1981年、21歳の時、「ミスティ・トワイライト」でレコードデビューし、”都会派美人シンガー”として売り出されると、その後は、シティポップ路線にイメージチェンジし、

1983年には、テレビドラマ「スチュワーデス物語」の主題歌「ホワット ア フィーリング~フラッシュダンス」、1984年には、「スクール☆ウォーズ」の主題歌「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」など、いずれも洋楽のカバーが大ヒットを記録し、“洋楽カバーの女王”として人気を博した、麻倉未稀(あさくら みき)さん。

今回は、そんな麻倉未稀さんの歌手としての経歴を若い頃から時系列でご紹介します。また、最後には、ディスコグラフィー(シングル、アルバム)もご紹介します。

麻倉未稀

「麻倉未稀の生い立ちは?幼少期は?高卒後は姉の勧めでファッションモデル!」からの続き

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麻倉未稀は21歳の時に「ミスティ・トワイライト」でレコードデビュー

東京でファッション雑誌「ミセス」の専属モデルとして活動していた姉・高橋美和子さんに勸められるがまま、雑誌「装苑」のモデルとして活動を始めた麻倉未稀さんですが、

そんな中、オンワード樫山の婦人服ブランド「ジェーン・モア」のコマーシャルソングがレコード化されることになり、歌手のオーディションが行われたそうで、麻倉未稀さんもオーディションを受けると、見事、合格したそうで、

麻倉未稀さんは、1981年8月21日、21歳の時、「ミスティ・トワイライト」でレコードデビューを果たしています。

(”都会派美人シンガー”のキャッチフレーズで売り出されたそうです)

「ミスティ・トワイライト」
「ミスティ・トワイライト」

ちなみに、この「ミスティ・トワイライト」のサビの部分は英語の歌詞なのですが、麻倉未稀さんは、英語が不得意だったことから、当初は、オーディションを受けようか迷っていたといいます。

ただ、とても素敵な曲だったため、

これは逃したくない!

と、オーディションを受けることにすると、

事務所が入っていたマンションにたくさんの外国人が住んでいたことから、建物の入り口で待ち構えて、

英語を教えてください!

と、頼み込んで、発音や意味を教えてもらい、歌詞の英語の発音を練習してオーディションに臨んでいたのだそうです。

(「ミスティ・トワイライト」は、もともと、違う歌い手が「ジェーン・モア」のコマーシャルで歌っていたそうですが、この曲はレコードで買えるのかと、オンワード樫山に数多くの問い合わせがあったそうで、急遽、レコード化が決定し、麻倉未稀さんのもとにオーディションの話が舞い込んできたのだそうです)

麻倉未稀は21歳の時に1stアルバム「SEXY ELEGANCE」をリリース

また、麻倉未稀さんは、同年(1981年)11月には、”都会的なカッコいい大人の女性”をイメージしたファーストアルバム「SEXY ELEGANCE」をリリースしているのですが、

麻倉未稀さんは、

ちょっと自分の性格とは違うなと思い、都会派ってどういうことだろうと思ったら、“あんまりしゃべらないように”と言われたので、いつも口にチャックしてました

と、語っています。

ちなみに、この「SEXY ELEGANCE」の制作には、麻倉未稀さんが中学生の時にファンだった「チューリップ」の上田雅利さんも参加してくれたそうで、

麻倉未稀さんは、ファンだったことをいつ言おうかとずっと様子を伺っていたそうですが、レコーディングの終盤あたりで、

実はチューリップのファンだったんです

と、打ち明けることができたそうです。

麻倉未稀は21歳の時に2ndアルバム「LADY」をリリース

そして、1982年6月5日、21歳の時には、セカンドアルバム「LADY」をリリースしているのですが、

このアルバムは、全10曲収録されているうち、A面の5曲の作曲を、当時、超売れっ子の作曲家だった筒美京平さんが手掛けており、麻倉未稀さんは、筒美京平さんのオフィスを訪ねて行き、直々にレッスンを受けたそうですが、

(当時の担当ディレクターが、筒美京平さんに麻倉未稀さんを紹介し、楽曲提供の依頼をしたところ、筒美京平さんが快諾したことから実現したそうです)

