1971年、ロックバンド「PYG」で沢田研二二さんと活動を共にすると、誰よりも早く沢田研二さんの才能を見抜き、
「PYG」が短期間で自然消滅した後も、「井上堯之バンド」を結成し、沢田研二さんを支え続けた、井上堯之(いのうえ たかゆき)さんですが、深い葛藤に苦悩していたといいます。
今回は、信頼し合っていた2人がなぜ、袂(たもと)を分かつことになったのか、井上堯之さんと沢田研二さんの出会いから別れまでを、井上堯之さんの証言を交えてご紹介します。

「【画像】井上堯之の若い頃(井上堯之バンド以降)から死去までの経歴は?」からの続き
井上堯之は沢田研二をひと目見た瞬間にスターになることを確信していた
井上堯之さんが沢田研二二さんを初めて見たのは、沢田研二さんが「ファニーズ」(「ザ・タイガース」の前身)で活動していた頃だったそうで、
井上堯之さんは、その輝きに圧倒され、著書「ミュージシャンをめざすキミへ」に、
彼は、そのころから光っていたよ。ひとめ見ただけで、この人は絶対にスターになる、と思った。それほど、輝いて見えた。
と、綴っています。
1960年代「ザ・タイガース」のメンバーとして一世を風靡して以来、半世紀に渡り、音楽活動を続けられている、沢田研二(さわだ けんじ)さん。今回は、そんな沢田さんの、生い立ちからブレイクに至るまでの経緯についてご紹介します …
井上堯之は沢田研二の人間的な魅力に惹かれていた
また、グループ・サウンズ時代、沢田研二さんとは、特に個人的な交流はなかったそうですが、世間が「ジュリー」という華やかなアイコンに熱狂する中、井上堯之さんは、沢田研二さんの内面的な部分に惹かれていたといいます。
(沢田研二さんはジュリーと呼ばれていました)
実は、沢田研二さんは、自分に与えられた役割というものを本当によく理解し、自分の与えられた生を、普通に、「ただ、まっとうしたい、やり遂げたい」と本気で思っている人だったそうで、
「ザ・タイガース」時代、「君だけに愛を」という歌を歌う際、「♪君だけに~♪」で指を指すポーズをしていたのも、
オレ、歌ヘタや。せめて、一生懸命やらな、あかん。楽しんでもらわなければ。どないしたらええのか・・・
と、沢田研二さんが、悩みに悩んだ末に、考え出したポーズだったのだそうです。

「君だけに愛を」を歌う沢田研二さん。
そんな沢田研二さんのことを、井上堯之さんは、
ぼくらだって、彼がスターであることは十分に知っているし、心から認めてるよ。でも、いっしょにいると、彼が”スターである沢田研二”とはどうしても思えないんだ。一人の、すばらしい生き方をしている人間、として見てしまうんだ。
沢田のキマジメさ、謙虚さ、律儀な男らしさ、どれをとってもキチンとしている。テレビなんかで見る、彼のうわべしか知らなかった人が、彼の実像にふれると、ますます彼を好きになってしまうよ。とにかく、変なヤツだよ。
むかしは、よく語りあった、とはいっても、沢田はいつも聞き役。むかしから、彼は不言実行型の人間なんだ。
と、絶賛しています。

井上堯之さん(左)と井上堯之さんの息子を抱く沢田研二さん(右)。
井上堯之はバンド活動にこだわる沢田研二にソロになるよう説得していた
そんな井上堯之さんは、1971年、「ザ・スパイダース」解散後、沢田研二さん、大野克夫さん、岸部修三(現・岸部一徳)さん、萩原健一さん、大口広司さんと、ロックバンド「PYG」を結成するも、
1000万円もの多額の赤字を抱えるなど、その活動が困難を極め、もうこれ以上はやっていけないという状態になり、これからどうしようかとなった際、沢田研二さんがソロに転向することになったそうですが、
それでも、バンドでの活動に強いこだわりを持っていた沢田研二さんは、ソロ転向を渋っていたそうで、
井上堯之さんは、沢田研二さんを、
「PYG」という名前はなくなっても、オレたちの関係にはなんら変わりはない。
共倒れになるわけにはいかないんだ
と、説得したといいます。
井上堯之は「井上堯之バンド」で沢田研二の人間的な魅力を世間に伝えようとしていた
また、沢田研二さんは、周囲から、「もっと磨けば光るのに」と言われていたそうで、井上堯之さんも、そう思っていたことから、以降、「井上堯之バンド」として、沢田研二さんの活動をサポートするようになったそうですが、
井上堯之さんは、単に伴奏をする”バックバンド”の意識ではなく、沢田研二という人間の魅力を世間に伝えるための”スポークスマン(代弁者)”だと考えていたそうで、
彼の人となりを伝えなければならない
と、使命感を持っていたといいます。

