1979年、38歳の時、朝の情報番組「ズームイン!!朝!」の司会に抜擢されると、”朝の顔”としてお茶の間の人気を博し、以降、40年以上に渡って、活躍を続けている、徳光和夫(とくみつ かずお)さん。

そんな徳光和夫さんは、幼い頃からおしゃべり好きで、小学2年生の時には、ラジオで落語を聞いたことがきっかけで、落語が好きになり、高校生の時には、落語家・柳家小さんに弟子入りを志願したこともあったといいます。

今回は、徳光和夫さんの幼少期(生い立ち)から大学時代までをご紹介します。

徳光和夫

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徳光和夫が幼い頃は両親によく映画館に連れて行ってもらっていた

徳光和夫さんは、元記録映画監督で日本テレビ開局職員だったお父さん・徳光寿雄(德光壽雄)さんと、百貨店に勤務していたお母さん・房子さんのもと、3人兄弟(弟と妹)の長男として誕生すると、

幼い頃は、よく映画館に連れて行ってもらっていたそうです。

徳光和夫は小学2年生の時に落語が好きになっていた

また、徳光和夫さんは、幼い頃からおしゃべりが好きで、小学2年生の時には、ラジオで落語を聞いたことがきっかけで、落語が好きになると、

やがて、自分でもやってみたくなり、中学生の時には、教室で落語を披露すると、これがみんなに大ウケし、やがて、落語家になりたいと思うようになったそうです。

徳光和夫は高校生の時に落語家・柳家小に弟子入りを志願していた

そして、高校生の時には、落語家を目指し、柳家小さんに弟子入りすることを決意すると、柳家小さんの自宅を訪れ、弟子入りを志願したそうですが・・・

玄関で水をまいていたお弟子さんに門前で追い返されてしまったそうです。

徳光和夫は中学生の時に「春日八郎ショー」の司会に感銘を受けていた

また、徳光和夫さんは、中学生の時、映画館に行った際、映画と映画の間に開催されていた、「春日八郎ショー」を見て、その司会に感銘を受けたこともあったそうです。

(当時は映画と映画の間に「実演」という歌謡ショーがあったそうです)

徳光和夫は高校2年生の時に長嶋茂雄に憧れ立教大学を目指すようになっていた

そんな徳光和夫さんですが、高校2年生の時、東京六大学野球を観戦していた際、当時、神宮の星と言われていた長嶋茂雄さんが、東京六大学野球新記録となる第8号ホームランを打ち、うれしさから、小躍りしながらベースを回る姿を見て、感動したそうで、

それ以来、長嶋茂雄さんに全てを捧げようと決意し、長嶋茂雄さんの後輩になりたい、との思いから、長嶋茂雄さんが在籍していた立教大学を目指したといいます。

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徳光和夫は大学時代は応援団に入部するも放送研究会に転部していた

こうして、徳光和夫さんは、長嶋茂雄さんの後を追って立教大学に入学すると、長嶋茂雄さんがプレーしていた神宮球場にタダで入るにはどうすればいいか考えた結果、応援団に入部したそうですが、

応援団だと、常にグラウンドに背中を向けた状態で試合を観ることができなかったことから、不満を覚えるようになったそうで、

そんな中、神宮球場で、スタンド最前列でテープレコーダーを持って取材等をしている放送研究会を見かけ、観客席の一番前で選手たちがプレーする姿を観ることができる放送研究会に転部したのだそうです。

お読みいただきありがとうございました

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