歯に衣着せぬ自由奔放な発言で、ずっとマスコミを賑わせてきた、加賀まりこ(かが まりこ)さんですが、今回は、そんな加賀さんの少女時代から女優デビューまでの経緯をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

加賀さんは、1943年12月11日生まれ、
東京都神田区小川町(現・千代田区神田小川町)のご出身、

身長156センチ、

血液型はO型、

学歴は、
一橋中学校卒業
⇒明星学園高校中退

趣味は、
読書、麻雀、花札、うさぎグッズの収集、ドライブ、スピードくじ、ガーデニング、ゴルフ、

特技は、フランス語、

ちなみに、本名は「加賀雅子(かが まさこ)」ですが、

芸名は、写真家の秋山庄太郎さんが、

加賀だったら、「まりこ」が明るくていいじゃないか

と、「加賀まりこ」と名付けられたそうです。

父親は映画プロデューサー

加賀さんは、お父さんが加賀四郎さんという「大映」の映画プロデューサーだったことから、黒澤明監督美空ひばりさんといった、芸能人が家にくる環境だったそうで、

そのうえ、

世間体を気にするのは最低だ。
学歴や経歴で人は決められない。

という、お母さんの考えに影響を受け、

自由奔放で、なおかつ、思ったことは何でも口にする、歯に衣きせぬ毒舌な少女に育ったそうです。

少女時代から女性の自立した生き方に憧れていた

また、その一方で、映画で見たオードリー・ヘプバーンの髪型にするため、1人で美容院に行くなど、おしゃまな女の子でもあったそうで、

高校生になると、六本木や麻布界隈を遊び場とし、当時、飯倉にあった高級イタリアレストラン「キャンティ」に学生服のまま通われていたそうです。

(「キャンティ」は、ただのレストランではなく、芸能人、デザイナー、文化人ほか、様々なジャンルの人々が集まる交流の場で、日本の最新の文化を発信するメディアのような役割を担っており、加賀さんは、キャンティの女主人・川添梶子さんの自立した生き方に強い憧れを抱いていたそうです)

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寺山修司と篠田正浩にスカウトされて「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビュー

そんな加賀さんは、1960年、高校在学中(17歳)に、制服姿で地元・神楽坂にいたところ、作家の寺山修司さんと映画監督の篠田正浩さんに、

ちょっと話を聞いてくれませんか

と、声をかけられたそうで、

実は、お二人は、寺山さん作・篠田監督映画「涙を、獅子のたて髪に」のヒロイン女優を探すも、なかなか決まらず、困り果てている中、加賀さんを見かけて声をかけられたのですが、

加賀さんはというと、お父さんの仕事柄、映画界の人をなんとなくは知っていたものの、芸能界に全く興味がなく、女優をやりたいとも思ったことがなかったため、このスカウトには驚いたそうで、

お父さんに相談すると、

あなたでお役に立つなら、やってあげなさい。

と、言われたことから、この話を受け、1962年「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビューを果たされたのでした。

(加賀さんは、すでに1960年に、テレビドラマ「東京タワーは知っている」
 に端役で出演されているのですが、この「涙を、獅子のたて髪に」が実質的なデビュー作だと考えておられるようです)

「加賀まりこの若い頃は人気絶頂時に活動休止しフランスに渡っていた!」に続く

「涙を、獅子のたて髪に」より。加賀さんと藤木孝さん。

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