山本浩二は広島初優勝で衣笠祥雄と抱き合って大泣きしていた! 野球 1975年、初めて経験する優勝争いのプレッシャーと広島のうだるような暑さに、心身ともに疲れ切っていたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、最終的には、打率3割1分9厘(首位打者)、30本塁打、84打点という素晴 […] 続きを読む
山本浩二は初優勝直前に「広島ファン2000人暴徒化事件」に遭っていた! 野球 1975年、球宴(オールスター・ゲーム)の直前から広島カープの4番に定着し、同年7月19日、甲子園球場で行われた球宴(オールスター・ゲーム)第1戦では、衣笠祥雄選手とともに2打席連続アベックアーチを放ち、世間に「赤ヘル旋 […] 続きを読む
山本浩二が若い頃は衣笠祥雄と赤ヘル旋風を巻き起こしていた! 野球 1975年シーズンは、ジョー・ルーツ新監督のメジャー流の教えが肌に合い、練習に手応えを感じていたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、その後、ルーツ監督が、わずか15試合で監督を辞任した後、一気に才能を開花させ、衣 […] 続きを読む
山本浩二はジョー・ルーツ監督のメジャー式がハマっていた! 野球 プロ4年目の1972年7月8日には、10打席連続安打の日本記録まであと1つというところまで迫まるも、残念ながらセ・リーグ記録の9打席連続安打で止まってしまい、悔しい思いをしたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが […] 続きを読む
山本浩二は9打席連続安打のセ・リーグ記録を樹立していた! 野球 広島入団1年目の1969年オフに、関根潤三ヘッドコーチと広岡達朗内野守備コーチが就任し、厳しく鍛えられると、2年目の1970年は、自身も試合以外は素振りに明け暮れる毎日を送り、シーズンオフには、米アリゾナ州の教育リーグに […] 続きを読む
山本浩二の広島入団2年目は野球漬けの日々を送っていた! 野球 プロ1年目の1969年は、120試合に出場して、打率2割4分、12本塁打、40打点で、規定打席にもギリギリ到達するも、大学とプロの違いを痛感し、このままではダメだと思ったという、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、このオ […] 続きを読む
山本浩二の広島入団1年目の成績は?初本塁打は?デビュー戦は? 野球 1968年11月12日のドラフト会議で、広島カープから1位指名を受け、相思相愛で広島カープに入団した、山本浩二(やまもと こうじ)さん。今回は、そんな山本さんの入団1年目の成績ほか、デビュー戦、初ヒット、初本塁打などをご […] 続きを読む
山本浩二はドラフト1位で広島カープに入団していた! 野球 1968年、大学4年生の春のリーグ戦で、富田勝さん、田淵幸一さんと共に活躍し、「法政三羽烏」と呼ばれた、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、同年11月12日のドラフト会議で、広島カープから1位指名を受け、相思相愛で広島カ […] 続きを読む
山本浩二は大学時代に法政三羽烏(田淵幸一・富田勝と共に)と呼ばれていた! 野球 大学2年生の春、松永怜一監督に投手から野手にコンバートされると、春の新人戦で活躍し、同年秋の東京六大学野球リーグ戦ではレギュラーとしてベンチ入りした、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、4年生の時には、ついに5番に抜擢さ […] 続きを読む
山本浩二は法政大学2年の時に投手から外野手に転向していた! 野球 法政大学野球部では、1年生部員だけで70~80人いる中、なかなか抜きん出ることが出来ず、球拾いと先輩の打撃投手ばかりさせられていたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、2年生になると、松永怜一監督に投手から外野 […] 続きを読む