1965年、「ザ・スパイダース」として、1stシングル「フリフリ」でデビューすると、7枚目のシングル「夕陽が泣いている」が120万枚を超える大ヒットを記録し、一躍、スターダムに駆け上った、加藤充(かとう みつる)さん。

そんな加藤充さんは、マンドリンを演奏していたお母さんの影響で小学生の時からギターを弾くようになると、中学1~2年生の頃には合唱団に選ばれて教会に讃美歌を歌いに行くようになり、高校時代には、大学のカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」に参加して、米軍キャンプ巡りなどをするようになっていたといいます。

今回は、加藤充さんの生い立ち(幼少期~高校時代)、若い頃(「ザ・スパイダース」に加入する前まで)をご紹介します。

加藤充

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加藤充のプロフィール

加藤充さんは、1934年3月3日生まれ、
京都府の出身(東京都生まれ)、

学歴は、
同志社中学校
⇒同志社高校
⇒同志社大学中退

だそうです。

ちなみに、「ザ・スパイダース」で活動していた頃は1939年生まれとサバを読んでいたそうで、

加藤充さんは、その理由について、

スパイダースが最初に所属したホリプロ(ホリプロダクション)の創業者、堀(威夫)さんから“昭和9年(1934年)生まれ?今日から昭和13年(1939年)にしろ”と言われたんだよ(笑)

と、語っています。

加藤充の愛称「カッペちゃん」の由来は?

加藤充(本名)さんの愛称は、小学生の頃から「カッペちゃん」だそうですが、

加藤充さんは、その由来と「カッペちゃん」と呼ばれていることについて、

当時、○○ッペってのが流行っていまして、そこから来たんです。田舎ッペのカッペじゃないんですよ(笑)

ショックでしたよ、客席から「カッペちゃーん」って来た時は。マチャアキ(堺正章さん)がそれを聞いてから、ずっとカッペちゃんになってしまって・・・こりゃまずいと思ったんですが(笑)

まあでも、ある意味それで通ってしまってるんで、便利なこともあるんですけどね。(自分でも意識してるのか)街を歩いていても、加藤さんと呼ばれても、ピンと来なくても、カッペちゃんと呼ばれるとすぐ反応するんです(笑)

と、語っています。

また、「加藤満」名義で活動していたこともあったそうです。

加藤充は11歳頃にギターを習い始めるも指の練習が面白くなくて3日でやめ独学でギータを習得していた

加藤充さんは、11歳頃、お母さんがマンドリンを演奏していたことから、その流れでギターを買ってもらい、習いに行ったそうですが、

すぐに曲を弾かせてもらえず、指の練習ばかりさせられたそうで、それが面白くなく、3日でやめてしまったそうです。

そして、それからは独学でギターを習得したそうで、当時、好きだった”古賀メロディー”(古賀政男さん作曲の歌謡曲)を好んで弾いたそうです。

(ちなみに、終戦を迎えた頃には、古賀政男さんの曲ではありませんが、「りんごの唄」をよく耳にしたそうで、この曲もとても印象に残っているそうです)

加藤充は中学1~2年生の頃に合唱団に選ばれ教会で讃美歌を歌っていた

また、加藤充さんは、キリスト教の中学校に進学したそうですが、中学1~2年生の頃には、合唱団に選ばれ、音楽の授業が終わった後、教会まで讃美歌を歌いに行かされたといいます。

ちなみに、合唱団では、「君は何をやれるのか」と聞かれ、よく分からないまま、「アルトをやります」と答えたそうですが、ソプラノを歌い、怒られたそうです(笑)

加藤充は高校時代は大学生と偽ってカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」で活動していた

その後、加藤充さんは、同志社高校に進学すると、ウエスタン・ミュージックに憧れるようになったそうで、同志社大学のカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」で欠員が出た際には、大学生と偽って参加し、米軍キャンプを周ったり、同志社大学のOB会などで活動したそうです。

ただ、「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」はとても厳しかったそうで、ギターを全く教えてくれないばかりか、「速い」と言われ、いきなり蹴飛ばされたりしたそうで、まさに、体で覚えたのだそうです。

(ギターのほか、ベースやアコーディオンもやらされたそうです)

加藤充は大学進学&中退後も米軍キャンプやジャズ喫茶巡りをするなど音楽活動を続けていた

そして、先輩たちが卒業した後も、加藤充さんは、もう一人の高校生とメンバーを集めてバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」を継続し、大学進学後も音楽活動を続けると、

その後、(いつ頃かはっきりした時期は不明ですが)大学を中退し、米軍キャンプ巡りのほか、京都のジャズ喫茶「ベラミ」、大阪のジャズ喫茶「なんば一番」、神戸のジャズ喫茶「白馬車」などを周って、ウエスタン・ミュージックや、当時ブームとなっていたハワイアンなどを演奏したのだそうです。

(ジャズ喫茶とは、現在のライブハウスのこと)

加藤充は21歳頃に高校2年生だった大野克夫と知り合っていた

ちなみに、この頃のメンバーには、後に「ザ・スパイダース」で共に活動する大野克夫さんがいたといいます。

加藤充さんが21歳頃、高校2年生だった大野克夫さんが「ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ウエスト」にアルバイトとして参加したことがきっかけで知り合ったそうで、

加藤充さんは、大野克夫さんとの出会いについて、

その当時、大野克夫くんは高校2年だったかな、京大に受かる位の賢い秀才だったんですが、どうしてもウエスタンがやりたいので、大学進学をしませんでした。

あの頃「You All Come」と言うビング・クロスビーの曲が流行ってまして、その間奏がスチールギターなんですが、(彼は)レコードがすり切れて真っ白になるくらい聞き込んでいました。それで、完璧に演奏できるんです。それを見て恐れ入ったものです。

音楽やってなかったらまたそれなりの人生があったはずなんですが、どうしてもウエスタンがやりたいと言っていましたから。掘川高校という進学校に行っていたんですが。

と、語っています。

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加藤充は28歳の時に音楽をやめ実家の寿司屋で修行を始めていた

さておき、加藤充さん率いるバンド「ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ウエスト」は、その後、「ワゴンマスター」を解散後に一人で関西に訪れていた小坂一也さんのバックを務めると、気に入られ、東京に呼ばれたそうですが・・・

東京での活動はうまくいかず、1962年、「ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ウエスト」は解散してしまったそうです。

というのも、「ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ウエスト」が解散する直前、メンバーの大野克夫さんが、田邊昭知さん(現・田辺エージェンシー会長)に引き抜かれて、「ザ・スパイダース」に行ってしまい、そのうえ、ジャズ喫茶の人気も下火になってきていたことから、音楽をやるのがつまらなくなっていたそうで、

加藤充さんは、音楽自体をやめ、(大学を中退していたことから)実家の寿司屋を継ぐことを決心して、出前持ちから寿司屋の修行を始めたのだそうです。

「【画像】加藤充の若い頃は「ザ・スパイダース」のベースでブレイク!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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