1970年にリリースした4枚目のシングル「笑って許して」が約20万枚を売上げる大ヒットを記録し、1972年には、11枚目のシングル「あの鐘を鳴らすのはあなた」で「第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞された、和田アキ子(わだ あきこ)さん。しかし、その華々しい活躍の陰では、壮絶なイジメがあったというのです。
「和田アキ子の若い頃は不良番長ながらスカウトされ歌手デビュー!」からの続き
デビュー当時は壮絶なイジメに遭う
和田さんは、2019年8月30日放送のバラエティ番組「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」で、新人時代の上下関係の厳しさと、先輩から受けたイジメについて告白されています。
和田さんは、1967年に、設立7年目のホリプロからデビューされているのですが、歌番組では、女性歌手10人ほどが一緒の楽屋だったそうで、新人だった和田さんは、一番に楽屋に入ると、入り口に直立不動で先輩全員を迎えるのが暗黙の了解になっていたそうです。
そして、全員が入ってから自分もメイクをするのですが、鏡の前は先輩たちが占領。誰も譲ってくれず、泣く泣くトイレでメイクをすることも多かったそうです。
また、着替えの時は、
(背が高いため)アンタがいると着替えづらいのよ。出て行って
同じ黒の衣装だから着替えてきなさいよ
などと、言われたほか、
履いていた靴の大きさをバカにされ、
男は出て行け
バカ
などと、悪口をサインペンで靴に書かれて、笑いものにされ、トイレでよく泣いていたというのです。
菊の花事件とは?
そして、極めつけが、和田さんが1972年、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で「レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞し、舞台上で涙ながらに熱唱されていた際、手に持っていたのは・・・
なんと、葬儀用の菊の花束だったのです。
菊の花束を持つ和田さん。
つまり、和田さんの受賞を快く思わない何者かが、本番直前に花束を差し替えたと考えられているのですが、誰の仕業かは、未だに分かっていないそうです。
ちなみに、和田さんはこの時、興奮していたため、菊の花束を持っていることに全く気が付かず、出演後にお母さんに電話をした際、お母さんから、「なんで菊の花を持ってたの?」と言われ、初めて気がついたのだそうですが、こういった陰湿な嫌がらせは、多々あるそうで、
某ワイドショー芸能デスクは、
歌手や女優さんだと、舞台や生本番中にそうした嫌がらせをするケースがありますね。ある舞台では、超ベテラン女優Xは新人の主演女優Aが気に食わなかった。
本番では、舞台上でそのベテランXより新人Aが前に立つことになっていて、Xの立ち位置に目印が付けてあったのですが、回を重ねるごとにわざとその場所より少しずつ前に出ていき、最終的には舞台袖ギリギリに立ったのです。
新人Aは舞台からおっこちそうになっていました。そういう細かい嫌がらせもあります
超大物女優Yと泉ピン子が出演するある現場で、初日の顔合わせの時、新人女優Bが車の渋滞が理由で遅刻してきたんです。
Bを前に、『新人なのに心がけがなってない!』とピン子は烈火のごとく怒り、大声で叱責したそうです。しかし女優Yは『まあまあまあ……』とピン子をなだめ、その場を収めました。
しかし、顔合わせの後、Yは『あの子は降ろして』とプロデューサーに伝え、Bを降板させたのです。
と、明かしています。
復讐ノート?
ところで、そんな仕打ちを受けながら何もできない和田さんは、家に帰ると、イジメてきた先輩の名前を「復讐ノート」と名付けたノートに、「死ね」と書き留め、このノート上では、これまで、芸能人500人くらいを半殺しにし、10人を抹殺してきたそうで、
和田さんは、当時を振り返り、
厳しいというか、悲しかったよね
と、おっしゃっていました。
ちなみに、昔の芸能界の先輩後輩の上下関係は、今とは比較にならないほど厳しかったそうで、和田さんがデビューした50年ほど前は、ホリプロをはじめ、どの芸能事務所もまだ設立したばかりで小さく、芸能界も今よりもずっと狭い世界だったため、歴然とした上下関係が存在していたのだそうです。