1983年、16歳の時に、「ションベン・ライダー」で映画デビューを果たすも、その後、5年間映画に出演することができなかった、永瀬正敏(ながせ まさとし)さん。ただ、1989年、ジム・ジャームッシュ監督に誘われ、映画「ミステリー・トレイン」に出演されると、たちまち注目を集め、以降、映画界から引っ張りだことなられています。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?本名は?

永瀬さんは、1966年7月15日生まれ、
宮崎県都城市出身のご出身、

身長172センチ、

血液型はB型、

学歴は、
宮崎県立都城西高等学校
⇒日本大学鶴ヶ丘高等学校(再入学)
⇒堀越高等学校卒業

ちなみに、永瀬正敏は本名です。

「ションベン・ライダー」で映画デビュー

永瀬さんは、高校生の時、通っていた高校の管理教育に、
ささやかながら反抗したい気持ちから、

1982年、16歳の時、映画のオーディションを受けるために、
お父さんの反対を押し切って上京。

翌年の1983年には、「ションベン・ライダー」で、
映画デビューを果たされているのですが、


「ションベン・ライダー」より。(左から)永瀬さん、坂上忍さん、河合美智子さん、鈴木吉和さん。

この映画の撮影で、映画がすごく好きになったそうで、
その共演者の坂上忍さんについて、

彼は子役からやっていたのでスターでしたけど、
先輩風を吹かすことはいっさいなくてね。

僕ら素人の位置まで下がってくれて、
一緒の目線でやってくれました。

この作品の現場で映画が好きでたまらなくなったんですが、
坂上くんの姿勢も大きかったと思う。感謝しています。

と、明かされています。

また、この映画での思いが、今だに続いているそうで、

僕は永遠に“まあまあの役者”なんですよ。
というのも、デビュー作の現場で、
相米監督に1度も“オーケー”をもらえなかったんですね。

それでいつか相米監督に、
心から“オーケー”を言わせるような役者になりたいと思って。

でも、相米のオヤジは先に逝ってしまったから(’01年没)、
永遠に彼の口からはもらえない。

だから、もっとよくしよう、
次も頑張ろうという思いが続いているんです。

と、おっしゃっていました。

5年間の空白を経てジム・ジャームッシュ監督作品に出演

こうして、すっかり映画の撮影が好きになり、
もっと映画に出たい、と思われていた永瀬さんですが、

映画への出演は、これっきり、以降5年間、
まったく出演することはできなかったそうで、
(テレビドラマには出演されています。)

それでもあきらめることなく、その5年間、
映画館に通い続けて、いろいろな映画を観て、
いろいろな役者を知り、

いつかこういう映画に出たい、
こういう人たちと一緒に作品を作りたい。

と、強い希望を持ち続けていると、

ある時、ある女優さんから、

永瀬君が好きそうなすごい映画があるから、
絶対観に行ったほうがいいよ。

と、ジム・ジャームッシュ監督の、
ストレンジャー・ザン・パラダイス」を勧められ、

映画を観に行かれると、観終わった瞬間、
その素晴らしさに衝撃を受けられたのでした。


ストレンジャー・ザン・パラダイス

そして、永瀬さんは、その後、すぐに、
ジャームッシュ監督作品のオーディションを受けに行かれると、

なんと、ジャームッシュ監督から、

「映画に出ないか?」

と、誘われたそうで、

永瀬さんは当時を振り返り、

5年間、何の映画にも出演していなかった僕に声をかけてくださった。
驚きましたし、願えば思いは届くものなんだな、と感動しました。

もし、“人生の雨”の時期に、もう芝居なんていいやと諦めていたら、
ジム・ジャームッシュ監督には出会えなかったかもしれない。

と、明かされています。

こうして永瀬さんは、

1989年、映画「ミステリー・トレイン
に出演されると(日本公開は1990年)、


ミステリー・トレイン

同作品は、1989年の、
「カンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞」を受賞し、

永瀬さんもまた、
「ジャームッシュ作品に出演した若手俳優」
として、注目を集めることに。


「ミステリー・トレイン 」より。工藤夕貴さんと永瀬さん。

以降、永瀬さんは、作品の内容さえ気に入れば、
規模や場所にこだわらず出演する、
というスタンスで、映画を中心に活動され、

近年では、

2015年「あん」(河瀨直美監督)
2016年「パターソン」(ジム・ジャームッシュ監督)(日本公開は2017年)
2017年「光」(河瀨直美監督)

