テレビ番組内のコーナー「The TAMORI Show」「タモリのなんでも講座」では「密室芸」を披露し、ラジオ番組「タモリのオールナイトニッポン」ではあらゆる分野に対して毒舌を展開して、徐々にマニアックな層から支持を集めるようになっていったタモリさんですが、次第に、メイン司会者として活躍するようになると、「密室芸」は減少し、1982年、ついに、「笑っていいとも!」の司会に抜擢されます。

「タモリはオールナイトニッポンでは毒舌で売っていた!」からの続き

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徐々に「密室芸」が減少

当初は、ドンチャン騒ぎでも見せた「密室芸」でマニアックな層の支持を集めていたタモリさんですが、

その後、1980年、深夜番組「ばらえてい テレビファソラシド」で知的さを打ち出すようになると、


「ばらえてい テレビファソラシド」より。(左から)加賀美幸子アナ、永六輔さん、タモリさん、黒柳徹子さん。

1981年には、「今夜は最高!」でメイン司会者を務めるなど、「密室芸」は徐々に減少していきます。


「今夜は最高!」より。

「笑っていいとも!」の司会に抜擢

そして、1980年から、夕方の時間帯に生放送されていた主婦向けのラジオ番組「だんとつタモリ おもしろ大放送!」でメインパーソナリティを務めると、

「昨日○○した方お電話ください」など、主婦たちの夜の生活秘話などの電話投稿コーナーで、きわどいトークを展開して、主婦の人気を集め、

1982年、ついに、タモリさんは、お昼の帯番組「森田一義アワー 笑っていいとも!」の司会に抜擢されたのでした。


「森田一義アワー 笑っていいとも!」(1982年10月4日)より。第一回ゲストの桜田淳子さんとタモリさん。

(「だんとつタモリ おもしろ大放送!」では、プロデューサーのドン上野さんが、意識してタモリさんを主婦向けタレントにしようとしていたそうですが、実際、タモリさんが主婦層から支持されたことで、フジテレビプロデューサー横澤彪さんがタモリさんを「笑っていいとも!」に抜擢されたのだそうです。)

「笑っていいとも!」が国民的人気番組になる

ちなみに、「森田一義アワー 笑っていいとも!」「笑っていいとも!増刊号」ともに、当初、視聴率は低迷していたものの、ほどなくして人気を集めると、

以降、タモリさんは安定した人気を誇り、1990年代半ばには、女子高生の間で人気が出るなど、老若男女問わず、国民的な人気を獲得。

「笑っていいとも!」は、2014年3月31日の放送終了まで、31年半もの間続く長寿番組となったのでした。


「笑っていいとも!」最終回より。(左から)浜田雅功さん、明石家さんまさん、内村光良さん、岡村隆史さん、南原清隆さん、太田光さん、松本人志さん、矢部浩之さん、田中裕二さん、石橋貴明さん、タモリさん、木梨憲武さん、中居正広さんと、超豪華メンバー!

「笑っていいとも!」で最後のスピーチ

ところで、2014年3月31日、「笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号」では、タモリさんが最後のスピーチを行われましたので、ご紹介しましょう。

(過去のレギュラー陣が座る客席側に向けて)すいません、立っていただいて。こんなに集まっていただいて、本当にありがとうございました。

お忙しいなか、感謝します。出演者、スタッフのおかげで32年間、無事やることができまして、まだ感慨というのがない。ちょっとホッとしただけで。来週の火曜日くらいからくるんじゃないかと思います。

あしたもアルタに行かなければなりません、楽屋の整理がありますんで。私物がいっぱい置いてあります。

皆さんのおかげで、ここまでくることができました。考えてみれば、(わたしは)気持ちの悪い男でしてね。こういう番組で以前の私の姿を見るのが大嫌いでしてね。気持ち悪い。濡れたしめじみたいな感じ。嫌~な、ヌメッとしたような感じで、いまだに自分の番組は観ません。

当時、ひねくれていまして、不遜で、生意気で、世の中なめ腐っていた。そのくせ、何もやったことがなかった。それが、亡くなった初代の横澤彪プロデューサーから(番組を)仰せつかりまして、だいたい3ヶ月くらいか半年くらいで終わると思っていたら、32年も続きまして。

生意気にやっていたんですが、長い間に、視聴者の皆さんはいろんなシチュエーション、いろんな状況、いろんな思いでずっと観てきていただいたのが、こっちに伝わりまして。

私も変わりまして、何となくタレントとして形を成したということなんです。視聴者の皆さん方からたくさんの価値をつけていただき、みすぼらしい身にたくさんのきれいな衣装を着せていただきました。

そして、きょうここで皆さんに直接お礼を言う機会をいただけたことを感謝します。32年間ありがとうございました。お世話になりました

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「笑っていいとも!」の構成作家・高平哲郎とは疎遠に

また、新宿のバー「ジャックの豆の木」でタモリさんと出会い、以降、「笑っていいとも!」を担当し、タモリさんと二人三脚で歩んできた構成作家の高平哲郎さんは、

(「あの人はすごい」と前置きしたうえで)人のネタをタモリがもっと面白くしちゃう。プロのネタまで面白くしちゃうだもん。

赤塚(不二夫)さんからも、打ち上げでタモリが他の人のネタをやって「お前の方が面白いな」と言われていた。

と、当時のやり取りを懐かしそうに明かされているのですが、

2014年3月に、「笑っていいとも!」が終了してからは、

よっぽどのことがないと電話するのが気恥ずかしいからね。消息はわからないですよ

と、タモリさんと連絡を取っていないことを明かされています。

「タモリ流ピーマンのおいしい食べ方(レシピ)とは?」に続く

「笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号」より。号泣されるタモリさん。

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