1981年、14歳の時、オーディション番組「第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で、見事グランプリを獲得して芸能界入りすると、1982年3月、15歳の時には、「潮風の少女」でアイドル歌手としてデビューし、
1983年、16歳の時には、テレビドラマ「スチュワーデス物語」でヒロインを務めると、たちまちブレイクした、堀ちえみ(ほり ちえみ)さんですが、人気絶頂の20歳の時、突然、芸能界を引退しています。
今回は、堀ちえみさんの若い頃(デビューから芸能界引退まで)の代表曲(シングル)や出演ドラマほか経歴を時系列でご紹介します。

「堀ちえみの生い立ちは?幼少期は裕福!中2で石野真子に憧れ芸能界を目指していた!」からの続き
堀ちえみは14歳の時に「第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリに輝いていた
石野真子さんに一目惚れしたことがきっかけで芸能界を目指すようになったという堀ちえみさんは、アイドルになるため、オーディション番組に応募したそうですが、
1981年、14歳の時、「第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン」を受けると、いきなり、見事、グランプリを獲得しています。

ちなみに、このオーディションの模様は、全国放送されていたことから、終了直後、中学校の教師からテレビ局に電話がかかってきたそうで、
堀ちえみさんは、てっきり、「よくやった」と褒められるのかと思ったそうですが、
教師には、
何してくれとるんや!どうやって学長に始末書を書いたらええねん!
と、叱られてしまったといいます。
(当時、堀ちえみさんが通っていたエスカレーター式の私立の学校は、校則が厳しく、テレビ出演は一切禁止だったそうですが、堀ちえみさんは、まさか上位になることはないだろうと思い、学校に内緒で、このオーディション「第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に参加していたのだそうです)
堀ちえみは両親に芸能界入りを猛反対されるも祖父に説得してもらっていた
また、堀ちえみさんの両親も、娘の芸能界入りに猛反対したそうですが、
おじいさんだけは、
一度しかないちえみの人生なんだから、悔いが残らないよう本人の思う道に進ませてあげよう
と、言って、両親を説得してくれたそうで、
堀ちえみさんは、晴れて、芸能界入りすることができたのだそうです。
(堀ちえみさんの両親は、まさか、娘がグランプリを獲得するとは思っておらず、参加するだけなら、とオーディション出場を許してくれていたのだそうです)
堀ちえみは15歳の時に「潮風の少女」でアイドル歌手デビュー
こうして、芸能界入りした堀ちえみさんは、翌年の1982年3月、15歳の時には、ファーストシングル「潮風の少女」でアイドル歌手としてデビューし、

「潮風の少女」
その後も、
- 1982年6月「真夏の少女」

「真夏の少女」 - 1982年8月「待ちぼうけ」

「待ちぼうけ」 - 1982年11月「とまどいの週末」

「とまどいの週末」 - 1983年「さよならの物語」
- 1984年「クレイジーラブ/愛のランナー」
- 1985年「リ・ボ・ン」
と、立て続けにシングルをリリースすると、
同期の、小泉今日子さん、松本伊代さん、早見優さん、石川秀美さん、三田寛子さん、シブがき隊(布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英)、中森明菜さんらと共に、「花の82年組」と呼ばれ、人気を博したのでした。
堀ちえみは16歳の時にテレビドラマ「スチュワーデス物語」で大ブレイクしていた
また、堀ちえみさんは、女優としても、NHK「泣き虫家族」(時期不明)でテレビドラマデビューすると、
1983年には、テレビドラマ「スチュワーデス物語」で、ヒロインの松本千秋役に抜擢されているのですが、

「スチュワーデス物語」より。(左から)堀ちえみさん、石立鉄男さん、風間杜夫さん。
この物語は、日本航空のパイロットだった亡き父の思い出を胸に、スチュワーデスの道を歩み始めたスチュワーデス訓練生のヒロインが厳しい訓練を受ける中で、ダンディな教官との恋愛や訓練生仲間との友情・対立などを通じ、一人前のスチュワーデスになっていく姿を描いた作品で、
堀ちえみさんの、
教官! 私はドジで間抜けでノロマな亀です。 だけど、スチュワーデスに絶対なるという気持ち、教官が大好きだという気持ちは、誰にも負けません!
というセリフから、
教官!
ドジでノロマな亀
などのセリフが流行語となるほか、
事故で手が不自由になった新藤真理子(片平なぎささん)が、手袋を口でくわえて外すシーンなど、大映ドラマならではの、大げさなセリフやシーンがウケ、最高視聴率は26%を超える大ヒットを記録。
これに伴い、堀ちえみさんも大ブレイクしたのでした。

「スチュワーデス物語」より。新藤真理子に扮する片平なぎささん。
堀ちえみは18歳~19歳の時に「スタア誕生」「花嫁衣裳は誰が着る」で逆境に耐える大映ドラマのヒロインを好演していた
そんな堀ちえみさんは、その後も、1985年、18歳の時には、「スタア誕生」で、心臓病を患いながらも、スターを目指すヒロイン、

「スタア誕生」より。風見しんごさんと堀ちえみさん。
1986年、19歳の時には、「花嫁衣裳は誰が着る」で、両親を亡くし学歴もお金もない厳しい境遇のなか、一流デザイナーを目指すヒロイン、

「花嫁衣裳は誰が着る」より。伊藤かずえさん(左)と堀ちえみさん(右)。
と、イジメや逆境に耐えながら、最後には幸せを手に入れるという、1980年代の大映ドラマを象徴する、ヒロイン役を演じています。
堀ちえみが20歳の時に突然芸能界を引退した理由とは?
しかし、そんな人気絶頂の中、堀ちえみさんは、1987年2月15日に20歳を迎えると、
3月いっぱいで引退して、(出身地の)大阪に帰ります!
と、突然、事務所に宣言したそうで、
事務所は、連日、堀ちえみさんを説得したそうですが、堀ちえみさんの意志は変わらず、堀ちえみさんは、本当に引退してしまったのでした。
ちなみに、気になる引退理由ですが、
堀ちえみさんは、
20歳を機に引退したい
とコメントしたのみで、長らく、何も明かしていなかったのですが、
2019年、「堀ちえみ 40周年アニバーサリー CD/DVD-BOX」を発売した際、インタビューで、
事務所がもっていきたい方向と、自分がやっていきたい方向はどうしても違ってきてしまう。そういった食い違いはありましたし、そこにプラスして忙しかったというのもありました。
このまま芸能界にいて自分が人間として成長できなかったらどうしよう、とまで考えました。20歳の誕生日を迎えたその年に芸能界を引退することを発表したのもそういう事情があったからです。
と、明かしています。
「【画像】堀ちえみの若い頃(芸能界復帰後)から現在までのシングルや経歴は?」に続く
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人気絶頂だった20歳の時に、突然、芸能界を引退するも、22歳の時に芸能界に復帰すると、その後は、主婦業と仕事を両立しながら、歌手、女優、タレントとして活動を続け、 2019年には舌ガンと食道ガンを公表し闘病するも、202 …











