石井ふく子の年齢は?父親は?若い頃は?ありがとうで水前寺清子と!

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1947年に「大江戸の鬼」で女優デビューされるも、1949年には引退し、「日本電建」に就職された、石井ふく子(いしい ふくこ)さん。当時、「日本電建」は、TBSのスポンサーだったため、石井さんは収録現場に立ち、制作のアイディアを出されていたのですが、そのうち、TBSにその腕を認められてプロデューサーにスカウト。その後3年間は「日本電建」とTBSの二足のわらじで活動され、1961年からは正式にTBSに入社。以降、数多くのホームドラマをプロデュースされています。




プロフィール!


石井さんは、1926年9月1日生まれ(2017年で91歳)、
東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区下谷)のご出身、

血液型はA型、

学歴は、
東京女子経済専門学校、
(現在の新渡戸文化中学校・高等学校)

だそうです。


父親は?


石井さんのお母さんは、「分川本の君鶴」と呼ばれた、
売れっ子の芸者、三升延さんで、
未婚のまま石井さんを出産されており、

石井さんは、働くお母さんの代わりに、
おばあさんに育てられ、お母さんとおばあさんの、
3人で暮らされたそうです。


三升延さんと石井さん(5歳頃)

そして、石井さんが高校生くらいの時、
お母さんは、劇団「新派」の俳優、
伊志井寛(いしい かん)さんと結婚。

ただ、伊志井さんは、入籍される際、
連れ子である石井さんの入籍を拒否したため、

お母さんは、いったん、石井さんを祖母の籍に入れ、
後に、石井さんを養子として迎えるという、
複雑な手続きをされています。

石井さんは、伊志井さんとは、
家族のように一緒に暮らされていたものの、
血縁上においても、戸籍上においても、
他人であったようです。


石井さんと伊志井寛さん(ひな祭り)


長谷川一夫宅に居候~「新東宝」の女優としてデビュー


やがて、戦争が始まり、
石井さん一家は山形に疎開。

石井さんが19歳のときには、
戦争は終わるのですが、

一家が帰京すると、元の家は、
空襲で焼け落ちてしまっており、
住む家に困っていたところ、

義父である伊志井さんが、
友人で俳優の長谷川一夫さんに新宿で偶然再会。

すると、事情を知った長谷川さんに、
自宅に来るように勧められ、長谷川さんの家に、
一家で居候することになります。

そして、ようやく生活が落ち着き、
石井さんが就職先を探し始め、
なかなか見つからずにいると、

長谷川さんから、

新東宝でニューフェイスを募集している、
給料ももらえるから受けてみなさい、推薦しておく。

と言われ、「新東宝」を受験すると、合格。

石井さんは、1947年、
長谷川さん主演の「大江戸の鬼」で、
スクリーンデビューを果されたのでした。

「日本電建」に入社


ただ、石井さんは、華やかな映画の世界に馴染めず、
たった2年で「新東宝」を退職。

1950年には、新聞広告を見て応募した、
「日本電建」という会社に入社し、宣伝部に配属されるのですが、

この会社はTBSのスポンサーだったことから、
TBSのラジオドラマの収録に立ち会うことがあり、
(この当時はテレビはなく、ラジオしかありませんでした。)

現場におもしろさを感じていた石井さんは、
よくスタジオに顔を出すようになったそうで、

次第に、

「次は何をやりましょうか」

と、アイディアを求められるようになったのでした。

TBSのプロデューサーに


その後、テレビが開局すると、石井さんはTBSから、
日曜劇場のプロデューサーになるよう勧められるのですが、

石井さんは、まだ「日本電建」の社員だったため断られると、
TBSの社長が、直接「日本電建」の社長に掛け合われ、

「日本電建」の社長から、

君の才能はテレビで伸びるかもしれない、
会社とテレビの仕事、掛け持ちでやってみろ。

と、言われたそうで、

石井さんは、月曜日から金曜日は会社の仕事、
土曜日と日曜日はテレビの仕事、と休みなしで、
仕事を掛け持ちすることに。

そして、3年後の1961年には、
「日本電建」を退職し、正式にTBSの社員となられると、

以降、

1965年~1980年「女と味噌汁」
1968年~1972年「肝っ玉かあさん」
1970年~1975年「ありがとう」
      1970年「カミさんと私」


「肝っ玉かあさん」より。(左から)京塚昌子さん、
山口崇さん、長山藍子さん。


1974年~1993年「おんなの家」
1976年~1984年「ぼくの妹に」
      1975年「はじめまして」
      1977年「家族」


「おんなの家」より。(左から)和泉雅子さん、
山岡久乃さん、杉村春子さん、奈良岡朋子さん。


1978年~1979年「道」
1979年~1980年「愛」
1980年~1981年「心」
      1981年「出会い」

など、数々のホームドラマを制作。

中でも、「渡る世間は鬼ばかり」は、
1990年~2011年まで続く長寿番組となり、
国民的な人気を博したのでした。


「渡る世間は鬼ばかり」より。(左から)野村真美さん、
藤田朋子さん、宇津井健さん、泉ピン子さん、中田喜子さん、長山藍子さん。


「ありがとう」


ところで、石井さんは、1970年~1975年まで、
テレビドラマ「ありがとう」のプロデューサーを務められているのですが、

主人公を誰にしようかと思案していた、
石井さんの目に留まったのが、

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった、
歌手の水前寺清子さん。

それで、多忙だった水前寺さんとは、
ゆっくり話すひまがなかった石井さんは、
水前寺さんがお手洗いから出てきたところを

「ドラマに出てくれないか」

と、口説かれたそうで、

なんと、当時大スターだった水前寺さんに向かって、

「あなたは美人じゃないところがいい」

と、7回も連呼。

すると、水前寺さんも、

「おもしろい方だな」

と思われたそうで、
ドラマ出演を引き受けられたのだそうです。

ちなみに、山岡久乃さんと水前寺さんが母娘を演じた、
このホームドラマは、視聴率56.3%を記録。

この記録はいまだに更新されておらず、
民放ドラマの最高視聴率を誇っています。


「ありがとう」より。(左から)水前寺清子さん、
石坂浩二さん、井上順さん。


さて、いかがでしたでしょうか?

義理の父、伊志井寛さんが亡くなった時には、
伊志井さんの実子に遺産の分配を求めるも、
継子である石井さんには相続権が存在しなかったことを、
著書「想い出かくれんぼ」に記されている石井さん。

数多くのホームドラマを手がけられたのは、
このような複雑な生い立ちが、
少なからず影響を与えたのでしょうね。

いまだ現役バリバリの石井さんですが、
すでに、90歳をまわる高齢なので、
お体には十分に気をつけながら、
活動を続けてほしいですね。

応援しています!!



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