と、永瀬さんが出演された作品が、
3年連続「カンヌ国際映画祭」に正式出品。

特に、河瀨直美監督が永瀬さんをイメージして作り上げた「光」では、
上映終了後、10分以上のスタンディングオベーションが巻き起こるなど、
ますます世界から注目を集めています。


「第70回カンヌ国際映画祭」より。(左から)水崎綾女さん、藤竜也さん、河瀨直美監督、永瀬さん、神野三鈴さん。

ちなみに、永瀬さんは、2016年には、
映画「パターソン」で、「ミステリー・トレイン」以来、
27年ぶりとなる、ジャームッシュ監督作品に出演されているのですが、

この映画に出演するにあたり、ジャームッシュ監督から、
直接メールでオファーがあったそうで、

永瀬さんは、

「ミステリー・トレイン」で縁が切れてしまうのではなく、
20数年間、節々で繋がって、
お付き合いさせていただけることだけで光栄なのに、

今回僕を思い出して役をあててくださった。
なんともいえないうれしさがありましたね。

と、その思いを語っておられます。

出演作品

それでは、ここで、
永瀬さんの出演作品の一部をご紹介しましょう。

映画では、

1983年「みゆき」
1985年「THE MODS 夜のハイウェイ」
1988年「メロドラマ」
1989年「ミステリー・トレイン Mystery Train」
1990年「バカヤロー!3 へんな奴ら」第4話
1991年「ラブ・フロム・テマセク – アジアン・ビート シンガポール篇」


「みゆき」より。三田寛子さんと永瀬さん。

1992年「男はつらいよ 寅次郎の青春」
1994年「オートバイ少女」
1995年「コールド・フィーバー」
1996年「虹をつかむ男」
1997年「誘拐」

1998年「Beautiful Sunday」
1999年「実験映画」
2000年「PARTY7」
2001年「ピストルオペラ」
2002年「海は見ていた」


「海は見ていた」より。永瀬さんと遠野凪子さん。

2003年「偶然にも最悪な少年」
2004年「隠し剣 鬼の爪」
2005年「姑獲鳥の夏」
2006年「代々木ブルース」
2007年「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

2008年「夢のまにまに」
2009年「ゼラチンシルバーLOVE」
2011年「スマグラー おまえの未来を運べ」
2012年「赤い季節」
2013年「彌勒 MIROKU」


「ゼラチンシルバーLOVE」より。宮沢りえさんと永瀬さん。

2014年「KANO 1931海の向こうの甲子園」
2015年「さいはてにて-やさしい香りと待ちながら-」
2016年「パターソン Paterson」
2017年「光」
2018年「赤い雪 red snow」


「KANO 1931海の向こうの甲子園」より。(左から)坂井真紀さん、永瀬さん、ツァオ・ヨウニンさん、チェン・ジンホンさん。

テレビドラマでは、

1983年「だから青春 泣き虫甲子園」
1985年「ニッポン親不孝物語」
1986年「時にはいっしょに」
1987年「ママはアイドル」
1988年「NEWジャングル」第19話


「ママはアイドル」より。後藤久美子さんと永瀬さん。

1989年「フローズンナイト~凍てつく真夏の夜~
      『ビデオショップ・オブ・ホラーズ』」

1990年「卒業」
1992年「悪女」
2002年「私立探偵濱マイク」
2013年「かなたの子」


「かなたの子」より。井浦新さん(左)と永瀬さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

小泉今日子と結婚、馴初めは?

