財津一郎の若い頃は吉本?年齢は?本名は?きびしい?出演ドラマ映画は?

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1962年に吉本興業に入られ、1964年には吉本新喜劇で、「キビシー」「助けてチョーダイ」のギャグで、一躍注目を浴びた、財津一郎(ざいつ いちろう)さん。1966年には、テレビ番組「てなもんや三度笠」で、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで甲高い声で叫ぶ、「非っ常にキビシ~ッ!」「~してチョウダィ!」のギャグで、たちまち全国的にもブレイクされています。




年齢は?出身は?身長は?本名は?


財津さんは、1934年2月22日生まれ、
熊本県熊本市のご出身、

身長176センチ、
体重78キロ、

血液型はO型、

本名は、
財津 永栄(ざいつ ながひで)、

学歴は、
熊本県立済々黌(せいせいこう)高等学校
⇒阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)
⇒熊本県立済々黌高等学校(復学)卒業、

趣味は、
ゴルフだそうです。


農地解放でイジメに


財津さんは、実家が地主だったため、
裕福な家庭で生まれ育っていたのですが、

戦後の農地解放で代々の土地を失ってしまい、
残った土地で農作業をやるようになると、
地主でなくなったことで、地主と小作人がまさかの逆転。

(農地解放とは、政府が地主の土地を強制的に安値で買い上げ、
 実際に耕作していた小作人に売り渡された政策)

妬みから不当な嫌がらせやいじめに遭い、
暗い性格になってしまいます。

ただ、そんな財津さんの姿を見ていたのか、
ある時、通っていた農業高校の先生に麦踏みに誘われると、

畑に出て二人で麦踏みをしているとき、

いじめるものには何の実りもない。
しかし、君は、この麦と同じく、はい上がり、立派な実をつける。

今は、君の勝負の時ではない。近い将来が勝負だ。
そのために、財津君、ネアカになれ。

と、先生が言ってくれたそうで、

財津さんは、涙が止まらないほど勇気づけられ、
以来、「ネアカの精神」で生きると自身に誓ったのでした。

俳優を目指すも苦労に耐える日々


その後、財津さんは、高校に進学すると、
(経緯は分かりませんでしたが)演劇部に入られ、
ドイツ人の先生に演技を絶賛されたそうで、

俳優を目指して、早稲田大学文学部演劇学科
を受験されるのですが不合格。

そこで、財津さんは、
早稲田大学の近くの印刷店などでアルバイトをしながら、
「榎本健一映画演劇研究所(エノケン学校)」で演劇を学び、
同時に、「帝劇ミュージカル」の研究生となられると、

(いつ頃かは不明ですが)榎本健一映画演劇研究所卒業後は、

「30歳までは砂をかむ思いをしよう」

と、最低限の収入がある撮影所には入らず、

皿洗いのバイトをするなど、
実社会でもまれながら芸を磨く道を選ばれたのでした。

「ジミー財津」と名乗り、歌手として、
 進駐軍のキャンプ回りをされていたこともあったとか)

ただ、その間、「帝劇」「石井均一座」「ムーラン・ルージュ」など、
所属する劇団が次々と解散するという憂き目にあってしまったそうで、

財津さんは、

「若い時に苦労すれば、中年になった時に味のある顔になる」

と信じ、ひたすら苦労に耐えられたのでした。

吉本新喜劇で「キビシー」「助けてチョーダイ」が大ウケ


それでも、さすがに、これではいけないと思われたのか、
大阪に活動の拠点を移されたようで、

1962年には吉本興業に入り、
1964年から「吉本新喜劇」に参加されると、

舞台中、突発的に発した、

「非っ常にキビシ~ッ!」
「助けてチョーダイ」

のギャグが観客に大ウケ。

さらには、このギャグが好評だったことから、
1966年には、テレビ番組「てなもんや三度笠」に、
浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役で出演されると、

