1971年8月5日、18歳の時、「シモンズ」として、「恋人もいないのに」でデビューすると、いきなり、60万枚を売り上げる大ヒットを記録し、たちまちブレイクした、田中ゆみ(たなか ゆみ)さん。

今回は、そんな田中ゆみさんの、若い頃(シモンズ時代)から現在までのシングルほか経歴を時系列でご紹介します。

田中ゆみ

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田中ゆみのプロフィール

田中ゆみさんは、1953年1月21日生まれ、
大阪府の出身、

身長153センチ、
体重43キロ、

スリーサイズは、83-62-84、

靴のサイズは、22.5センチ、

趣味は、フラワークラフト、

特技は、歌、ギター、パン・ケーキ作り、料理、

本名は、田中由美子(たなか ゆみこ)で、「シモンズ」時代は、「田中ユミ」名義で活動していました。

また、「シモンズ」解散後は、「シモンズYumi」「北川ユミ」名義でも活動しています。

田中ゆみは中学時代に「スターと飛び出せ歌合戦」で優勝していた

田中ゆみさんは、幼い頃から歌を歌うことが好きだったそうで、
中学校時代には、公開歌謡番組「スターと飛び出せ歌合戦」に出場し、優勝したこともあったそうです。

田中ゆみは高校生の時に玉井タエとフォークデュオ「シモンズ」を結成

そんな田中ゆみさんは、高校時代、友達のつながりで、玉井タエさんと知り合い、1970年、17歳の時、フォークデュオ「シモンズ」を結成すると、

当時、「白い色は恋人の色」が大ヒットしていた「ベッツイ・アンド・クリス」のハーモニーを目標に、コピーバンドとして活動したそうです。

(田中ゆみさんは「シモンズ」では高音のパートを担当していました)

ちなみに、「シモンズ」という名前は、憧れだった「サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)」の「Simon」をローマ字読みにしたものだったそうです。

田中ゆみは18歳の時に「シモンズ」としてデビュー曲「恋人もいないのに」が60万枚を売り上げる大ヒット

そして、1971年には、「シモンズ」として、毎日放送ラジオの「ヤングタウン」のオーディションを受けると、見事、合格したそうで、

高校卒業後に上京すると、すぐにデビューが決まり、同年8月5日、RCAビクターから、「シモンズ」として、ファーストシングル「恋人もいないのに」でデビューすると、いきなり60万枚を売り上げる大ヒットを記録。

「シモンズ」は、この年の「第13回日本レコード大賞新人賞」を受賞するほか、紅白歌合戦にも出場するなど、たちまちブレイクしたのでした。

「シモンズ」
「恋人もいないのに」

ちなみに、田中ゆみさんは、この時のことを、

私たちのデビュー曲が大ヒットして、その年のレコ大の新人賞にも選ばれました。小柳ルミ子さんや南沙織さん、欧陽菲菲さんと同じ壇上に並び、まさかという思いで立っていました。

と、語っているほか、

あの「恋人もいないのに」は西岡たかしさん(「五つの赤い風船」のリーダー)が作曲してくださいましたが、実はもう1つの候補があったんです。それは加藤和彦&北山修さんの「あの素晴らしい愛をもう一度」でした。

私たちのデビュー曲候補で依頼されていましたが、あまりにも出来がいいのでご本人たちで歌われたそうです。もちろん「恋人もいないのに」は名曲ですが、もし「あの素晴らしい愛をもう一度」でデビューしていたら、歴史が変わっていたかもしれませんね。

と、もともと、「シモンズ」のデビュー曲は、北山修さん(作詞)と加藤和彦さん(作曲)が制作した「あの素晴らしい愛をもう一度」の予定だったことも明かしています。

田中ゆみは「シモンズ」として明治製菓「チェルシー」のCM曲を歌唱していた

そんな「シモンズ」は、その後も、シングルをリリースしているのですが、その一方で、CMソングも数多く歌唱しており、特に、

♪懐かしい人に出逢ったような 優しい便りがいま届いた 忘れかけていた幸せ あなたにもわけてあげたい ホラ チェルシー もひとつ チェルシー♪

の歌詞でおなじみの、明治製菓(現・明治)の「チェルシー」のCM曲(作詞・安井かずみさん、作曲・小林亜星さん)は、田中ゆみさんと玉井タエさんの美しいハーモニーが素晴らしく、日本人なら誰でも知っているおなじみの曲として長きに渡り、親しまれました。

