1960年代と1970年代、伝説的劇団「状況劇場」を引っ張り、アングラ演劇ブームを牽引した、唐十郎(から じゅうろう)さん。

そんな唐十郎さんは、1967年に李麗仙さんと結婚すると1988年には離婚し、1989年には別の女性と再婚しているのですが、二人の妻の間に子供が3人誕生しています。

今回は、唐十郎さんの子供についてご紹介します。

唐十郎

「唐十郎の前妻・李麗仙との馴れ初めは?離婚理由は?再婚相手は?」からの続き

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唐十郎の子供は3人(息子が2人、娘が1人)

唐十郎さんには、

  • 前妻(最初の妻)の李麗仙さんとの間に、息子が1人
  • 再婚相手(2番目の妻)との間に、息子が1人と娘が1人

と、計3人の子供がいます。

息子(長男)は大鶴義丹

1968年4月24日、唐十郎さんと李麗仙さんの間に誕生した男の子(長男)は、俳優の大鶴義丹さんです。

大鶴義丹
大鶴義丹さん。

大鶴義丹さんは、1984年、16歳の時に、NHKドラマ「安寿子の靴」で俳優デビューすると、大学在学中には、「首都高速トライアル」で映画デビューも果たし、以降、テレビドラマ、映画、舞台と幅広く活動しているのですが、

大学在学中の1990年には、著書「スプラッシュ」で小説家としてデビューすると、いきなり「第14回すばる文学賞」を受賞するほか、1995年には、「となりのボブ・マーリィ」で映画監督としてもデビューするなど、お父さん譲りのマルチな才能を発揮しています。

ちなみに、大鶴義丹さんは、生まれた時から、家の1階が自宅、2階が「状況劇場」の稽古場、という環境で暮らしてきたそうで、

幼い頃の自身の家庭について、

家では常にまわりに人がいたし、親も忙しくしていましたから、いわゆる”家族の団欒(だんらん)”はなかったですね。お祝いごともしない。

「今日は僕の誕生日だ」と父に言えば、「俺はグレゴリウス暦そのものを否定している」なんていう言葉が返ってくるだけ。その代わり、「勉強しろ」とか「ああしろ、こうしろ」も言われませんでした。

小学校の頃、10日間ほど芝居の稽古がなく、家族3人だけで過ごしたことがありましたが、このときの気まずさといったら・・・

そんな日常でしたから、友達の家に行くと珍しいことばかり。なかでも「親とはこんなに子どもの面倒をみるものなのか」ということには驚きました。まあ、あっさりした親子関係のおかげで早くから自立心が育った、とも言えるのですが。

と、語っています。

娘(長女)は大鶴美仁音

1991年7月29日、唐十郎さんとその再婚相手(2番目の妻)の間に誕生した女の子(長女)は、女優の大鶴美仁音(おおつる みにおん)さんです。

大鶴美仁音
大鶴美仁音さん。

大鶴美仁音さんは、2005年、13歳の時に、お父さん(唐十郎さん)に頼まれて、映画「ガラスの使徒」で子役デビューしたそうですが、

2008年、17歳の時に、自ら望んで、お父さん(唐十郎さん)の劇団「唐組」の舞台「ジャガーの眼 2008」に出演すると、その後は、劇団「唐組」の舞台はもちろん、その他の舞台にも数多く出演しています。

ちなみに、唐十郎さんは、生前、大鶴美仁音さんをとてもかわいがっていたそうで、

大鶴美仁音さんも、2024年5月1日、唐十郎さんが再び自宅で転倒し、病院に緊急搬送されると、その当日に岡山での巡業から帰京し、東京公演の準備の合間を縫って、毎日病室を訪れていたそうです。

また、大鶴美仁音さんは、唐十郎さんが他界された5月4日には、息を引き取る10分ほど前に病院に到着し、最期を看取ったそうですが、

意識のないお父さんに、これまでの思い出や「世界で1番好き」という思いなどを必死に伝えたといいます。

そんな大鶴美仁音さんは、取材に対し、

“来世でも、お父さんの娘に生まれてきたいです”と指切りして、終わった時にちょうど(バイタルが)0になった。伝えたいことを最後に全部聞いてくれたような気がした

この世から唐十郎という人物が旅立ったことはとても寂しいですけど、今は最期をみとることが出来て、伝えたいことも伝えられたので安堵(あんど)の気持ちの方が強い

と、語っています。

息子(次男)は大鶴佐助

1993年11月14日、唐十郎さんとその再婚相手(2番目の妻)の間に誕生した男の子(次男)は、俳優の大鶴佐助(おおつる さすけ)さんです。

大鶴佐助
大鶴佐助さん。

唐十郎さんは、大鶴佐助さんを劇作家にさせたいと考え、大鶴佐助さんが幼い頃から英才教育を施していたそうで、大鶴佐助さんが舞台で独創性や個性を発揮すると、とても喜んでいたといいます。

