倍賞千恵子のデビュー当初は映画女優が嫌で嫌で仕方なかった!
初舞台「東京踊り」で、初代バトンガール(鼓笛隊の指揮者)として、浅草の国際劇場の大階段を歩いて下りている姿が、雑誌に掲載され、その写真を見た「松竹」のスタッフにスカウトされて、映画デビューを果たされた、倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)さんで・・・
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初舞台「東京踊り」で、初代バトンガール(鼓笛隊の指揮者)として、浅草の国際劇場の大階段を歩いて下りている姿が、雑誌に掲載され、その写真を見た「松竹」のスタッフにスカウトされて、映画デビューを果たされた、倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)さんで・・・
幼い頃から歌が上手で、小学生の時、お姉さんと一緒に応募した「NHKのど自慢大会」で見事本選に合格すると、スカウトされて、「みすず児童合唱団」に入団し、童謡歌手として活動していた、倍賞千恵子(ばいしょう ちえこ)さんは、一旦は都立高校への進学・・・
1958年、「東芝日曜劇場」の第93回「橋づくし」でデビューされて以来、50年以上もの間、プロデューサーとして活躍されている、石井ふく子(いしい ふくこ)さん。今回は、そんな石井さんのデビューからのプロデュースドラマと演出舞台を画像を交えて・・・
芸者のお母さんのもと、婚外子として誕生すると、高校生の時には、お母さんが俳優の伊志井寛さんと結婚し、3人家族となった、石井ふく子(いしい ふくこ)さんですが、やがて戦争が始まると、生活が大きく変わっていきます。
1955年、映画「忍術児雷也」でデビューすると、白塗りの二枚目として、次々と主演に起用されるもぱっとせず、以降、長らく脇役に甘んじるも、1968年、映画「博奕打ち 総長賭博」での演技が認められると、「緋牡丹博徒」シリーズ、「前科者」シリーズ・・・
1956年、映画「電光空手打ち」でデビューして以来、 50年以上もの間、映画俳優として活躍された、高倉健(たかくら けん)さん。今回は、そんな高倉さんのデビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。
大学進学後は、酒とケンカに明け暮れる、無軌道な日々を送っていた、高倉健(たかくら けん)さんですが、ある偶然の出会いから、俳優になることに。そして、会社からは特別待遇でバックアップを受けるのですが・・・
50年以上もの間、テレビドラマ、映画、舞台と、数々の作品に出演されている、泉ピン子(いずみ ぴんこ)さん。今回は、そんな泉さんのデビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。
中学3年生で歌手として活動を始めるも、自身の容姿ではスターにはなれないと感じ、18歳の時、漫談歌手に転身した、泉ピン子(いずみ ぴんこ)さんですが、なかなか芽が出ません。しかし、27歳の時、ついに、バラエティ番組「ウィークエンダー」で人気が・・・
伊東四朗さんとコンビを組み、「電線音頭」や「しらけ鳥」で大ブレイクした、小松政夫(こまつ まさお)さんですが、やがて、ブームが去ると、俳優業がメインとなっていきます。今回は、そんな小松さんのデビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。
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