1998年、借金による自己破産が原因で、突然、ワイドショー「ルックルックこんにちは」を降板し、その後、行方不明となるも、2002年には、バラエティ番組で仕事復帰すると、

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」内のコーナー「岸部四郎の落とし穴」で、自ら自己破産をネタにして再ブレイクを果たした、岸部四郎(きしべ しろう)さん。

今回は、そんな岸部四郎さんの、借金の原因や、自己破産後の活動などを時系列でご紹介します。

岸部四郎

「【画像】岸部四郎の若い頃は?西遊記の沙悟浄ほか出演ドラマ映画CMは?」からの続き

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岸部四郎は48歳の時に借金により自己破産し「ルックルックこんにちは」を降板していた

突然、ワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会を降板した岸部四郎さんですが、その理由は借金による自己破産で、

1998年4月9日、岸部四郎さんの弁護士が会見を開き、岸部四郎さんが1998年4月6日に自己破産を申請したことを発表しています。

弁護士によると、岸部四郎さんの負債は、銀行や個人のほか、月利30%の闇金融が69社以上もあって3億6千万円、それに税金分6千数百万円を合わせ、合計4億2千万円にのぼっていたそうで、

(最終的には5億2千万円になったそうです)

岸部四郎さんは、2000年、「婦人公論」(2000年10月22日号)のインタビューで、

私は破産とか自分がつぶれるということだけは、避けて通りたいと思って生きてきた人間です。それなのに、平成10年4月6日、5億2000万円の借金を抱え、自己破産してしまった・・・

毎日が分刻みの金策になりました。「ルック」の本番中でも、バイブモードにしてある今の妻からのポケベルが鳴る。「07」が借金関係のトラブルと決めてあり、「07070707」とたくさん並んだら緊急のトラブルの印。

そうなると心ここにあらずになってしまうんです。本番中も、それこそ眠っている間も、金策のことで頭がいっぱいでした。そして、最終的には、20人以上の闇の高利貸しから、借金することになりました。

時間を戻すことが可能なら、どこを修正したら自己破産をせずに済んだか、よく考えるんです。すると、高利というお金をナメてかかったのが一番いけなかったというところに行き当たる。なまじ収入があったから、多少高利でも、苦もなく返せると思ってしまったんです

と、語っています。

(「ルックルックこんにちは」を降板する頃、年収は2億円近くあったそうですが、稼いでも稼いでも、金利で消えていき、手元には全く残らなかったそうです)

岸部四郎の借金の原因は?

そこで、気になる借金の原因ですが、当初は、元「ザ・タイガース」の森本太郎さんが1997年4月に自己破産したことで、その連帯保証人になっていた岸部四郎さんが毎月1200万円もの利息返済をする状態が続き、自己破産を決意したと伝えられていたのですが、

(岸部四郎さんの当時の月収は1000万円)

後に、岸部四郎さん自ら「文芸春秋」に寄せた手記で、借金の主な原因が「骨董品のコレクション」だったことを明かしており、

テレビ番組でも、

(収集は)憧れの画家の絵だとかね、そういうものが自分の部屋の壁に飾れた時というのは、何か「やったあ」という感じで。

と、語っています。

(前妻(最初の妻)への慰謝料と養育費の支払いを銀行で借りたことが、借金の始まりだったそうです)

岸部四郎は「ルックルックこんにちは」降板後は行方不明になるも「バイアグラをタダでくれ」で生存が確認されていた

ちなみに、「ルックルックこんにちは」降板後、岸部四郎さんは所属事務所を解雇されているのですが、その後、行方不明となっており、自殺説まで流れました。

ただ、その数週間後、岸部四郎さんから、「ルックルックこんにちは」のスタッフに、

バイアグラをタダでくれ

という電話が入ったそうで、この電話で無事が確認されたといいます(笑)

岸部四郎は53歳の時に「岸部四郎の落とし穴」で再ブレイク

また、岸部四郎さんは、ほとぼりが冷めた2002年頃からは、自分の自己破産をネタにバラエティ番組で復帰すると、

特に、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」内の「岸部四郎の落とし穴」というコーナーで、落とし穴に落ちながら、

オレを誰や思てんねん! 元金持ちやぞ!

もうカネしかないなあ!

などと言う、自虐ネタで人気を博し、

「ルックルックこんにちは」での「穏やかで心優しい」キャラとは180度違う、嫌味系タレントとして華麗なる復活を遂げています。

岸部四郎
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」内の「岸部四郎の落とし穴」より。

さらに、岸部四郎さんは、同じく「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」内のコーナー「芸能界 男と男の手料理対決」や「全力疾走する芸能人を見ることができる店」にも出演するほか、

2007年の大晦日には、「絶対に笑ってはいけない病院24時」で、女装して飄々(ひょうひょう)と妊婦役を演じています。

岸部四郎は54歳の時に「脳内出血」で倒れ後遺症に悩まされるようになっていた

しかし、これからという2003年、54歳の時には、「脳内出血」で倒れ、なんとか一命をとりとめるも、歩行困難となるなど、後遺症に悩まされるようになり、

2007年には、献身的に看病をしてくれていた奥さんが急死したといいます。

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岸部四郎は71歳で死去

それでも、岸部四郎さんは、その後、お姉さんの家で暮らし、2012年1月24日には、沢田研二さんのライブツアーにゲスト出演して「若葉のころ」という歌を歌唱していたのですが・・・

翌2月には、足を骨折して手術を受けると、リハビリ後は老人ホームに移り住んだそうです。

また、そんな中でも、岸部四郎さんは復帰を目指して闘病を続けたそうで、2013年12月27日、「ザ・タイガース」の復活ライブの最終日の東京ドーム公演に車椅子姿で出場するほか、

2014年11月21日には、森本太郎さんのコンサートにゲスト出演していたのですが・・・

その後は、表舞台に姿を現すことがないまま、2020年8月28日、拡張型心筋症による急性心不全により、71歳で他界されたのでした。

「岸部四郎の死因は?脳内出血の後遺症と闘いつつ歌への情熱を持ち続けていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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