36歳の時に「ザ・スパイダース」が解散した後は、3年程スタジオミュージシャンとして活動しつつ、芸能関係の様々な仕事に携わるも、40歳頃には保険会社に転職し、以降、芸能界から遠ざかっていたという、加藤充(かとう みつる)さん。
今回は、加藤充さんの、若い頃(「ザ・スパイダース」解散後)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「【画像】加藤充の若い頃は「ザ・スパイダース」のベースでブレイク!」からの続き
加藤充が37歳の頃はスタジオミュージシャンとして活動していた
加藤充さんは、「ザ・スパイダース」の人気に陰りが見え始めた頃から、大野克夫さん、井上堯之さんと共に、スタジオミュージシャンとしての活動も始めていたそうで、「ザ・スパイダース」が解散した後も、3人でスタジオミュージシャンとして活動するつもりだったそうですが、
大野克夫さんと井上堯之さんがニューロックバンド「PYG」に参加したことから、加藤充さんは、単独でスタジオミュージシャンとして活動したそうです。
そして、1971年には、かまやつひろしさんの2枚目のアルバム「どうにかなるさ アルバムNo.2」で全曲ベース演奏を担当するほか、CM、童謡、演歌と、様々なジャンルの音楽で、スタジオミュージシャンとしてベースを弾いたそうですが、
譜面を渡されるも、コードしか書いておらず、
フィーリングでやって
と言われて、アドリブを要求されたりすることもあり、なかなか大変だったそうです。
また、スタジオに入るまで、どんな音楽をやるのか分からず、「ああ、今日は演歌か」みたいな感じだったそうですが、童謡だと知り、帰りたくなったこともあったそうです(笑)
加藤充が37歳の頃は北原じゅんの事務所や北島三郎の「北島音楽事務所」の手伝いもしていた
そんな中、加藤充さんは、北原じゅんさん(「命くれない」の作曲者)に、事務所を設立するから新しいタレントを探す手伝いをしてほしいと呼ばれたそうで、その仕事にも携わったそうですが、
ある日、北島三郎さんの「北島音楽事務所」の手伝いに行ってほしいと言われ、「北島音楽事務所」に行って事務所の絨毯張りから手伝うと、北島三郎さんの弟の大野専務に、「北島音楽事務所」の仕事も手伝ってほしいと言われたそうで、
加藤充さんは、北原じゅんさんと「北島音楽事務所」を掛け持ちするようになったそうです。
そして、「北島音楽事務所」では、元「ザ・タイガース」の加橋かつみさんを紹介したそうですが、
やがて、北原じゅんさんがこの掛け持ちに怒り出したそうで、加藤充さんは、北原じゅんさんの手伝いを辞め、「北島音楽事務所」も辞めたのだそうです。
(「北島音楽事務所」まで辞めたのは、加橋かつみさんと大野専務がお互いの過去の暗い話をして盛り上がっているのについていけなかったこともあったそうです)
加藤充は39歳の時にスタジオミュージシャンを廃業していた
また、スタジオミュージシャンの仕事の方も、勝手の違う世界になかなか馴染めず、だんだん辛くなってきたそうで、1973年、39歳の時には、ついに、スタジオミュージシャンも辞めたのだそうです。
ちなみに、それからすぐ、「渡辺プロダクション」の出版関係の仕事を紹介してもらったそうですが、話を聞きに行くと、副社長の渡邊美佐さんに、
カッペちゃん(加藤充さんのこと)、あんたを使いたい気持ちあるんだけど、あんたの後ろに田辺さんの顔が出てきてしまって・・・お互い使いづらいし、使われづらいでしょ。
と、言われ、断られてしまったそうです。
(加藤充さんは、行く気でいたそうですが、今となっては、入っていたら気まずい思いをしたかもしれないと思い、断ってもらって良かったと思っているそうです)
その後、歌手で俳優のアイジョージさんのマネージメントをするようになったそうですが、それも半年ほどで辞め、その後も、堺正章さんや井上堯之さんなどに、いろいろと仕事を紹介してもらったそうですが、全部断ったそうで、
心配してくれた井上堯之さんには、
