俳優の加山雄三さんと元女優の松本めぐみさんを両親に持ち、花火師、音楽家、画家、映像作家、ゲーム開発など、お父さん譲りのマルチな才能を多方面で発揮している、池端信宏(いけはた のぶひろ)さん。

今回は、そんな池端信宏さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を、生い立ちを交えて時系列でまとめてみました。

池端信宏

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池端信宏のプロフィール

池端信宏さんは、1972年7月14日生まれ、
神奈川県の出身、

学歴は、
慶應義塾大学幼稚舎
⇒慶應義塾大学普通部(中学校)
⇒ハイランド高校(Highland High School)留学、卒業
⇒ソルトレイクシティ・コミュニティ・カレッジ(Salt Lake Community College)卒業

ちなみに、池端信宏は本名で、

お父さんは、俳優の加山雄三さん、
お母さんは、元女優の松本めぐみさん、
妹(長妹)は、料理研究家の梓真悠子さん、
弟は、俳優の加山徹さん、
妹(次妹)は、女優の池端えみさん、

また、昭和の二枚目スターの上原謙さんはおじいさん、という芸能一家です。

池端信宏が幼い頃は両親から「我が家のトットちゃん」と呼ばれていた

池端信宏さんは、俳優の加山雄三さんと元女優の松本めぐみさんのもと、4人きょうだい(弟1人、妹2人)の長男として誕生したそうですが、幼い頃は、両親から、「我が家のトットちゃん」と呼ばれていたといいます。

というのも、学校の授業中、先生の話を聞かずにずっと窓の外を眺め、勉強はまったくせず、テストはいつも白紙で提出するなど、ちょっと変わった子供だったそうで、

そんなところが「トットちゃん」(黒柳徹子さんの幼少期を綴った自伝「窓際のトットちゃん」)に似ている、という理由だったそうです。

ちなみに、お父さんの加山雄三さんは、そんな池端信宏さんについて、

ほんとに親としてはね、苦労しました。未熟児で、7ケ月で生まれたんですね。

親としては、この子は無事に育ってもらいたいと、それだけを祈りながら一生懸命育ててきたんですが、小学校に入ってからもうエピソードは数え切れないくらいろいろいろあるんですけど。

と、語っています。

池端信宏は16歳の時にアメリカの高校に留学し、音楽活動を始めるほか花火師の免許を取得していた

そんな池端信宏さんは、中学校卒業後の16歳の時には、アメリカ合衆国ユタ州のソルトレイクシティにあるハイランド高校(Highland High School)に留学し、現地で音楽活動を始めたそうですが、

その一方で、町の花火大会の手伝いをして、花火に興味を持つようになったそうで、16歳の時には、ユタ州で花火師の免許を取得したそうです。

池端信宏が23歳の時には「FLYING HIGH」でミュージシャンデビュー

そして、1992年、20歳の時、ハイランド高校を卒業すると、ソルトレイクシティ・コミュニティ・カレッジ(Salt Lake Community College)に進学し、アートを専攻したそうですが、

大学在学中の1995年、23歳の時には、父・加山雄三さんのバンド「ランチャーズ」のメンバーだった喜多嶋修さんのプロデュースにより、「FLYING HIGH」をリリースし、ミュージシャンとしてデビューしています。

池端信宏
「FLYING HIGH」

また、大学では花火好きのサークルに所属し、自分たちで制作した花火を砂漠で打ち上げては楽しんでいたそうです。

池端信宏は36歳の時に花火師(花火演出)の仕事を本格的に手掛けるようになっていた

そんな池端信宏さんは、1998年、25歳の時、ソルトレイクシティ・コミュニティ・カレッジを卒業すると、しばらくアメリカに滞在した後、25~26歳頃に帰国し、帰国後は、CGデザイナーとしてデザイン関係の仕事をしていたそうですが、

2008年、36歳の時には、アメリカ留学中に興味を持った花火師(花火演出)の仕事を本格的に手掛けるようになったそうで、

お父さんの加山雄三さんは、池端信宏さんとのトークショーで、

(池端信宏さんがアメリカから帰国後)たまたま僕が好きだからっていうことで、花火をどっかで上げたいなあ、それで湯沢でもってスキー場をやってたときに、夏もなんかイベントをやろうと思ったときに、こいつ(信宏さん)に花火を上げさせたんですね。そっから味を占めたらしく・・・。

と、語っています。

また、池端信宏さんは、2008年~2014年には、日本一との呼び声高い「長岡花火大会『天地人花火』」のプロデュースもしているのですが、地元の花火師からも高評価だったといいます。

(池端信宏さんは、花火だけでなく、音楽も融合させており、作曲も担当しています)

「長岡花火大会『天地人花火』」
「長岡花火大会『天地人花火』」。

ちなみに、池端信宏さんは、そのほかにも、

  • 1992年「ユタ州ソルトレイクシティー、リバティーパーク開拓記念日花火大会」
  • 1992~1997年「UPA(Utah Pyrotechnics Associations) 花火大会」
  • 2003~2005年「第1〜3回 安良里港花火大会」
  • 2006年「多摩川点火祭フィナーレ」
  • 2007年「土浦全国花火競技大会 新潟煙火工業 共同制作」
  • 2007年「新潟県長岡市 復興支援コンサート 震災復興祈願花火」
  • 2012年「ホノルルフェスティバル「長岡花火」
  • 2014年「香川県高松市「All Japan Project 特別記念花火」
  • 2015年「千葉県木更津市「木更津バレンタイン冬花火」
  • 2015~18年「栃木県栃木市「第2回~5回蔵の街花火大会」
  • 2016年「リオオリンピック閉会式「フラグハンドオーバーセレモニー」花火
  • 2017年「塩沢夏祭り花火大会「青木酒造300周年記念花火」
  • 2017年「横浜DeNAベイスターズ イベント花火」
  • 2018年~2019年「北國花火金沢大会」
  • 2018年「岡崎城下家康公夏祭り 第70回花火大会」
  • 2018年「ベラビスタ スパ&マリーナ尾道 特別記念花火」
  • 2021年「某テレビ局にて年越し番組内のCG花火」
  • 2021年「すざか花火プロジェクト」

などの花火大会や花火イベントを、数多く手掛けています。

池端信宏は38歳の時には画家としての活動も始めていた

そんな池端信宏さんは、大学ではアートを専攻しており、2010年、38歳の時には、画家としても活動しています。

池端信宏
個展を開く池端信宏さん。

池端信宏が51歳の時には父・加山雄三の為にシニア向けゲーム「平安ウォーク」を開発

また、池端信宏さんは、2024年、51歳の時には、シニア向けゲーム「平安ウォーク」を開発しているのですが、

このゲームは、利用者が実際に歩いた歩数に応じてサイコロを振ることができ、出た目の数だけすごろくのようにコマを進ませることで、スマホの画面上に現れる平安の町をにぎわしていくというゲームだそうで、

2019年に軽度の脳梗塞を起こしたお父さんの加山雄三さんの為、

健康のためにも、かつて散歩番組に出演していた頃のように、もっと歩いてもらいたい

と、作ったのだそうです。

ちなみに、加山雄三さんは、

よくこんなの一人で作ったな。すげーよ

と、喜んでくれたそうです。

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池端信宏は結婚してる?子供は?

そんな池端信宏さんのプライベートですが、池端信宏さんは、2009年にトーク番組「徹子の部屋」に出演した際、奥さんについて語っていたと言われているのですが、真偽は不明です。

また、子供についても、明かしていないため不明です。

お読みいただきありがとうございました

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