両親が俳優の平幹二朗さんと女優の佐久間良子さんということで、幼い頃からずっと、色眼鏡なしで自分を見てもらえなかったことに不満を感じていた、平岳大(ひら たけひろ)さんは、ついに、高校1年生の時、単身、アメリカに留学されます。

「平岳大の生い立ちは?少年期に両親が離婚し母親に引き取られていた!」からの続き

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高校1年の時アメリカへ留学

子どもの頃から、さんざん、両親が有名人ということだけで注目されてきた平さんは、それが嫌でたまらず、ついに、1990年、高校1年生の時、

両親と関係ないところで、自分を認めてもらいたい

と、単身渡米し、ボストンの南のロードアイランドというアメリカで一番小さい島にある、モーゼス・ブラウン・スクールに留学します。

実は、この学校へは、「留学ジャーナル」という小さな冊子をペラペラとめくり、「日本人生徒数」の欄が「ゼロ」のところを探して決めたそうですが、

平さんと同じことを考えていた日本人が、平さんのほかにあと2人もいたそうで、入学式の時、お互い「あれっ?!」となったそうです(笑)

また、平さんは、アメリカへ留学するにあたり、「いっぱつガーンとカマしていかないと」と、お母さんの佐久間良子さんに、

俺、医者になるよ

と、言ったそうですが、

後から、

ああ、言っちゃった~

と、後戻りできなくなってしまったそうです(笑)

(アメリカで医学部を受験するためには、大学に4年間行き、化学や生化学などの単位を取得することが条件だったそうですが、平さんは、医学部を受験する資格は取ったそうです)

米ブラウン大学の卒業式に父親・平幹二朗も招待

それでも、平さんは、無事、モーゼス・ブラウン・スクールを卒業し、その後、ブラウン大学理学部応用数学科へ進学、卒業されているのですが、

ブラウン大学の卒業式の際、学費を全部出してくれたお母さんの佐久間さんを呼ぶのは当然ながら、(学業を頑張った最後の結果である)自分の卒業式なので、さらに、自分が来てほしい人を呼びたいと、お父さんの平幹二朗さんを呼ぶことにしたそうです。

ただ、そのことをお母さんに伝えると、

お母さんは、

私が育てたのに、いいところだけ持っていって

と、不機嫌になったそうで、

そんなお母さんを、平さんの双子の妹さんやおばさんがなだめてくれ、何とかお父さんにアメリカに来てもらうことができたそうです。

(お母さん、妹さん、叔母さんの佐久間家の人々は、平さんが住むロードアイランドに泊まってもらい、お父さんはそこから南に1時間のところにあるボストンに泊まってもらったそうです)

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両親が離婚後初の再会

こうして、両親ともに(別々ながら)アメリカに来てもらうことになったことから、平さんは、離婚した両親を合わせないようにと、細心の注意を払っていたそうですが・・・

ある日のこと、佐久間家一行が買い物に行きたいと言ったため、平さんは、ボストンの街にあるショッピングモールに連れて行ってあげると、その帰り、ふと、エスカレーターから日本人男性が降りてきたのが見えたそうです。

すると、その男性は、ちょっと顔が大きく、威圧感のある人で・・・

平さんは、「ちょっと待て、そんな偶然ないよな」と慌てふためいたそうですが、まさにそれは、お父さんの平幹二朗さんだったそうで、他のみんなも気づき、一瞬凍りついたそうです。

それでも、お父さんは、

あーこんにちは。ご飯でも行く?

と、声をかけてきたそうですが、

お母さんが、

結構です

と、即答。

みんなで仲良くお食事・・・という訳にはいかなかったそうです(笑)

というのも、この両親の再会は、離婚後初めてのことだったそうで、ドラマみたいな展開に、

僕は浮気がバレた人みたいに小さくなってましたよ(笑)

と、平さんは語っておられました。

(実は、お父さんの平幹二朗さんは、このショッピングモールの上にあるホテルに泊まっていたそうで、平さんは、そのことをすっかり忘れていたのだそうです)

ちなみに、翌日に行われた卒業式では、お母さんたち佐久間家の人々は、平さんと並んで出席(父兄席)されたそうですが、お父さんの平幹二朗さんは、家族ではないからと、父兄席ではなく、後ろの大木の陰に座って、こっそりと息子の晴れ姿を見られたそうです。

「平岳大の若い頃は不動産投資会社のサラリーマンだった!」に続く

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