カッペちゃんそれじゃあ土方(土建屋)しかないぞ。
と、怒られてしまったといいます。
加藤充は40歳の頃、知り合いの保険会社に営業として入社していた
そんな加藤充さんは、その後、知り合いが部長をしていた保険会社に入社し、営業担当(飛び込み営業)となったそうで、
当初は、周囲から保険なんかできるのかと言われたそうですが、2ヶ月目で、支社の新人で2位という優秀な成績を収めたのだそうです。
(「ザ・スパイダース」時代よりも高収入を得たそうです)
加藤充は46歳の時に会社員として「ザ・スパイダース」再結成に参加していた
そんな中、1981年1月、46歳の時には、「サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル~俺たちは走り続けている!」が開催され、「ザ・スパイダース」が再結成したことから、加藤充さんもメンバーの一員として出演したそうですが、これが、加藤充さんのステージでの最後の仕事となったそうです。
ちなみに、加藤充さんは、この時のことを、
電話があって、(「ザ・スパイダース」再結成にあたり)夜の10時から2時まで練習やるから来いと言われて。こっちは朝8時から仕事があると言うのに(笑)
終わったら帰れるかと思ったら、その後食事に行ったりして、もうホテルで1時間位しか寝られなくて、そのまま会社に行きました。それが4日間くらいありましたね。
と、語っています。
加藤充はしばらくの間「ザ・スパイダース」のメンバーと音信不通となっていた
こうして、加藤充さんは、芸能界から遠ざかり、芸能関係者とは音信不通となっていたそうですが、
(井上順さんは、「徹子の部屋」に出演した際、加藤充さんに向かって呼びかけ、堺正章さんも、ラジオ番組で「ザ・スパイダース」の話をしていた際、メンバーの中で加藤充さんだけが連絡が取れない旨を明かし、「カッペちゃん、聞いてる?」と呼びかけていたそうです)
その後、(時期は不明ですが)加藤充さんがメンバーに、「ご無沙汰しています」と手紙を出すと、唯一、田邊昭知さんからのみ返事が来たそうで、
(メンバーは、田邊昭知さん以外全員引っ越していて、田邊昭知さんに出した手紙以外全て戻ってきたのだそうです)
田邊昭知さんの秘書から、
○月○日に井上順さんのパーティーがあるから出席して貰えませんか。
と、電話があり、井上順さんのパーティーに出席すると、以降、他のメンバーとも交流を持つようになったそうです。
加藤充の現在は?
そんな加藤充さんは、保険会社は、1992年頃(加藤充さん58歳)、ケンカして辞めるまで続けたそうで、その後、東京・練馬区に住んでいたそうですが、
奥さんと義理の母親(奥さんの母親)が相次いで他界されたそうで、思い出を振り切るため、2013年頃(加藤充さん79歳)、埼玉県所沢市に引っ越したそうです。
すると、所沢のネイブスタジオで、ミュージシャンのオイリー北川さんや高木宏真さんらと交流を持つようになり、バンド「カッペちゃんオールスターズ」を結成し、再び、ベーシストとして活動するようになったのだそうです。
実は、加藤充さんが会社員として働いていた時(保険会社とは別の会社だと思われます)、何気に、職場の上司に、井上順さんのパーティーに行ってきたことを、その時の写真を見せながら話したことがあったそうですが、
当時40歳前後だった上司が「ザ・スパイダース」を知らず、別の女性に「スパイダースって知ってる?」と尋ねると、なんと、その女性はかつて追っかけをしていた程の「ザ・スパイダース」の大ファンだったそうで、
その女性がネイブスタジオの常連客であるIさんに話すと、ネイブスタジオで新しく「GS(グループ・サウンズ)セッション」というイベントを開催することになり、高木宏真さんやIさんの間で、
初回ゲストに加藤充さんが来てくれたら非常に盛り上がる
と、なったそうで、
そこで、前述の、昔「スパイダース」の追っかけをしていた女性を通じて、Iさんたちが、加藤充さんに、
ぜひイベントに来ていただけませんか?