沢田研二さん(左)と井上堯之さん(右)。
というのも、1970年代、グループ・サウンズや長髪の若者は、大人たちから”不健全な風俗”として叩かれる対象で、特にスターである沢田研二さんは、その矢面に立たされることが多くあり、
井上堯之さんは、
なぜ、彼の人柄という真実を見ようとしないのか
と、沢田研二さんに対する不当な評価に強い憤りを感じていたそうで、
この世間の偏見に対する抵抗心から、「沢田研二という男と共に歩む」という使命感を持つようになったのだそうです。
井上堯之が「悪魔のようなあいつ」の音楽担当を降りた際には沢田研二は涙していた
こうして、井上堯之さんは、作曲家・編曲家として活動しつつ、「井上堯之バンド」として、沢田研二さんのレコーディングやライブでバックバンドを務め、沢田研二さんの活動をサポートしたそうで、
1975年には、歌謡曲と「井上堯之バンド」によるロックを融合させた、沢田研二さん主演のテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌「時の過ぎゆくままに」が大ヒットし、沢田研二さんは瞬く間に歌謡界の頂点へと駆け上がっているのですが、
そんな中、井上堯之さんは、同じ屋根の下ではなく、別会社としてシビアに向き合うことこそが、スターである沢田研二さんへの誠実な尽くし方だと考えるようになり、
「悪魔のようなあいつ」の音楽担当を降り、「渡辺プロダクション」から独立して、自身の事務所「ウォーターエンタープライズ」を設立すると、
沢田研二さんには、
なんで、ぼくの仕事をしてくれへんねん
と、涙を流されたといいます。
ただ、井上堯之さんは、
ぼくは、おまえのうしろでギターを弾くことしかできないよって、いったじゃないか
と、答えたそうで、
井上堯之さんは、その真意を、
あいつのやることと背中合わせで生きていくしかないと思ったんです。ビッグスターのあいつがでっかい玉ならこっちは、やじろべえの反対側の遠くにある玉、みたいに思ってバランスを取っていたんです。
だからバンドはぶっきらぼうな顔をして演奏していますよ。沢田と井上バンドは極端な両性面がなきゃ駄目だったんです。仲良しバンドじゃ駄目なんです。
渡辺プロを辞めて会社を作ったのもそのためなんです。同じ屋根の下じゃなくて、別会社を作ってシビアに接するというのも、あいつに対する僕らなりの尽くし方だったんです
と、語っています。
井上堯之は沢田研二が「勝手にしやがれ」で日本歌謡大賞を受賞したのをきっかけにバックバンドを辞めたいと申し出ていた
そして、1977年には、沢田研二さんが、「勝手にしやがれ」で日本歌謡大賞を受賞したことから、
井上堯之さんは、自分の役目は終わったと感じ、
バックを辞めさせてくれ
と、申し出たそうですが、
沢田研二さんには、
堯之さん、それじゃカッコよすぎるよ
と、引き止められたそうで、
(当時は、バックバンドからフリーでやることがかっこいいとされていたそうです)
井上堯之さんは、
自分の本意が伝わっていない
と、絶望しつつも、
必要とされるならばと、虚無感を抱えたまま活動を継続することを選んだそうで、
井上堯之さんは、
自分の役目が終わったから、自分の仕事をやりたい、と思っただけなんだけどもね。それで、もし続けるなら、何の役にも立たないよ、と彼に言った。それでも、ぼくを必要とするならそれでいいと。うしろでギターを弾くことしかできないんだよ、とね。
と、綴っています。
井上堯之は沢田研二という人間は好きながら表現方法が受け入れられなくなっていた
ただ、1970年代後半、ヒット曲を連発し、エンターテインメントの極致へ向かう沢田研二さんに対し、井上堯之さんは、その表現にリアリティを感じられなくなっていったそうで、
井上堯之さんは、練習すら手に付かなくなり、録音された自分の演奏を聴いては「自分らしくない」と自己嫌悪に陥る日々だったといいます。
とはいえ、沢田研二さんの努力家な性格を知っているからこそ、沢田研二さんの活動を否定することはできず、井上堯之さんにできたのは、ただ距離を保ちながら傍に居続けることだけだったそうで、
井上堯之さんは、
沢田のツアーで、こういう練習もしておこうってカリコリやるわけですよ。それをライヴでやって、録音したのを聴いた時、何だこれ?って思っちゃったんですね。自分らしくないし。それで自己嫌悪が深まるわけです。沢田のやってることは僕にとっては興味がない。
でもアイツのことは好きなんです、僕は。だから困った。だってあいつは、自分のために一生懸命やってくれる人達に応えようとするタイプなんですよ。そんなの非難出来ないじゃないですか。僕に出来たのは、距離を取りながら一緒にいることだけなんです
と、語っています。
井上堯之はついに沢田研二のバックバンドを辞めていた
そして1980年、ついに沢田研二さんと袂(たもと)を分かつことになると、
沢田研二さんは、別れ際、感情をぶつけるように、
堯之さんは、僕に何もしてくれなかった!
と、言ったそうですが、
井上堯之さんは、
沢田な、何も手伝えないでそばにいる切なさも、知っておいてくれ
と、言うしかなかったそうで、
井上堯之さんと沢田研二さんは、お互いを思うがゆえのすれ違いを残したまま、別々の道を歩むこととなったのでした。
ちなみに、井上堯之さんは、
結局、僕が自分の力を発揮したのが、映画とか沢田以外の場所だったから、沢田はそれが辛かったみたい。他局に行くと僕は楽しそうにギター弾いてる訳だから(笑)
僕自身が1番辛かったのは、居るだけで彼に貢献出来なかったこと。曲も時々しか作ってやれなかったし。
と、語っています。
「井上堯之の妻は?子供は息子2人で長男は元俳優の井上恭太!次男は?」に続く
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