そんな大鶴佐助さんは、現在、野田秀樹さんの作品に出演するほか、自身も劇団「ヒトハダ」を旗揚げするなど、舞台にやりがいを感じているそうですが、

大鶴佐助さんは、晩年の唐十郎さんについて、

父は家でもずっと唐十郎のままで、座長として常に自分を鼓舞しているように見えました。でも(平成24年に)倒れてからは、本名の大靏義英に戻り、穏やかな時間を過ごしているように見えました

演劇しか能のなかった人が、本名に戻って生き直したようでした。でも亡くなって半年たった今(2024年11月)、やはり、”唐十郎”の姿しか浮かびません

と、語っています。

さて、いかがでしたでしょうか。

唐十郎さんの、

  • 唐十郎の国籍は?生い立ちは?小4で脚本!大卒後劇団シチュエーションの会!
    • 唐十郎のプロフィール
    • 唐十郎の本名は?
    • 唐十郎の国籍は?
    • 唐十郎は下谷万年町で生まれ育っていた
    • 唐十郎は小学4年生の時に学芸会で脚本を書いていた
    • 唐十郎は中学3年生頃から本格的に演劇活動を始めていた
    • 唐十郎は大学生時代は「実験劇場」で俳優活動をしていた
    • 唐十郎は23歳の時に劇団「シチュアシオンの会(シチュエーションの会)」を旗揚げしサルトルの「恭しき娼婦」を上演していた
  • 【画像】唐十郎の若い頃は状況劇場で紅テント!死去までの作品や著書は?
    • 唐十郎は23歳の時に劇団「シチュアシオンの会(シチュエーションの会)」を解散
    • 唐十郎は23歳の時に「状況劇場」で処女戯曲「24時53分『塔の下』行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている」を上演
    • 唐十郎は「状況劇場」で野外劇をするようになっていた
    • 唐十郎は26歳の時に「金粉ショー」で「特権的肉体論」を生み出していた
    • 唐十郎は27歳の時から新宿・花園神社の境内で”紅テント”公演を行うようになっていた
    • 唐十郎は排斥運動を受け新宿・花園神社の境内から追い出されていた
    • 唐十郎は「新宿西口公園事件」を起こし逮捕されていた
    • 唐十郎は”トラック劇場”を公演していた
    • 唐十郎は寺山修司の劇団「天井桟敷」を襲撃して再び逮捕されていた
    • 唐十郎は30歳の時に「少女仮面」で「第15回岸田國士戯曲賞」を受賞していた
    • 唐十郎は32歳の時に韓国・ソウルで「二都物語」を無許可で上演していた
    • 唐十郎は33歳~34歳の時にはバングラデシュとレバノンで公演
    • 唐十郎は48歳の時に劇団「状況劇場」を解散し劇団「唐組」を立ち上げていた
    • 唐十郎は72歳の時に母校・明治大学文学部の客員教授に就任していた
    • 唐十郎は72歳の時に「外傷性脳内血腫」と「脳挫傷」で会話が難しい状態になっていた
    • 唐十郎は前妻・李麗仙から訴えられていた
    • 唐十郎の死因は?
    • 唐十郎の作品(戯曲)
    • 唐十郎の作品(映画)
    • 唐十郎の出演作品(テレビドラマ)
    • 唐十郎の著書
  • 唐十郎の前妻・李麗仙との馴れ初めは?離婚理由は?再婚相手は?
    • 唐十郎の前妻・李麗仙との馴れ初めは?
    • 唐十郎と李麗仙は結婚後は公私ともに良きパートナーだった
    • 唐十郎と李麗仙の離婚理由は?
    • 唐十郎の再婚相手は?
    • 唐十郎は李麗仙から訴えられていた
    • 唐十郎は李麗仙の死去に際しドラマティックな別れを演じていた
  • 唐十郎の子供は?息子は大鶴義丹と大鶴佐助!娘は大鶴美仁音!
    • 唐十郎の子供は3人(息子が2人、娘が1人)
      • 息子(長男)は大鶴義丹
      • 娘(長女)は大鶴美仁音
      • 息子(次男)は大鶴佐助

について、ご紹介しました。

既成概念を打ち破る斬新な作風でアングラ演劇の黄金時代を牽引し、紅テントを掲げた「状況劇場」で一つの時代を築き上げると、その破天荒でありながらも詩情あふれる独特の世界観で、演劇という枠を超えて多くの人々の心を捉え、熱狂させた、唐十郎さん。

そんな唐十郎さんが遺した数々の戯曲と舞台から放たれた圧倒的な熱量は、これからも色褪せることなく、私たちの魂を揺さぶり続けることでしょう。

お読みいただきありがとうございました

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