と打診すると、加藤充さんは快諾したそうで、
これがきっかけとなり、加藤充さんはネイブスタジオへ通うようになり、再びミュージシャンとして活動するようになったのだそうです。
ちなみに、加藤充さんは、
(ベースを弾くのは)20何年ぶりですね。それ以来触りもしなかったですから、手が痛かったですね。手が開かないんですよ。でも、なんだか洋物を聞いているとからだが動いてくるんですよね。
と、語っており、
2026年2月、91歳となった現在も、ライブハウスやグループサウンズのイベントなどで、精力的に活動しています。

さて、いかがでしたでしょうか。
加藤充さんの、
- 加藤充の生い立ちは?中学時代は讃美歌!高校では大学のカントリーバンド!
- 加藤充のプロフィール
- 加藤充の愛称「カッペちゃん」の由来は?
- 加藤充は11歳頃にギターを習い始めるも指の練習が面白くなくて3日でやめ独学でギータを習得していた
- 加藤充は中学1~2年生の頃に合唱団に選ばれ教会で讃美歌を歌っていた
- 加藤充は高校時代は大学生と偽ってカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」で活動していた
- 加藤充は大学進学&中退後も米軍キャンプやジャズ喫茶巡りをするなど音楽活動を続けていた
- 加藤充は21歳頃に高校2年生だった大野克夫と知り合っていた
- 加藤充は28歳の時に音楽をやめ実家の寿司屋で修行を始めていた
- 【画像】加藤充の若い頃は「ザ・スパイダース」のベースでブレイク!
- 加藤充は28歳の時、田邊昭知にスカウトされ「ザ・スパイダース」に加入
- 加藤充が28歳の頃、「ザ・スパイダース」はジャズや歌謡曲を演奏していた
- 加藤充が29歳の頃、「ザ・スパイダース」は「ビートルズ」のような音楽に方向転換していた
- 加藤充が32歳の頃、「ザ・スパイダース」はビートルズの前座を断っていた
- 加藤充は31歳の時に「ザ・スパイダース」として1stシングル「フリフリ」でレコードデビューするも人気はパッとしなかった
- 加藤充は32歳の時「ザ・スパイダース」として「夕陽が泣いている」が売上120万枚を超える大ヒットを記録
- 加藤充は「ザ・スパイダース」の人気絶頂期に辞めさせられそうになっていた
- 加藤充が33歳の頃、「ザ・スパイダース」の人気に陰りが見え始めていた
- 加藤充が36歳の時に「ザ・スパイダース」は解散
- 【画像】加藤充のスパイダース解散後から現在までの経歴は?保険会社勤務も!
- 加藤充が37歳の頃はスタジオミュージシャンとして活動していた
- 加藤充が37歳の頃は北原じゅんの事務所や北島三郎の「北島音楽事務所」の手伝いもしていた
- 加藤充は39歳の時にスタジオミュージシャンを廃業していた
- 加藤充は40歳の頃、知り合いの保険会社に営業として入社していた
- 加藤充は46歳の時に会社員として「ザ・スパイダース」再結成に参加していた
- 加藤充はしばらくの間「ザ・スパイダース」のメンバーと音信不通となっていた
- 加藤充の現在は?
について、ご紹介しました。
「ザ・スパイダース」のメンバーでは、既にかまやつひろしさん、井上堯之さんが亡くなっている中、最年長でありながら、2026年現在も、92歳で、ライブハウスやグループサウンズのイベントなどで、精力的に活動している加藤充さん。
これからも、一日でも長く、元気にステージに立ち続けてほしいものです。
![]()
1965年、「ザ・スパイダース」として、1stシングル「フリフリ」でデビューすると、7枚目のシングル「夕陽が泣いている」が120万枚を超える大ヒットを記録し、一躍、スターダムに駆け上った、加藤充(かとう みつる)さん。 …







