映画でコワモテのワル役を多く演じられた後、一転、1982年「ホタテマン」に扮し、コミカルな演技でブレイクされた、俳優の安岡力也(やすおか りきや)さん。全盛期は、派手な女性関係や、1日ビール20本、ボトル4本を空けるなど、豪快な生活を送られていましたが、2002年に病を患われ、長い闘病生活の末、2012年に亡くなっています。
そんな安岡さんの、息子さんや病気のことなど、
プライベートを中心に調べてみました。
結婚は?
安岡さんは、1984年に、
明子さんという方と結婚されているのですが、
明子さんについては、
何も明かされていないことから、
おそらく一般の女性ではないかと思われます。
また、お二人の間には、
娘さんと息子さんが誕生しているのですが、
安岡さんと、長男の力斗君。
安岡さんの女性問題が原因で、
2001年に離婚されています。
息子は?
そして、その息子さんというのが、
現在、俳優、タレントとして活動されている、
安岡力斗(やすおか りきと)さんで、
安岡さんは、離婚後、力斗さんを引き取り、
男手一つで育てられたそうなのですが、
離婚の際、まだ中学生だった力斗さんは、
離婚の原因が、お父さんの女性関係だと、
分かっていながらも、
自分と離れ離れになると、
お父さんが寂しがると思い、
「おれはパパについていくよ」
と、言われたのだとか。
安岡さんは、力斗さんに対して非常に愛情深く、
優しくて面白いお父さんだったとのことで、
力斗さんもお父さんのことが、
大好きだったようです♪
入院~リハビリ~復帰
しかし、安岡さんは、2002年、
「C型肝炎」に罹患されていることが発覚。
さらに、2005年には、
「肝臓病」で入院されるなど、
立て続けに病に襲われます。
その後、一時復帰を果たされるものの、
翌年の2006年6月には、
運動神経に障害が起こり、
四肢に力が入らなくなる難病、
「ギラン・バレー症候群」を発症。
安岡さんは、翌月の7月から、
舞台に出演される予定でしたが、
降板を余儀なくされてしまったのでした。
そして、2008年には、
山梨県の病院でリハビリに励まれ、
かつて、100キロ以上あった体重は、
70キロ台まで減ってしまったそうですが、
療養生活を終えた後は、元の体重に戻り、
2010年5月に、トーク番組「徹子の部屋」で、
仕事復帰を果たされたのでした。
「徹子の部屋」より。
息子から生体肝移植
ところが、ホッとしたのもつかの間、
「C型肝炎」が「C型肝硬変」に進行してしまい、
さらに、「胆のう胞、肝細胞癌」にも罹患。
安岡さんは、その治療のため、2010年8月、
息子である力斗さんの肝臓を移植する、
生体肝移植手術を受けられると、
42時間という長時間に及んだ手術は、
無事に成功するのですが、
感染症や合併症の恐れから、
予断を許さない状態は続いたのでした。
生体肝移植手術後の安岡さんと力斗さん。
ちなみに、力斗さんは、
肝臓の64%を提供されたのですが、
お父さんから、生体肝移植の相談をされた時、
「長生きしてもらいたい」というのと、
「親孝行がしたい」というお気持ちから、
即座に承諾されたそうです。
心不全で死去
しかし、その後、2012年4月6日、
容態が急変。
その2日後の4月8日、
安岡さんは、心不全のため、
亡くなってしまったのでした。
その日の早朝、力斗さんが駆けつけた時には、
すでに他界されていたそうで、
2日前に言葉を交わしたのが、
最後となってしまったのでした。
安岡さんは、闘病生活中、
一度も弱音を吐いたことがなかったそうですが、
最後には、ついに、
俺負けたな・・・
と、つぶやかれ、
力斗さんに対し、
力斗、おまえは本当にパパのエンジェルだ。
と振り絞るような声で、
語りかけられたそうです。
それに対し、力斗さんも、
何言ってんだよ! オレがエンジェルなら、
アンタはゴッドだよ!
と、応じられたそうですが、
これが、最後の会話となってしまったのでした。
さて、いかがでしたでしょうか?
プライベートでは、
幼少の頃の厳しい境遇から始まり、
離婚、闘病と、決して、
順調ではなかった安岡さんですが、
最後には、最愛の息子さんから愛され、
救われた思いだったかもしれませんね。
ご冥福をお祈り致します。
「安岡力也の若い頃はバンドマンでキックボクサー?梅宮辰夫と?ホタテマン?」