そんな永瀬さんの、
気になるプライベートですが、

永瀬さんは、1995年、
小泉今日子さんと結婚されています。

お二人は、1993年5月に、女性誌の対談で知り合われると、
(もともと永瀬さんのファンだった小泉さんの指名だったとも)

対談中、小泉さんが、

私ぐらいの年齢の人って、妙に好きですよ、永瀬さんのこと。

と言われるなど、盛り上がったそうで、

同年9月には、小泉さんが永瀬さんのマンションを訪れ、
車で一緒にコンビニに行く姿が週刊誌にキャッチされるなど急接近。
そして、1995年2月22日に入籍となったのでした。

ちなみに、お二人は、披露宴はおろか結婚式も新婚旅行もされず、
結婚会見をされた画廊で、お二人のプライベート写真の展示会をするという、
形式にとらわれない、自由なお二人らしい結婚発表をされています。


結婚会見時の永瀬さんと小泉さん♪

不仲説~別居から離婚へ

しかし、結婚から4年ほど経つと、永瀬さんが、
映画撮影の合間をぬって頻繁に香港へ一人旅に出る姿が、
目撃されたことから、永瀬さんの不倫が噂され、

小泉さんが、

いつもひとりでさみしい

と、つぶやき、

永瀬さんが、仕事仲間に、

夫婦としてはもうダメかな

と、漏らしているほか、

子どもを望む小泉さんに対し、永瀬さんが反対している。

などのお二人の不仲報道が加熱。

さらには、それでも、お二人が離婚しないのは、

CM契約に縛られているから

と、仮面夫婦説まで飛び出していったのでした。

そして、2002年、テレビドラマ「私立探偵 濱マイク」
で共演され、復縁したかと思われた矢先の同年5月、

永瀬さんが自宅を出て、横浜でホテル住まいを始め、
小泉さんも7月に引っ越して、完全別居となると、

2004年2月22日、9回目の結婚記念日に、
お二人は離婚届を提出されたのでした。


「私立探偵 濱マイク」より。

離婚の理由は?

ここで、気になる離婚の理由ですが、

実は、小泉さんは、結婚と同時に、
芸能界を引退するつもりだったそうですが、

永瀬さんが反対されたことから、
仕事をセーブしながら主婦業をされていたそうで、

(永瀬さんは)自ら進んでカメラに魂を差し出している。

そこまでやれるのはすごいことだけれど、
私自身は決してそんな状態にはならないから、心のどこかで、
やっかみや憧れやその不器用さに対しての警告や不安もあって、
「バカじゃないの?」と思ったりもしました。

だから、一緒に住んでいる頃は大変だった。
よく心配もしましたね。

と、迷いなく仕事に没頭できる永瀬さんに対し、
家庭と仕事の板挟みになり、徐々にストレスになったそうで、

(永瀬さんと別れたのは)派手な愛憎劇があったわけじゃなくて、
背負っているものに対して、一緒にいることが、
きつくなってしまったという感じだったから。

と、小泉さんの中で、永瀬さんが、
「憧れの人」から「ライバル」へと変化し、

夫婦として生活を続けることが、
難しくなっていったのでしょう。

実際、お二人は、離婚後も、

2007年「さくらん」
2011年「毎日かあさん」

と共演されており、

特に、「毎日かあさん」では、
息のぴったりあった演技で夫婦役を好演されています。


「毎日かあさん」より。

Sponsored Link

再婚は?子どもは?

ちなみに、永瀬さんは、小泉さんと離婚後、
歌手の中島美嘉さんと噂になりましたが、
(中島さんはその後、別の方と結婚&離婚)

以降、浮いた噂はなく、
再婚もされておらず、現在は独身。

また、小泉さんとの間にお子さんはいらっしゃいませんので、
現在もお子さんはいらっしゃいません。

さて、いかがでしたでしょうか?

俳優として活動する一方で、
写真家としても活動されている永瀬さんですが、

コメントされている内容からも、
仕事に対する情熱が感じられるように、

今は、ご家族を持つよりも、
お仕事に没頭したいのかもしれませんね。

ゴシップ的には物足りませんが、
永瀬さんの活動にはこれかも注目です!!

Sponsored Link