1984年、「胸騒ぎ、ザワ、ザワ、ザワ」のキャッチコピーでデビューした、女の子3人組のアイドルグループ「少女隊」。巨額の資金を投入し売り出されるも、当初は、事務所の戦略がうまくいかず、なかなか人気が出ませんでしたが、1985年、秋元康さんがプロデュースを担当すると、徐々に人気が上昇。1986年~1987年には東南アジアツアーを成功させるまでになりました。


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30億円の大型プロモーションで華々しくデビューするも・・・

1983年、藍田美豊さん、安原麗子さん、市川三恵子さんの3名は、
芸能事務所「ポンド企画」のオーディションに合格し、
アイドルグループ「少女隊」に選ばれると、

翌年の1984年8月28日には、
シングル「FOREVER~ギンガムチェックstory~」
アルバム・カセット「少女隊Phoon」
ジャンボシングル「ESCAPE」
ビデオ「少女隊Phoon」
コンパクトディスク「少女隊Phoon」
を同時リリースして、

「FOREVER~ギンガムチェックstory~」

9月1日には、
写真集「ESCAPE 少女隊U.S.A.漂流記1984」

「ESCAPE 少女隊U.S.A.漂流記1984」

9月21日には、
ビデオ・ディスク「少女隊Phoon」

「少女隊Phoon」

を発売と華々しくデビュー。

「ポンド企画」「少女隊」に30億円もの費用をかけ、
これまでのアイドルとは一線を画す企画で売り出したのですが・・・

当初はアーティスト路線を狙い、
テレビなどのメディアへの出演が少なかったこと、

1984年に制作された江崎グリコのCM「マリンバ」が、
ちょうど、同時期に起きた「グリコ・森永事件」の影響で放送が延期されたこと、

 (「一心同体、少女隊。折って召しませ」のフレーズを、
  記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。)

さらには、デビューから1年経った頃に、
市川さんが椎間板ヘルニアを患い、芸能活動が困難になったことで、
脱退されるなど不運が続き、ブレイクには至りませんでした。

「素直になってダーリン 」「Bye-Bye ガール 」がヒット

しかし、1985年から、
秋元康さんがプロデュースを担当され、

これまでのアーティスト路線を封印し、
アイドル路線に変更すると、徐々に人気が上昇。

3枚目のシングル「素直になってダーリン」
5枚目のシングル「Bye-Bye ガール」
がランキング形式の歌番組で初のランキングを果たしたほか、


1986年と1987年には、初の東南アジアツアーを成功させ、
アジアを中心に高い人気を得たのでした。

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メンバーの現在は?

そんな「少女隊」も1989年には解散するのですが、
現在、元メンバーはどうされているのでしょうか?

ミホ

まず、「ミホ」こと、藍田美豊さんは、
「少女隊」解散後は、

芸名を、愛田実歩 ⇒ 愛田美歩と変更し、
最後は、本名の藍田美豊に戻され、
芸能活動を続けておられたようですが、

現在は、所属事務所なども不明なので、
すでに芸能界を引退されているようです。

ちなみに、プライベートでは、結婚され、
3人の子どもさんがいらっしゃるとのことで、

そのうちのひとり、娘の入夏(いるか)さんは、
ファッションモデルとして女性誌などで活動中です。

娘の入夏さんとミホさん。

また、福山雅治さんが、
昔、藍田さんのファンだったそうで、

2016年、マツコ・デラックスさんが司会を務める、
深夜番組「夜の巷を徘徊する」で、

(グラビア誌を見ながら)本当はこんな水着とか、
こんな仕事とかしたくないんじゃないかなっていうのを想像して、
でもそんなこの子を守れるのは俺しかいないみたいな。

と、18歳の時、「少女隊」のバックバンドを目指して、
上京されたことを明かされています♪

レイコ

「レイコ」こと、安原麗子さんは、
「少女隊」解散後は、女優として活動されているのですが、

出演作はそれほど多くはなく、ブログを拝見すると、
息子さん(2017年で11歳)の話題が多かったので、
お仕事よりも、主婦業や子育てに専念されているのかもしれません。

チーコ

「チーコ」こと、市川美恵子さんは、
2015年、バラエティ番組明石家さんまの転職DE天職」に出演され、
「少女隊」のデビュー当時のことや、現在の生活について明かされています。

市川さんによると、14歳だったデビュー当時は、
メンバー3人で寮生活を送っていたそうで、

朝7時に家を出て学校に行き、学校が終わると仕事、
そして、仕事が終わって寮に帰るのは、
夜中の3時や4時だったそうです。

ご飯を食べる暇もなく、お風呂に入って寝るだけ、
しかも、睡眠時間は2時間ほどというとてもハードな生活で、

無理がたたったのか、デビューから半年後に、
「椎間板ヘルニア」を患ってしまうのですが、

それでも無理をして活動を続けたことで悪化してしまい、
ついには、ツアーの途中で倒れてしまい、
そのまま引退となってしまったそうです。

ちなみに、その時は、歩けないほどひどく、
入院、治療、リハビリの末、松葉杖なしで歩けるようになるまで、
1年半もかかったそうで、

その後、芸能界に戻ることはなく、
22歳の時、理容師の男性と結婚され、
28歳の時、ご夫婦で理容店「CUT SPACE 701」を開業すると、

市川さんご自身も35歳から3年間、
理容学校に通い、理容師の免許を取得されたそうで、

現在も、ご主人と二人で、
店を切り盛りされているようです♪

市川美恵子さん(現・直井三恵子さん)

ご主人の直井宏晃さん

トモ

そして、最後に、
「トモ」こと、引田智子さん。

引田さんは、オリジナル・メンバーではありませんが、
1985年夏に、市川さんが脱退したことにより、
9月、市川さんの代わりに加入され、

「少女隊」解散後は、ソロ歌手、声優、
グラビアモデルとして、活動されていたようですが、

騙されてオールヌードを撮られそうになったことから、
嫌気がさし、芸能界を引退。

それから2年間は、薬局、酒屋、銀座コージーコーナー、
カラオケボックスなどでアルバイトをされていたようですが、
アルバイト先にファンが押しかけたことで、
どこも短期間しか続かなかったそうです。

その後、声優で復帰されるも、結婚されたことをきっかけに、
1999年、完全に芸能界を引退。

現在は、化粧品販売会社「ソシエテ・ル レーブ」と、
医療関係者の人材派遣の責任者をされているそうです。

さて、いかがでしたでしょうか?

大型デビューから、紆余曲折を経て、
ようやく人気を得るも、ほどなくして解散した「少女隊」ですが、

安原さんのブログを拝見すると、2017年12月、
4人全員が集合した記事がアップされているなど、
現在も仲が良いご様子。

1999年には、レイコさん、チーコさん、トモさん、
の3人で「1999少女隊」として再結成され、
(ミホさんは妊娠のため不参加)

2016年には、ベスト盤もリリースされているので、
もしかしたら、また、近いうちに、
「少女隊」の姿が見れるかもしれませんね。

期待しています!!

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