「小川宏ショー」で司会業に目覚めると、その後、音楽番組「夜のヒットスタジオ」の司会では、たちまち人気司会者となった、芳村真理(よしむら まり)さんですが、「夜のヒットスタジオ」では、出演する歌手をリラックスさせようと常に気遣っていたといいます。

「芳村真理が若い頃は「夜ヒット」ほか司会で人気を博していた!」からの続き

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出演者(歌手)にリラックスしてもらうため「ちゃん」付けで呼んでいた

芳村さんは、「夜のヒットスタジオ」では、出演する歌手に対し、いつも、「ちゃん」付け、もしくは、ニックネームで呼んでいたのですが、

そのことに、特にこだわりがあったわけではなく、当時の歌手は、とにかく忙しく、殺人的なスケジュールをこなさなければならなかったそうで、なんとかリラックスしてもらおうと思ってのことだったそうです。

(特に「ピンク・レディー」は、大げさではなく、寝る間もないほどの忙しさだったそうです)

出演者(歌手)を応援する気持ちでいた

また、芳村さんは、「夜のヒットスタジオ」に出演する歌手は、何千人もの中から選ばれ、レッスンを積み、何百曲という曲の中からたまたまヒット曲に巡り合い・・・と途方も無い道のりを経てきていることを知っていたことから、応援してあげたくなっていたそうで、

(「夜のヒットスタジオ」は)生放送だし影響力も大きかったから、ベテランの人でも緊張してました。新人でやっと曲に恵まれたなんて子は、もうたいへん。1週間前からものが食べられなかったなんて言ってるし、手が冷たくなってるの。

たくさんの大人たちの期待を背負ってるし、今日失敗したら田舎に帰されちゃうかもしれないってプレッシャーもある。やっぱりフォローしてあげたくなるわよね。

背中をさすって、小さな声で「大丈夫よ、きっとうまくいくから」なんて言ってあげてました。(井上)順さんは平気でいじってたけど、まあそれも一種のやさしさよね。

と、語っています。

(とはいえ、芳村さんは、しょっちゅう、曲名や海外アーティストの名前を間違えていたそうです(笑))

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出演者(若手歌手)をマハラジャ(ディスコ)に連れて行ったことも

そんな芳村さんは、ある月曜日、「夜のヒットスタジオ」が終了した後、(さすがに歌手のみんなも今日の仕事は「夜のヒットスタジオ」で終わりだと思い)スタッフに、

たまには、この子たちをディスコにでも連れて行ってあげましょうよ

と、提案したことがあったそうですが、若手歌手たちは飛び上がって喜んだそうです。

(当時は「マハラジャ」が流行っていたそうですが、週刊誌の記者の目があり、若手歌手たちはディスコに行くことができなかったことから)

そこで、当時、六本木の「マハラジャ」に行き、マネージャーには下の階で待っていてもらい、歌手だけホールの中に入ってもらったそうですが、

田原俊彦さんが階段の途中にあった大きな鏡の前で、「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・トラボルタさんのポーズをマネするなど、みんなはしゃいでいたそうで、

芳村さんは、

あぁ、この子たちもフツーの男のコや女のコと同じようなことがしたいんだな~って心から思いました。それがわかってから、もっともっと、フレンドリーに接しようとしたかしらね。

と、語っています。

(そんな温かな心遣いが通じ、芳村さんは、世代にかかわらず、どの歌手からも、「真理サン、真理サン」と慕われ、現在も、「花の82年組」と呼ばれた、堀ちえみさん、石川秀美さん、早見優さん、松本伊代さんらとは親交があり、LINEグループにも入っているとのことです)

「芳村真理の歌番組「夜ヒット」での衣装が凄すぎる!」に続く


(後列左から)松本伊代さん、早見優さん、石川秀美さん、(前列左から)堀ちえみさん、芳村さん。

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