1950年、映画「羅生門」が第12回ベネチア国際映画祭グランプリを受賞し、日本映画の存在を世界に知らしめると、その後も、映像により日本文化を海外に伝えるほか、困難に立ち向かっていく人間を力強く描いた作品を次々と発表し、今もなお、世界に影響を与え続けている、黒澤明(くろさわ あきら)さん。
そんな黒澤明さんは、プライベートでは、女優の矢口陽子さんと結婚しています。
今回は、黒澤明さんの、矢口陽子さんとの馴れ初め、結婚後の関係(夫婦仲)についてご紹介します。
「黒澤明の若い頃は?監督デビューからの代表作(映画)や経歴を時系列まとめ!」からの続き
黒澤明の妻・矢口陽子との馴れ初めは?
黒澤明さんは、1945年3月頃(黒澤明さん34歳)、女優の矢口陽子さん(23歳)と結婚しています。
黒澤明さんの妻・矢口陽子さん。
黒澤明さんは、1944年、監督第2作目「一番美しく」で主演を務めた矢口陽子さんと知り合うと、プロデューサーの森田信義さんの勧めで、矢口陽子さんと結婚したそうで、
黒澤明さんは、「一番美しく」完成直後、矢口陽子さんにプロポーズすると、矢口陽子さんもプロポーズを受け入れ、山本嘉次郎監督夫妻の媒酌で、明治神宮で結婚式を挙げたそうです。
ちなみに、妻の矢口陽子さんは、
(黒澤明さんから)たくさんの手紙をもらって口説かれた
と、語っています。
(結婚のいきさつについては諸説あるようです)
黒澤明は結婚後は妻・矢口陽子に生活の全てをサポートされていた
結婚後、矢口陽子さんは女優業をきっぱり引退し、家庭に入ると、黒澤明さんが気持ちよく映画を撮れるように、生活全般をサポートしていたそうで、
矢口陽子さんは、もともと料理はできなかったそうですが、料理ができないと監督の嫁は務まらないと、料理を勉強し、宴会の準備のほか、黒澤明さんだけではなく、スタッフのお弁当作りまでしていたといいます。
そんな矢口陽子さんを、周りの人たちは”ゴッドマザー”と呼んでいたそうですが、
黒澤明さんの娘の黒澤和子さんは、
黒澤映画の半分は母が支えたというか・・・。うちの母が仕事以外のことは考えさせないようにしていたんです。もう本当に、全部やってもらっていた。
家庭とか、親戚付き合いとかお金のこととか、考えなくていいですよ、映画だけやっていいよ、っていう、環境にしてもらっていたんです。
うちの母がみんなに食べさせたお肉代が、月100万以上になって、税務署の人に「月に100万肉食う家があるか!」って言われて、「それが疑問だったらあなたうちに食べにきなさい」といったこともありました。
と、語っており、
矢口陽子さんは、黒澤明さんが、唯一頭が上がらない人だったそうです。
ただ、黒澤明さんは、本当に映画のことしか頭になく、ある時、外国に行ったお土産に、矢口陽子さんに洋服を買ってきたことがあったそうですが、サイズが小柄な矢口陽子さんには大きすぎたそうで、
矢口陽子さんは、
何十年も一緒に暮らしているのに、私の大きさも知らないで
と、嘆いていたといいます。
黒澤明の妻・矢口陽子は映画界に未練があった?
こうして、黒澤明さんと結婚後は、内助の功に務めていたという矢口陽子さんですが・・・
1949年の「アサヒグラフ」のインタビューでは、
(長男の黒澤久雄さんが5歳になったことから)もう一度カムバックして個性のある脇役をやってみたいと思います。
黒澤の演出する女性はいつも気の強い女性ばかりですが、もっと、女のやわらかい面を表したものを撮ってもらいたいと思います
と、語っており、
映画界には未練があったようです。
(矢口陽子さんは、1946年公開の映画「煉瓦女工」に出演していますが、これは1940年に完成したもので、戦前の検閲に通過できず、公開が戦後の1946年になったのだそうです)
「黒澤明の子供は息子と娘!長男は黒澤久雄!長女は黒澤和子!」に続く
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