はオープン戦で打率.375という素晴らしい成績を残していた
そんな長嶋一茂さんは、シートバッティングで3打数3安打(130メートルの特大ホームラン含む)と大活躍し、オープン戦では6番レフトでスタメンを獲得すると、
3月6日のダイエー戦では2打席連続ホームランを記録するなど、最終的には、打率.375という素晴らしい成績を残し、シーズンも開幕スタメンを獲得したのでした。
ちなみに、長嶋一茂さんは、シーズン開始後の4月23日に、移籍後初ホームランを放っているのですが、その際、ベンチの選手たちが大挙して祝福する中、長嶋茂雄監督だけは、父親としてどう振る舞えばいいか分からずベンチ際でうろうろしていたそうで、
長嶋一茂さんはこのお父さんの姿を見て、お父さんの悩みを軽くするためにも活躍しなければと決意を新たにしたのだそうです。

1993年4月23日、巨人移籍後、初ホームランを放つ長嶋一茂さん。
父・長嶋茂雄さんが巨人監督に復帰したことで巨人移籍が実現した、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、子供の頃からの夢である巨人入団が嬉しくてたまらず、練習に打ち込んだそうで、キャンプでは二軍スタートながら、文句なしの成績 …
長嶋一茂は巨人移籍1年目(27歳)に右肘と右膝が急激に悪化していた
こうして、巨人移籍1年目の1993年は、絶好調でスタートした長嶋一茂さんでしたが・・・
やがて、リトルリーグ時代から患っていた右肘の状態が急激に悪化し、シーズン後半には小指がほぼ完全に麻痺して、投球が困難になったうえ、右膝の状態も悪化して階段の上り下りも満足にできなくなったそうで、
9月23日、急遽渡米し、スポーツ医学の権威であるフランク・ジョーブ博士により、右肘の軟骨除去、尺骨神経の移設、左手首と右膝半月板の削除という大手術を受けたのだそうです。
ただ、右膝は回復したものの、右肘の痛みは手術前より悪化してしまったといいます。
長嶋一茂は巨人移籍4年目(30歳)に一軍復帰するも土井正三コーチに暴言を吐き再び二軍に降格させられていた
そんな長嶋一茂さんは、1994年は、二軍スタートで一軍は46試合出場にとどまり、1995年は、一軍出場が一度もなく、
1996年には一軍復帰したものの、土井正三コーチから課せられた2時間のバント練習に激昂して暴言を吐き、罰金50万円・二軍降格・出場停止の処分を受けたのでした。

長嶋一茂は巨人移籍4年目に30歳の若さで現役を引退
また、長嶋一茂さんは、この頃、右肘の悪化に加え、過呼吸症候群や自律神経系の症状にも悩まされ、箱根の別荘に引きこもっていたそうですが、それでも、お父さんのようなスーパースターになる夢を諦めきれずにいたといいます。
しかし、そんな中、1996年オフシーズン中、父・長嶋茂雄監督から田園調布の実家に呼ばれ、
来季の戦力に入っていない
と、戦力外通告を受けたそうで、
他球団からは獲得意向があったものの、巨人以外での野球は考えられなかったそうで、この年限りで現役を引退したのでした。
ヤクルトスワローズから巨人(読売ジャイアンツ)に移籍すると、最初は二軍スタートも、ほどなくして、文句なしの成績で一軍昇格を果たすと、オープン戦でも目覚ましい活躍をした、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、やがて、リ …
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元プロ野球選手で巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんを父親に持ち、1987年、立教大学からドラフト1位でヤクルトスワローズに入団すると、持前の長打力で注目を集めるも、わずか7年で現役を引退した、長嶋一茂(ながしま かずしげ) …