筒美京平さんは、麻倉未稀さんの声質を最大限に生かすため、

君の声だったらこっちのほうがいいね

と、その場でフレーズを書き換えるなど、麻倉未稀さんの歌の度量に合わせて楽曲を細かく作り直してくれたほか、麻倉未稀さんのために、わざわざ、キャンディやケーキを買って用意し、長い時間を割いて接してくれたそうで、

(作家がここまで一人の歌手に付きっ切りで指導することは珍しいそうです)

麻倉未稀さんは、

あんなにゆっくりと作家の方と接するってなかなかないですから。レコーディングに入っちゃうと、あまり時間も取れないですし。

最初の大野(雄二)さんに関しては、やっぱりデビュー曲っていうこともあったので、しっかりと付き合ってくださいましたが、その後はそんなに作家の方と接する機会が少なかったので、京平先生がレッスンに付き合ってくださっていたっていうのは、非常にありがたかったなって思います。

と、語っています。

麻倉未稀は22歳の時に3rdアルバム「SNOW BIRD」をリリース

さらに、麻倉未稀さんは、同年(1982年)12月5日、22歳の時には、3枚目のアルバム「SNOW BIRD」をリリースしています。

「SNOWBIRD」
「SNOW BIRD」

(このアルバムも筒美京平さんが4曲手掛けており、前作「LADY」を踏襲した作品となっています)

麻倉未稀は22歳の時、4thアルバム「HIP CITY」でシティポップ路線に変更していた

ただ、デビュー以来、都会の夜やお酒が似合う”かっこいい大人の女性”路線を歩んでいた麻倉未稀さんは、

(筒美京平さんもその方向性を支持していたそうです)

実年齢や自身の性格と、歌っている楽曲の世界観とのギャップに密かに悩んでいたといいます。

そこで、もう少しポップなことをやってみたいという麻倉未稀さんの意向により、1983年6月21日、22歳の時には、プロデューサーに清水信之氏を迎え、ポップでキラキラしたシティポップ路線を打ち出した、4枚目のアルバム「HIP CITY」をリリースし、ガラリと路線を変更しています。

(作曲には加藤和彦さんや大貫妙子さん、コーラスにはEPOさんも参加してくれたそうです)

ちなみに、その後、麻倉未稀さんは、番組の企画でニューカレドニアを訪れているのですが、

その際、

あ、私はこっちだ、海なんだ

と、直感的に納得したそうで、

それまでの都会の夜のイメージから、自身の明るい性格に合致したトロピカルカクテルが似合うような”元気でリゾート感のあるスタイル”(シティ・ポップ)へと自身の音楽性を見出したのだそうです。

麻倉未稀は22歳の時に「ホワット・ア・フィーリング~フラッシュダンス」が大ヒット

すると、その直後、音楽出版社の人から、

この曲は麻倉さんに合う

と、映画「フラッシュダンス」の挿入曲「ホワット・ア・フィーリング~フラッシュダンス」をカバーするよう勧められたそうですが、

麻倉未稀さんは、

そんなすごい曲、(原曲の歌手のアイリーン・キャラさんのように)私には歌えません

と、一度は断ったといいます。

ただ、他の人たちにも、この曲が向いていると言われたことから、“向いている”という意味が知りたいと思い、思い切って挑戦することにし、1983年7月21日、6枚目のシングル「ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス」をリリースすると、

テレビドラマ「スチュワーデス物語」の主題歌に起用されたことも相まって大ヒットし、麻倉未稀さんもたちまちブレイクしたのでした。

ちなみに、麻倉未稀さんは、

(“向いている”という意味が)わかったのは、カバー曲は原曲以上に歌うのが狙いじゃない、原曲の魅力を広げられるのが面白さなんですよね

と、語っています。

「ホワット・ア・フィーリング~フラッシュダンス」
「ホワット ア フィーリング 〜フラッシュダンス」

麻倉未稀は23歳の時にリリースした8枚目のシングル「黄昏ダンシング」が22.2万枚を売り上げる大ヒット

そんな麻倉未稀さんは、1983年11月21日、23歳の時、8枚目のシングル「黄昏ダンシング」をリリースすると、オリコンチャート週間最高12位、22.2万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。

