田淵幸一は阪神入団直後のオープン戦では内角を攻められ打てなかった! 野球 1969年1月の合同自主トレでは、長距離打者として高く評価されるも、2月に始まったキャンプでは、「内角高め」に弱いことが発覚した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、その後、連日、強化特訓に励むも、同月22日の阪急ブレー […] 続きを読む
田淵幸一は阪神入団直後「内角高め」が全く打てなかった! 野球 1968年12月17日、阪神と正式に契約を交わした、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、翌年1月から始まった合同自主トレでは、捕手としてはまずまずの評価も、打者としては長距離打者として高く評価されていたのですが、高知・安 […] 続きを読む
田淵幸一の背番号22は前々年ドラ1の西村公一から譲り受けたものだった! 野球 阪神入団を拒否し、社会人野球に入ると明言するも、希望球団だった巨人の沢田幸夫スカウトと密会しようとしたところをスクープされ、観念して阪神に入団した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、背番号「22」を着けることになるので […] 続きを読む
田淵幸一の阪神入団は巨人スカウトとの密会がバレ止むを得ずだった! 野球 阪神からドラフト1位で指名されるも、ドラフト前に一度も挨拶に来なかった不信感から、社会人野球に入るつもりだったという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、希望球団である巨人の沢田幸夫スカウトと密会しようとしたところを […] 続きを読む
田淵幸一は阪神のドラフト1位指名に入団拒否していた! 野球 1度も挨拶に来なかった阪神が、ドラフトでいきなり1位指名してきたことに、怒りが爆発した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、阪神へは入団せず、社会人野球に行くことを断言していたといいます。 続きを読む
田淵幸一はドラフトで阪神に1位指名されていた! 野球 ドラフト前に、巨人の監督・川上哲治さんに熱心にスカウトされると、もともと巨人ファンだったことから、巨人入り以外は考えられなくなり、もし、巨人以外から指名されたら、社会人に進もうとまで考えていたという、田淵幸一(たぶち こ […] 続きを読む
田淵幸一は川上哲治に巨人入りを熱心に誘われていた! 野球 東京六大学野球で通算22本塁打という新記録を樹立した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、ドラフトを前に、5球団から誘われる中、憧れの巨人の川上哲治監督から熱心に誘われ、巨人入り以外は考えられなくなっていたそうですが・・ […] 続きを読む
田淵幸一は東京六大学野球で通算22本塁打の新記録を達成していた! 野球 1965年春、慶應戦で東京六大学野球リーグ第1号を放つと、その後も、安定したバッティングでホームランを量産した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、結局、大学4年間で22本塁打を放ち、それまでの東京六大学野球リーグ記録だ […] 続きを読む
田淵幸一はアジア大会日本代表に1年生で唯一選ばれていた! 野球 高校時代の恩師である松永監督が法政大でも監督だったことから、1年生にもかかわらず、すぐにユニフォームを着させてもらうほか、エリートしか入れない合宿所(寮)にも入れてもらったという、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、当初 […] 続きを読む
田淵幸一は法政大では1年生ながら特別待遇を受けていた! 野球 高校1年生の時、球拾いが嫌でブルペン捕手に志願すると、やがて、松永怜一監督から本格的に捕手をするように言われ、マンツーマンの特訓を受けたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、高校卒業後、法政大学に進学すると、ち […] 続きを読む