中西太は中学3年生で春の高校野球(選抜甲子園)に出場していた! 野球 中学進学後は、野球部に入部すると、もともと軍人に憧れていたこともあり、厳しい下積みの中でも、心身の鍛錬が上達の道だと信じて疑わず、もくもくと練習に励んだという、中西太(なかにし ふとし)さんは、1年生の時から頭角を現して […] 続きを読む
中西太は幼少期に三角ベースに夢中になり少年時代から強打者だった! 野球 12歳の時には空襲に遭うも、奇跡的に逃がれて生き残ったという、中西太(なかにし ふとし)さんは、終戦後は、健康優良児ですくすくと育ったそうで、小学校の担任の先生に教えてもらった野球(三角ベースボール)に夢中になったといい […] 続きを読む
田淵幸一は王貞治の55本塁打を上回るペースも死球で左手首を骨折していた! 野球 1982年には、プロ入り14年目にして、初のリーグ優勝と日本一を経験した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、1983年には、王貞治さんのシーズン55本塁打を上回るペースで本塁打を量産していたそうですが、7月13日に死球 […] 続きを読む
田淵幸一は西武・堤義明オーナーの発想や理念に驚いていた! 野球 西武の根本陸夫監督の人柄に惹かれて、西武へのトレードを受け入れた、田渕幸一(たぶち こういち)さんは、1978年11月、西武に移籍すると、新球団である西武の堤義明オーナーの斬新な発想や理念などに驚かされたといいます。 続きを読む
田淵幸一は根本陸夫監督に惹かれ西武への移籍を受け入れていた! 野球 阪神では10年間で320本塁打して看板選手として活躍するも、1978年のシーズン終了後、阪神球団に、非常識にも、深夜に呼び出され、西武へのトレードを告げられたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、一時は、引退するこ […] 続きを読む
田淵幸一が阪神からトレードに出された理由とは? 野球 1968年に阪神タイガースに入団して以来、1978年までの10年間で、球団史上最多本塁打となる通算320本塁打を放ち、ミスタータイガースと呼ばれていたにもかかわらず、1978年には、まさかのトレードを通告された、田淵幸一 […] 続きを読む
田淵幸一は本塁打王の年に左手首負傷も右腕1本で2本塁打していた! 野球 1975年には、43本塁打を放ち、巨人の王貞治さんが13年君臨していた本塁打王の座を奪取している、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、5月29日、中日8回戦で鈴木孝政投手の快速球が左手首に当たり、骨折こそしなか […] 続きを読む
田淵幸一は首位巨人と1ゲーム差の直接対決で逆転満塁本塁打を放っていた! 野球 1973年、阪神タイガースは、9月23日から10月10日の間、7連勝と4連勝を含む11勝1敗で、一気に首位の巨人を抜き去り、首位に立っているのですが、その躍進には、主軸を担っていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんも大き […] 続きを読む
田淵幸一は江夏豊の球宴9連続三振の時の捕手だった! 野球 プロ入り2年目の1970年には、広島の外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、プロ入り3年目の1971年には、「急性腎炎」を患い、開幕から2ヶ月以 […] 続きを読む
田淵幸一は外木場義郎からこめかみ死球の前に肘にも死球を受けていた! 野球 1970年8月26日の広島戦で、外木場義郎投手から左こめかみに死球を受け、4日間もの間、意識不明となっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、実は、この日、外木場投手からは、最初の打席にも肘に死球を受けていたとい […] 続きを読む