アントニオ猪木は昔東京プロレス?ジャイアント馬場と?日本プロレス追放?

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念願の海外武者修行を実現し、着実に実力をつけていたアントニオ猪木(アントニオ いのき)さんですが、突然の豊登さんからの誘いに乗って、「日本プロレス」を辞め、「東京プロレス」に参加。しかし・・・


「アントニオ猪木の若い頃は?国籍は?力道山から壮絶な虐待!米武者修行時代は?」からの続き

「日本プロレス」を退団し「東京プロレス」入り

実は、豊登さんは、「日本プロレス」の新社長となった後、
会社の資金を横領して、競馬・競輪などのギャンブルに流用し、
多額の負債を抱えたことから「日本プロレス」を追放されており、

その後、新団体「東京プロレス」を旗揚しようと、かねてから面識のあった、
新間寿さん(元日本プロレス道場のボディビル練習生)に声をかけて、
お父さんの新間信雄さん(住職で資金力があった)に協力を要請。

「日本プロレス」からは、豊登さんを慕う、田中忠治さん、
木村政雄(ラッシャー木村)さん、斎藤昌典(マサ斎藤)さん、
北沢幹之(後のリングス レフェリー)さんらを引き抜いており、

新人時代から目をかけていた猪木さんも、
引き抜こうと声をかけに来ていたのでした。

こうして、猪木さんは、豊登さんに、

日本プロレスに帰っても一生馬場の上には行けん

と、新団体「東京プロレス」入りを口説かれると、

かねてより、「日本プロレス」の自身への待遇が、
ライバルの馬場さんと比べて悪いと感じ、不満と不信感を抱いていたことから、
(海外修行中にも「日本プロレス」からは何も連絡がなかったことなど)
この誘いに乗り、「東京プロレス」入りを決意。

1966年3月21日、「日本プロレス」に、
国際電話で退団することを伝えると、
同年4月23日、豊登さんとともに帰国されたのでした。

当時の猪木さんと豊登さん。

わずか3ヶ月で「東京プロレス」崩壊

その後、猪木さんは、1966年10月、
蔵前国技館で開催された旗揚げ戦で、
ジョニー・バレンタインとの一騎打ちに勝利を収め、
華々しいスタートを切るのですが・・・

最終戦まで全34戦の予定だった「旗揚げビッグマッチ・シリーズ」は、
「日本プロレス」の妨害で、有力プロモーターの協力が得られず、

中止とキャンセルが相次ぎ、結局、
たったの20戦しか行うことができず、赤字の連続。

しかも、このような経営状況の中においても、
豊登さんの横領とギャンブル浪費癖は治らなかったため、

ついに猪木さんは、「旗揚げビッグマッチ・シリーズ」終了直後、
豊登さんとの決別を決意。

当時、新宿にあった「東京プロレス」の事務所から、
荷物と書類を持ち出して、新事務所を北青山に移すと、
別会社の「東京プロレス株式会社」を設立し、

翌年の1967年には、「東京プロレス」のメンバーだった、
木村政雄さん、斎藤昌典さんらとともに、
1月5日から開幕した「国際プロレス」との合同興行
「パイオニア・シリーズ」に参加されると、

シリーズの最中である1月8日、豊登さんと新間さん父子を、
「業務上横領」で告訴したのでした。

しかし、豊登さんと新間さん父子は、逆に、
猪木さんを「背任容疑」で告訴するという泥仕合に発展。

そして、そんな中で行われたシリーズも、当然ながら振るわず、
さらには、「国際プロレス」と金銭面でトラブルを起こし、

「東京プロレス」は、わずか3ケ月で、
事実上、崩壊してしまったのでした。

「日本プロレス」復帰~ジャイアント馬場と「BI砲」で活躍

こうして、一連の出来事で、
ピンチとなった猪木さんですが、

なんと、古巣の「日本プロレス」から声をかけられ、
「日本プロレス」に戻ることになります。

というのも、猪木さんが豊登さんに誘われて「東京プロレス」に参加した際、
豊登さんの除名処分ははっきりと発表されたのに対し、

まだ若かった猪木さんは、どうせ豊登さんに騙されているにちがいないと、
考えられていたことや、猪木さんの将来性に対する期待から、
「処分保留」という寛大な措置が取られており、

また、この頃のプロレス界は、「日本プロレス」「国際プロレス」の、
2団体が対立する時代に入ろうとしていた時期でもあったため、

「日本プロレス」は、猪木さんが、ライバルの、
「国際プロレス」に参加することを恐れ、「日本プロレス」に復帰させたのでした。

当時の猪木さん(左)とジャイアント馬場さん。

結果、これは功を奏し、猪木さんが「日本プロレス」に復帰すると、
馬場さんとのタッグチーム「BI砲」は大活躍し、看板チームとして大人気。

猪木さん個人も、ジャイアント馬場さんに次ぐ、
好待遇を受けたのですが・・・

「日本プロレス」追放

それでも、猪木さんは、当時の「日本プロレス」の乱脈経営から、
一部のフロントが会社を食い物にしていることに不満を持っており、

馬場さんやほかの選手とともに、理想のプロレスを目指し、
それを実現できる環境を作ろうと、一部のフロントの退陣を要求。

また、選手も名目だけでなく、
実質的にフロントに参加しようと密かに画策するのですが、

この計画は、上田馬之助さんが、

猪木が日本プロレスを乗っ取ろうとしている

と、幹部に密告したことで会社にもれ、
猪木さんは首謀者として除名処分にされてしまったのでした。

「アントニオ猪木!モハメドアリと異種格闘技!引退試合の対戦相手は?結果は?」に続く

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