1953年1月、NHK放送劇団の一員となり、テレビ女優の第一号としてデビューすると、その後は、女優として活動するかたわら、「NHK紅白歌合戦」「ザ・ベストテン」「徹子の部屋」など、司会者としても活躍してきた、黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)さん。

そんな黒柳徹子さんは、幼い頃は、落ち着きのない、少し変わった女の子だったことから、問題児扱いされ、小学校を1年生の時に退学させられたそうですが、その後、「トモエ学園」に転校したことで、自分の居場所を見つけたといいます。

今回は、黒柳徹子さんの生い立ち(幼少期からNHK放送劇団の俳優募集に応募するまで)をご紹介します。

黒柳徹子

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黒柳徹子のプロフィール

黒柳徹子さんは、1933年8月9日生まれ、
東京府東京市赤坂区乃木坂(現・東京都港区乃木坂)の出身、

身長163センチ、

血液型はA型、

学歴は、
尋常小学校(現: 公立小学校)
⇒トモエ学園
⇒香蘭女学校中等科・高等科
⇒東洋音楽専門学校(現・東京音楽大学声楽科)卒業

趣味・特技は、水中ヨガ、

だそうです。

黒柳徹子は小学1年生の時に問題児扱いされ小学校を退学させられていた

黒柳徹子さんは、バイオリニストのお父さんと声楽家のお母さんのもと、4人きょうだいの長女として誕生すると、裕福な家庭でお嬢様として何不自由なく育ったそうですが、

落ち着きのない、少し変わった女の子だったため、問題児扱いされ、先生に迷惑がられて、小学1年生の時には、なんと、退学になってしまったそうです。

ただ、黒柳徹子さん本人はというと、小学校を退学になったということをお母さんから聞かされておらず、20歳になるまで知らなかったそうで、黒柳徹子さんの人格を認めて、のびのびと育ててくれたお母さんに感謝しているそうです。

黒柳徹子と両親
幼い頃の黒柳徹子さんと両親。

黒柳徹子は小学校退学後に転校した「トモエ学園」で自分の居場所を見つけていた

そんな黒柳徹子さんは、小学校退学後、「トモエ学園」に転校すると、登校初日、初めて会った「トモエ学園」の校長先生に、前の学校のこと、飼っている犬のこと、家族のこと、着ていた洋服の襟のことなどを、なんと、4時間も話し続けたそうですが、

校長先生は、最後まで話を聞いてくれ、黒柳徹子さんの話を最後まで聞き終わった時に、

君はここの生徒だよ。

君は、本当は、いい子なんだよ。

と、言ってくれたそうで、

これまで、疎外感を感じていた黒柳徹子さんは、とても嬉しく、ようやく自分の居場所が見つかったと感じたのだそうです。

黒柳徹子は11歳の時に弟を亡くし、12歳の時には父親が戦争に駆り出されていた

11歳の時にすぐ下の弟が他界し、父親は召集令状を受けて中国戦線に出征していた

こうして、「トモエ学園」に通うようになった黒柳徹子さんは、すくすくと自由に育ったそうですが、そんな中、太平洋戦争の戦局が厳しくなってきた1944年、11歳の時には、仲の良かった、すぐ下の弟の明兒さんが、ボールが足に当たって内出血したことが原因で熱を出し、あっという間に亡くなってしまい、

お父さんは召集令状を受けて中国戦線に出征し、1945年には、東京大空襲がきっかけで、お母さんとともに青森県三戸郡の諏訪ノ平に疎開するなど、家族はバラバラになってしまったそうです。

疎開先では死と隣合わせだった

また、疎開先では、戦争中の食糧難により、栄養失調が原因で全身におできができ、手足の爪の間が化膿(かのう)するほか(医者はいなかったそうです)、

一時的に、お母さんの郷里である北海道に里帰りしたその帰りには、黒柳徹子さんとお母さんが汽車に乗った後に、本来なら、一晩を過ごすことになっていた駅が空襲を受けるなど、死と隣合わせの日々だったそうです。

黒柳徹子は中学卒業後は音楽学校に入りオペラ歌手を目指すも断念していた

そして、1945年8月、ようやく終戦となると、黒柳徹子さんは、東京に戻り、中学校卒業後は、音楽学校に入ったそうで、オペラ歌手を目指したそうですが、

歌詞が覚えられなかったほか、ベートーベンの「悲愴」と「未完成交響曲」の区別がつかなかったことから、自分には無理だと感じ、断念したそうです。

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黒柳徹子は10代の頃に「NHK放送劇団」の俳優募集に応募していた

そんな中、黒柳徹子さんは、銀座で見た人形劇に感銘を受けると、将来、結婚して子供が生まれた時、上手に絵本が読めるお母さんになりたいと考えたそうですが、どうしたらいいか分からず、お母さんに相談したところ、新聞を見るようにアドバイスされたそうで、さっそく新聞を広げてみたそうです。

すると、

NHKでは、テレビジョンの放送にあたり、専属の俳優を募集します。プロの俳優である必要はありません。一年間、最高の先生をつけて養成し、採用者はNHKの専属にします。

と、NHKがテレビの俳優を募集している広告に目が止まったそうで、

「NHK放送劇団」が素人でも1年間養成してくれるのなら、もしかしたら、絵本の読み方も教えてくれるかもしれないと、早速、「NHK放送劇団」の俳優募集に応募したのだそうです。

(なんと、黒柳徹子さんが俳優募集の広告を見たその日が、「NHK放送劇団」が俳優募集をした唯一の日だったそうです)

「【画像】黒柳徹子の若い頃は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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