(「チェルシー」は、明治製菓がスコットランドの「スカッチキャンディー」に着想を得て開発したもので、「バタースカッチ」「ヨーグルトスカッチ」「コーヒースカッチ」などを発売し、ロングセラーとなるも、2024年3月には販売を終了していたのですが、同年9月には、道南食品(明治グループ)によって「北海道 生食感チェルシー」として復活しています)

田中ゆみは22歳の時に「シモンズ」を解散してソロに転身

ただ、人気絶頂の1974年、パートナーの玉井タエさんがベーシストの後藤次利さんと結婚したことをきっかけに、「シモンズ」は活動を休止。

その後、田中ゆみさんは、元マネージャーの北川啓二さんと結婚し、「北川ユミ」名義で、ソロ歌手に転身すると、

ラジオのDJ、CMソング、ライブ、ディナーショーなど幅広く活動するほか、フォークソング、カントリー、ラテン音楽を中心に歌手として活動を続けています。

(その後、いつ頃かは不明ですが、北川啓二さんとは離婚したそうで、その後は、「シモンズYumi」「田中ゆみ」の2つの名義で活動しています)

田中ゆみは56歳の時に玉井タエと「シモンズ」40周年記念コンサートで共演していた

そんな中、1978年には、「シモンズ」としての活動を再開し、テレビドラマ「幸福の断章」の主題歌「水の影」をリリースするのですが、翌年の1979年には、「シモンズ」は正式に解散。

「水の影」
「水の影」

また、1996年には、元「ジャネッツ」の青木まり子さん(現在は「五つの赤い風船」)と新「シモンズ」を結成するも、1999年には解散すると、その後も、再結成と解散を繰り返し、

2009年7月には、大阪府の守口文化センターで、玉井タエさんとの「シモンズ」40周年記念コンサートを開催し、「シモンズ」解散以来初の、田中ゆみさんと玉井タエさんのデュエットでファンを沸かせています。

田中ゆみは56歳の時に女優デビューしていた

そして、同年(2009年)12月には、「田中ゆみ」名義で「土曜ワイド劇場 温泉㊙大作戦8」で女優デビューを果たすほか、「趣味悠々 はじめての三線」(NHK教育テレビ)にも生徒役で出演しています。

田中ゆみの現在は?

そんな田中ゆみさんは、2016年、「Asagei+」のインタビューで、2010年に再婚し、孫が7人いることを明かしているのですが、

2025年現在も、地元・大阪を中心に、ラジオ番組へのゲスト出演、イベント、コンサートなど音楽活動のほか、

アトリエ「アトリエゆみ」を開設して、パン作り教室、日本舞踊、フラワークラフト、絵画教室、絵画制作なども主催し、2025年3月13日~3月24日には、五月山緑のセンターで「四季彩アトリエ作品展」を開催し、自身の絵画作品を展示しています。

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田中ゆみ(シモンズ時代)のシングルと担当CM曲

それでは、最後に、田中ゆみさんの「シモンズ」時代のシングルと担当CM曲をご紹介しましょう。

シングルでは、

  • 1971年「恋人もいないのに」
  • 1971年「ふり向かないで」
  • 1972年「おくれて来た少女」
    「おくれて来た少女」
    「おくれて来た少女」
  • 1972年「ひとつぶの涙」
  • 1972年「思い出の指輪」
  • 1972年「ふるさとを見せてあげたい」
  • 1973年「若草の雨」
    「若草の雨」
    「若草の雨」
  • 1973年「恋の悩みは不思議なもの」
  • 1973年「ここから独りで」
  • 1973年「幸せ色した貝がら」
  • 1974年「取消して下さい」
  • 1978年「水の影」
    「水の影」
    「水の影」

CM曲では、

  • 明治製菓株式会社 「明治チェルシーの唄」
  • フェミニン株式会社 「コンフィデンス」
  • 株式会社ユーハイム 「ユーハイムの歌」
  • 株式会社岡山高島屋 岡山高島屋の歌「初めまして」
  • 株式会社服部時計店 「セイコー・ジョイフルの唄」
  • 養命酒製造株式会社 「みどりの駒ヶ根」
  • しがぎん(滋賀銀行) 創立40周年記念 イメージソング 「わたしのびわ湖」
  • コーセー化粧品 「秋のほほえみ”シェリ・ビアン”」
  • キッコーマン醤油 「デルモンテ トマトケチャップ」

ほか、数多く歌唱しています。

お読みいただきありがとうございました

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