「PYG」が自然消滅したことで、「井上堯之バンド」を結成すると、1972年には、テーマ曲と劇中伴奏音楽を担当した「太陽にほえろ!」の音楽が大きな話題となり、
以降、「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」「寺内貫太郎一家」「悪魔のようなあいつ」など、1970年代を代表するテレビドラマのテーマソングを数多く手掛けた、井上堯之(いのうえ たかゆき)さん。
今回は、そんな井上堯之さんの、若い頃(「井上堯之バンド」以降)から死去までの経歴を代表作を交えながら時系列でご紹介します。

「【画像】井上堯之が若い頃はPYGを結成し本格的なロックを目指していた!」からの続き
井上堯之は31歳頃に「井上堯之バンド」を結成
「PYG」が解散宣言もないまま自然消滅したことから、井上堯之さんは、その後(31歳頃)、大野克夫さん、岸部修三(現・岸部一徳)さん、原田裕臣さんの4人で、「井上堯之バンド」を結成し、活動を開始したそうですが、
井上堯之さんは、「PYG」では、本気でミュージシャン主導による新しい音楽シーンを目指していたことから、活動がままならないまま、自然消滅した反動が大きく、精神的にひどく落ち込んでいたといいます。
(ちなみに、沢田研二さんはソロ、萩原健一一さんは俳優業に比重を移していったそうです)
井上堯之は31歳の時、「井上堯之バンド」として「太陽にほえろ!」の音楽を担当し大きな話題となっていた
そんな中、俳優として高い評価を受けていた萩原健一さんが、自身が出演するテレビドラマ・映画の音楽担当に、井上堯之さんと大野克夫さんを推薦したそうで、
1972年(井上堯之さん31歳)には、「太陽にほえろ!」のテーマ曲(大野克夫さんが作曲と編曲)と劇中伴奏音楽を、「井上堯之バンド」が演奏すると、その斬新な音楽は、視聴者の間で大きな話題となり、
急遽、(当初は予定されていなかった)シングルがリリースされ、サントラ盤もリリースされると、ロングセラーとなっています。

「太陽にほえろ!」
井上堯之は33歳~34歳の時、「井上堯之バンド」としてテレビドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」「寺内貫太郎一家」「悪魔のようなあいつ」などの音楽を担当
すると、「井上堯之バンド」は、その後も、1974年~1975年には、萩原健一さん主演のテレビドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」「寺内貫太郎一家」、沢田研二さん主演のテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」などの音楽を担当するほか、
映画でも、
- 1974年「青春の蹉跌」※萩原健一さん主演
- 1974年「炎の肖像」※沢田研二さん主演
- 1975年「アフリカの光」※萩原健一さん主演
- 1975年「雨のアムステルダム」※萩原健一さん主演
- 1979年「太陽を盗んだ男」※沢田研二さん主演
などの音楽を担当しています。