抜いた刀の刃を蛇のようになめまわしたり、

手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで、
甲高い声で叫ぶギャグ、

「非っ常にキビシ~ッ!」
「~してチョウダィ!」

が評判となり、一躍、全国区でブレイク。


「てなもんや三度笠」より。
(左から)藤田まことさん、財津さん、白木みのるさん。


財津さんは、当初は、スポット的な出演予定だったのですが、
奇人変人ぶりがあまりにも好評だったことから、
レギュラーとして、最終回まで出演されたそうで、

財津さんは、当時を振り返り、

(大阪は)人情とリアリズムの街。
一生懸命やると喜ぶし、駄目なものは駄目と教えてくれる。
答えはすぐ出た。

と、明かされていました。

出演作品(テレビドラマ、映画)


こうして、財津さんは、1965年には、
吉本新喜劇の座長に就任されるなど、
コメディアンとして食べていけるようになるのですが、

1969年には吉本興業を退社すると、東京に活動拠点を戻され、
ついに、俳優としての活動に専念することとなります。

それでは、ここで、
財津さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1962~1968年「てなもんや三度笠」
1970年「ハレンチ学園」
1971年「一心太助」
1972年「青春をつっ走れ」
1973年「ママはライバル」


「青春をつっ走れ」より。

1974年「時間ですよ」
1975年「はじめまして」
1976年「夫婦旅日記 さらば浪人」第19話
1977年「同級生」
1978年「松本清張おんなシリーズ・馬を売る女」
1979年「不毛地帯」


「夫婦旅日記 さらば浪人」より。原哲男さんと財津さん。

1980年「蒼き狼 成吉思汗の生涯」
1981年「鞍馬天狗」
1982年「淋しいのはお前だけじゃない」
1983年「事件記者チャボ!」第6話
1984年「気分は名探偵」


「気分は名探偵」より。(左から)ケーシー高峰さん、
財津さん、順みつきさん、水谷豊さん。


1985年「サーティーン・ボーイ」
1986年「花へんろ 風の昭和日記 第二章」
1987年「大都会25時」
1988年「家と女房と男の名誉」
1989年「鬼平犯科帳 第1シリーズ」第15話
1990年「続続・三匹が斬る!」第1話


「鬼平犯科帳」より。子鹿番さんと財津さん。

1991年「幕府お耳役檜十三郎」
1992年「暴れん坊将軍IV 」第61話
1993年「清左衛門残日録」
1994年「お金がない!」
1995年「母の旅立ち」


「幕府お耳役檜十三郎」より。(左から)財津さん、
永島敏行さん、松原智恵子さん、渡辺裕之さん。


1997年「家政婦は見た!」
1998年「翔ぶ男」
1999年「永遠のアトム 手塚治虫物語」
2000年「フードファイト」
2002年「私立探偵 濱マイク」
2004年「天花」

映画では、

1967年「一心太助江戸っ子祭り」
1968年「とむらい師たち」
1969年「喜劇 深夜族」
1970年「あゝ軍歌」
1971年「あゝ声なき友」


「一心太助江戸っ子祭り」より。
(左から)藤純子(現・富司純子)さん、舟木一夫さん、財津さん。



「あゝ軍歌」より。フランキー堺さんと財津さん。

1973年「藍より青く」
1974年「薮原険校」
1976年「忍術 猿飛佐助」
1977年「黒木太郎の愛と冒険」
1978年「多羅尾伴内」
1981年「連合艦隊」


「連合艦隊」より。財津さんと金田賢一さん。

1983年「探偵物語」
1984年「お葬式」
1985年「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」
1986年「キネマの天地」
1987年「首都消失」


「お葬式」より。(後列左から)財津さん、山﨑努さん、長江英和さん、
(前列左から)友里千賀子さん、菅井きんさん、宮本信子さん、大滝秀治さん。


1990年「パチンコ物語」
1994年「元祖パチンコ物語・温泉珍道中」
1996年「美味しんぼ」
2002年「宣戦布告」
2003年「ホーム・スイートホーム」
2010年「ふたたび swing me again」


「ふたたび swing me again」より。
(左から)鈴木亮平さん、黒沢年雄さん、藤村俊二さん、財津さん。


ほか数多くの作品に出演されており、

「薮原険校」では「ゴールデンアロー演劇賞」
「お葬式」では「日本アカデミー賞助演男優賞」
を受賞されるなど、

俳優としても、高い演技力が評価されています。

「財津一郎の現在は?財津和夫と?嫁は?息子は?タケモトピアノCMで赤ちゃんが?」に続く



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