(麻倉未稀さんのシングル最大のヒット)

「黄昏ダンシング」
「黄昏ダンシング」

麻倉未稀は24歳の時にリリースした11枚目のシングル「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」が大ヒット

さらに、麻倉未稀さんは、1984年11月5日、24歳の時、11枚目のシングル「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」をリリースすると、

テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」の主題歌として使用され、ドラマのヒットと共に「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」も18.1万枚を売り上げ、「黄昏ダンシング」に次ぐ2番目の売上を記録しています。

ちなみに、麻倉未稀さんは、「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」を歌うことになった経緯について、

多分「ヒーロー」も出版社の方から「この曲やってみない?」って言われたんだと思います。この時はもう売野雅勇さんの詞がちゃんとセットになっていたので、「あ、いいですね」って歌って、レコーディングを終えて。

それを出版社の方が「あ、じゃあちょっとこれもらっていくね」って言ってヴォーカルのダビングを終えた翌日に大映ドラマさんに挨拶に行ったときに、「『スクールウォーズ』ってドラマをやるんだけれど、いい曲ない?」って言われて「あ、そういえば麻倉が昨日こういう曲を録りました」って言って聞かせたら、「ドンピシャだ」って言われて使っていただくことになったそうです。

翌日スタジオで「タイアップが決まったから」って言われてびっくりしました。どうしても一か所直したいところがあったから、サビのところだけ歌い直しさせてもらった記憶があります。

と、語っています。

「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」
「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」

麻倉未稀は24歳の時にリリースした13枚目のシングル「RUNAWAY」がヒット

また、麻倉未稀さんは、1985年5月21日には、アメリカのロックバンド「ボン・ジョヴィ」のカバーで、13枚目のシングル「RUNAWAY」をリリースしているのですが、これも、大映ドラマ「乳姉妹(ちきょうだい)」の主題歌として使用されてヒットしており、

麻倉未稀さんは、“洋楽カバーの女王”として、押しも押されぬ人気シンガーとしての地位を確立したのでした。

「RUNAWAY」
「RUNAWAY」

麻倉未稀のディスコグラフィー(シングル)

それでは、最後に、麻倉未稀さんのディスコグラフィーをご紹介しましょう。

シングルでは、

  • 1981年「ミスティ・トワイライト」
    「ミスティ・トワイライト」
    「ミスティ・トワイライト」
  • 1982年「黒いパンプス」
  • 1982年「女嫌い」
  • 1982年「SNOWBIRD」
  • 1983年「マジカル サマー」
  • 1983年「ホワット ア フィーリング~フラッシュダンス」
    「ホワット・ア・フィーリング~フラッシュダンス」
    「ホワット ア フィーリング~フラッシュダンス」
  • 1983年「それだけの旅」
  • 1983年「黄昏ダンシング」
    「黄昏ダンシング」
    「黄昏ダンシング」
  • 1984年「ロマンスは熱いうちに -The City of Romance-」
  • 1984年「リメンバー・ターン」
  • 1984年「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」
  • 1985年「ハートブレイカー 泣かないで」
    「ハートブレイカー 泣かないで」
    「ハートブレイカー 泣かないで」
  • 1985年「RUNAWAY」
  • 1985年「孤独の戦士 (ロンリー ハンター)」
  • 1986年「千億の恋人」
  • 1986年「愛はウィングス」
    「愛はウィングス」
    「愛はウィングス」
  • 1987年「Be My Life」
  • 1988年「INDIAN SUMMER」
  • 1988年「Dance with love」
  • 1989年「DREAMS COME TRUE」
  • 1990年「Omni-Free~さよならを教えて~」
  • 1992年「モノクローム」
  • 2022年「The breath of life」
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麻倉未稀のディスコグラフィー(アルバム)

アルバムでは、

などを、リリースしています。

「【画像】麻倉未稀が若い頃はヌード写真集も!病気(ガン)だった?現在は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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