1965年、吉本新喜劇での「キビシー」「助けてチョーダイ」のギャグで、一躍注目を浴びると、以降、40年以上の長きに渡り、芸能界で活躍した、財津一郎(ざいつ いちろう)さん。今回は、そんな財津さんの本名と芸名の由来や財津和夫さんとの関係についてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?

財津さんは1934年2月22日生まれ、
熊本県熊本市中央区京町瀬戸坂の出身、

身長176センチ、

血液型はO型、

学歴は、
熊本師範学校男子部付属国民学校(現・熊本大付属小学校)
⇒熊本県立済々黌(せいせいこう)高等学校(旧制中学済々黌)
⇒阿蘇農業学校
⇒阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)
⇒熊本県立済々黌高等学校(復学)卒業

趣味は、ゴルフだそうです。

本名は?

財津さんの本名は、「財津永栄(ざいつ ながひで)」というそうですが、財津家は神武天皇の時代から続く名家で、先祖代々、男の子には「永」という字がついているのだそうです。

ちなみに、おじいさんは「永雄(ながお)」、お父さんは「永康(ながやす)」というそうですが、家系図をたどると、何代目かでたいてい同じ名前になるそうです(笑)

(女の子には、「美」という字がついているそうです)

芸名の由来は?

そんな財津さんの芸名「財津一郎」は、吉本興業の社長だった林弘高さんに、(本名の「財津永秀」は堅苦しいとの理由で)

吉本は大衆的な名前やないとあかんのや。よし、一郎や、一郎。一郎はええでぇ。河野一郎、有島一郎・・・みんなビッグやぁ

と、名付けられたそうですが、

この「一郎」という名前のおかげで、後に、メジャーリーグで大活躍したイチロー選手とテレビCMで共演することができたそうです。

(財津さんは、当初、「財津肇メ」名義で活動していたこともあったそうです)

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財津和夫とは遠い親戚だった

ところで、「財津」といえば、「財津一郎」さんのほかにも、シンガーソングライターの「財津和夫」さんがいますが、実は、この二人、遠いながら、親戚だというのです。

珍しい「財津」という名字を持つ二人は、出身地も同じ九州であることから(一郎さんは熊本県、和夫さんは福岡県)、「何かつながりがあるのでは」とかねてより噂はされていたのですが、

2016年に、財津和夫さんが、芸能人のルーツをたどる、NHKの番組「ファミリーヒストリー」に出演すると、その番組での調査の結果、親戚筋に一郎さんがいることが判明。

財津和夫さん自身もそのことは知らなかったそうで、番組でその事実を知ると、

冗談で何かつながりがあるのでは?と言ってたことは何度もあるんですけど、本当だったとは・・・

いや~、身内になってしまったんで、こんなこと言いにくいんですけど。ずっと財津一郎さんのファンだったんです。いや~、びっくりしましたし、うれしいです。一郎さんとつながりがあるなんて。

と、語っています。

「財津一郎の生い立ちは?先祖代々熊本・阿蘇の大地主だった!」に続く


「ファミリーヒストリー」より。

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