「雨のアムステルダム」
ちなみに、1960年代、日本の映画・テレビドラマの音楽を支配していたのは、クラシックの巨匠、職人気質の映画作曲家、ジャズミュージシャンだったそうですが、
1970年代に入ると、ロックミュージシャンやバンドの台頭により、その勢力図は一変しており、
その先駆者となったのが、井上堯之さんであり、井上堯之さんの鋭利なギターサウンドだったそうです。
井上堯之は39歳の時に「井上堯之バンド」を解散
また、井上堯之さんは、「井上堯之バンド」として、沢田研二さんのライブのバックバンドも務めていたのですが、1980年、39歳の時には、「井上堯之バンド」を解散しています。
そして、その後、作曲家・編曲家へ活動の場をシフトし、
- 1981年「遠雷」
- 1983年「居酒屋兆治」※高倉健さん主演
などの音楽で作風を広げると、
1983年、中島みゆきさんのシングル「ファイト!」などの編曲を手掛けた後、ギターを弾くことも封印して、
いつ死んでもいいように、今日を限りに生きよう
と、決めたそうで、
仕事があってもなくても、とにかく、毎日、作曲を続けるという日々を過ごすようになったといいます。
井上堯之は45歳の時、映画「火宅の人」で「第10回日本アカデミー賞最優秀音楽賞」を受賞
すると、井上堯之さんは、1986年には、映画「火宅の人」の音楽で、「第10回日本アカデミー賞最優秀音楽賞」を受賞しており、一流サウンドトラックメーカーとして広く知られる存在となっていきます。
井上堯之は46歳の時、近藤真彦に提供した「愚か者」が「第29回日本レコード大賞」で大賞を受賞
そして、1987年には、当時、人気絶頂のアイドル歌手だった近藤真彦さんに提供した「愚か者」が大ヒットを記録すると、「第29回日本レコード大賞」で大賞、「第16回FNS歌謡祭」でグランプリを獲得して、作曲家としての地位を不動のものにし、
その後も、
- 1990年「マランドロ」(演劇)
- 1999年「ザ・ロッキーホラーショー」(ミュージカル)
では、音楽監督を務めたほか、
映画では、
などで、音楽を担当しています。
ちなみに、井上堯之さんは、「愚か者」が「第29回日本レコード大賞」で大賞を受賞したことについて、
自分はこれでやっと一人前の作曲家になれたのかなと思えた時、それは嬉しくて嬉しくて、こんなこんな私でも涙が止まりませんでした。
と、語っています。
井上堯之は58歳の時、堺正章、かまやつひろしと「ソン・フィルトル」を結成
また、井上堯之さんは、1999年には、「ザ・スパイダース」のメンバーだった堺正章さんとかまやつひろしさんの3人で、音楽カルテット「ソン・フィルトル」を結成し、
同年10月6日には、東京・六本木のライブハウス「スイートベイジル139」で初ライブを開催しているのですが、
同年末には、「第50回NHK紅白歌合戦」への出場も果たしています。

「ソン・フィルトル」。(左から)堺正章さん、かまやつひろしさん、井上堯之さん。
井上堯之は67歳の時に引退
その後も、井上堯之さんは、ソロだけでなく、様々なユニットに参加して、ライブ活動を展開するなど、様々な音楽シーンで活動していたのですが、2009年1月、突然、公式ホームページで引退を発表しています。
というのも、井上堯之さんは、1995年に初期の胃ガンを患い手術していたそうで、その後、再発はなかったものの、2009年明けに健康診断を受けたところ、「肺気腫」と診断されたそうで、
自覚症状はなく、音楽活動には支障はないものの、今後、ステージでの活動が、厳しくなってくる可能性が大きいことから、引退を決意したのだそうです。
(ちなみに、近年は納得のいく演奏ができなくなり、悩んでいたそうで、そんな時に病気が発覚し、引退する決断に至ったといいます)
井上堯之は75歳の時にアルバム「The Guitar」、76歳の時に「The GuitarII」をリリース
ただ、井上堯之さんは、芸能界引退後も、病と闘いながら、2009年1月から2010年6月の間、北海道小樽市のリハビリテーション施設でボランティア勤務をしつつ、リハビリ施設やイベントで演奏もしていたそうで、
その後、東京に戻った後も、老人ホームで童謡を演奏するほか、童謡のアルバムをリリースしています。
そして、2016年4月には、最新録音技術の波動録音方式で収録された、アルバム「The Guitar」をリリース、

「The Guitar」
2017年5月15日は、「The GuitarII」をリリースしています。

「The GuitarII」
井上堯之の死因は?
そんな井上堯之さんは、2017年5月2日には、「ザ・スパイダース」時代の盟友・かまやつひろしさんのお別れ会に出席し、元「ザ・スパイダース」のメンバーたちとステージに登壇して演奏を披露すると、

かまやつひろしさんのお別れ会より。(左から)加藤充さん(ベース)、田邊昭知さん(ドラム)、大野克夫さん(キーボード)、堺正章さん(ボーカル)、井上順さん(ボーカル)、井上堯之さん(ギター)。
2018年3月11日には、東京・杉並区のライブハウスでソロ公演を開催しており、6月10日にも、公演が予定されていたのですが・・・
同年(2018年)5月2日、午前9時15分、東京都立川市の病院で、敗血症により、77歳で他界されています。
ちなみに、葬儀・告別式は、生前の井上堯之さんの遺志により、近親者のみで営まれたそうで、「ザ・スパイダース」のメンバーが「お別れ会」を希望するも、お別れ会は開かれませんでした。
「井上堯之は沢田研二にソロ転向を勧めていた!バックバンドを辞めた理由とは?」に続く
「井上堯之ソロライブ 西荻Terra(2015.9.13)」
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