1973年、漫才コンビ「ザ・ぼんち」のボケ役でデビューし、1980年の漫才ブームで爆発的な人気を博した、ぼんちおさむさん。1986年のコンビ解散後は、俳優をされつつ、大阪のライブハウスを中心にジャズシンガーとしても活動されています。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

ぼんちさんは、1952年12月16日生まれ、
大阪府大阪市のご出身です。

身長170センチ、
体重65キロ、

血液型はO型、

学歴は、
興國高等学校卒業。

趣味は、
ジャズ、R&B、ブルースを歌うこと、
ジョギング、タップダンス、

ちなみに、本名は、
長瀬 修一(ながせ しゅういち)です。

喜劇役者を目指すも・・・

おさむさんは、
少年時代からお笑いが好きで、

土曜日になると、
「吉本新喜劇」「道頓堀アワー」「松竹新喜劇」
など、お笑いの番組に夢中だったそうです。

そして、高校卒業後は、喜劇役者を夢見て、
アメリカの喜劇役者、ジェリー・ルイスさんの弟子になりたいと、
ニューヨーク行きを考えられたそうですが、
結局は行くことができずに断念。


往年のジェリー・ルイスさん

その後は、曾我廼家明蝶(そがのや めいちょう)さんが主宰する、
明蝶学院の演劇科に入学されています。

相方、里見まさとと出会う

しかし、ほどなくして、演劇科が閉鎖されたため、
喜劇役者の道を諦め、残っていた漫才コースに入ると、

クラスメイトと一緒に、
コンビ「やらかす一石二蝶」を結成するのですが、
わずか3ヶ月で解散。

その後、おさむさんは、芸人養成所を回っては、
自分にあう相方を探されたのでした。

そんな折、おさむさんは、ある養成所で、
興國高校の同級生だった里見まさとさんと再会。

高校時代は、それほど交流がなかったそうですが、
この再会で、お二人はコンビを結成することになったのでした。

漫才コンビ「ザ・ぼんち」でデビュー

そして、1973年、
漫才コンビ「ザ・ぼんち」としてデビュー。

ただ、当初は全く売れなかったそうで、
おさむさんは、生活のため、
友人である月亭八方さんの経営する飲食店で、
アルバイトをしながら、漫才を続けたのでした。

ちなみに、おさむさんは、
まだ顔が知られていなかったため、

「兄ちゃん、オモロイから芸人になったらええで」

と、お客さんによく言われたそうです♪

「ヤングおー!おー!」~「THE MANZAI」で人気爆発

こうして、下積みを続けていたおさむさんですが、
まさとさんとともに、「ザ・ぼんち」として、
若手お笑いユニット「チンチラチン」のメンバーに入り、

テレビ番組「ヤングおー!おー!」に出演されると、
注目を集めるようになり、

1980年、全国放送のバラエティ番組、
「THE MANZAI」では人気爆発。

「おさむちゃんで~す」
「そーなんですよ川崎さん」(山本耕一さんのモノマネ)
「潮来の伊太郎~あれ~」(橋幸夫さんのモノマネ)

などのギャグがうけ、1980年代前半、
漫才ブームの頂点を極めたのでした。

俳優・ジャズシンガーへ

しかし、漫才ブームが去ると、
次第に人気が低迷し、

1986年、ついに、
「ザ・ぼんち」は解散。

おさむさんは、漫才をやめ、
俳優に転身されたのでした。

おさむさんは、当時を振り返り、

(吉本興業は)働いたらくれるんですけども、
歩合制ですから仕事しなかったら0なんですよ。

漫才やってたんですけども、
漫才やめた時点で仕事がなくなりますから、

僕の相方のまさと君も僕も収入は0になるんですけども、
その時にお互い子持ちやったんですよ。

でも人生もう一度かけてみたいなと。

漫才は漫才で置いといて違う方面でやりたいなということで、
僕は元々コメディアンになりたかったんで、
はぐれ刑事出るまでは、リポータしたり色々して、
収入はガーンと落ちてローンも払えるのか払えないのかギリギリの生活で。

と、おっしゃっていました。

ちなみに、テレビドラマ「はぐれ刑事純情派」は、
1988年から2003年まで、
里見刑事役でレギュラー出演され、


「はぐれ刑事純情派」より。(左から)吉田栄作さん、
藤田まことさん、梅宮辰夫さん、島田順司さん、
ぼんちおさむさん、岡本麗さん。

その一方で、1987年頃、
先輩に誘われて、ジャズシンガーとしても活動。

いつ頃からかは分かりませんでしたが、
「おさむバンド」を結成し、月1回、
大阪のライブハウスでジャズコンサートを開催されており、

ギャグ満載のトークに、
笑いと涙、人生模様を交えた歌で、
人気を博しているそうです♪

「ザ・ぼんち」再結成

そんなおさむさんですが、2003年、
「ザ・ぼんち」を再結成すると、

「はぐれ刑事純情派」の里見刑事役は、
「ザ・ぼんち」の活動に専念するため降板。

その後は、舞台を中心に地道な活動を続け、
2014年には、「THE MANZAI2014」で、
認定漫才師50組に選出されています。

おさむさんは、漫才への想いを、

「お客さんの笑顔を見られる事が幸せ」
「中学生などにも声がかけられて嬉しい」

と、明かされていました。

嫁は?

ところで、おさむさんの、
気になるプライベートですが、

おさむさんは、一般の女性と、
結婚されています。

25歳の時、当時19歳だった奥さんと、
ディスコで知り合われ、

奥さんの気をひくために、
橋幸夫さんや加山雄三さんのモノマネを披露し、
仲良くなられたとのこと。

(漫才ブームの前だったこともあり、奥さんは、
 まだ、おさむさんのことを知らなかったそうです)

当初は、奥さんのお父さんから結婚を反対されたそうですが、
おさむさんのご両親が、奥さんのお父さんに挨拶に行かれた時、

「すみません家の息子が迷惑かけまして」

と、謝られたそうで、

その姿を見て、この両親の息子なら大丈夫だろうと、
結婚を許してくれたのだそうです。

ちなみに、おさむさんは、現在も奥さんと仲が良く、
仕事先から、1日最低3回は電話されるのだとか!

低血圧で早起きできない奥さんのために、
お昼の12時を過ぎてから電話をかけられるそうですが、

「カギ大丈夫かな」
「ガスちゃんとしたか」

など、いつも同じことを繰り返し聞くため、
奥さんには怒られているそうです♪

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息子は?娘は?

そんなお二人の間には、息子さんと娘さんが、
一人ずついらっしゃいます。

息子さんは、「雄一郎(ゆういちろう)」さんといい、
現在は、新梅田食堂街(梅田阪急ガード下)の、
居酒屋「大阪屋」のオーナーをされており、


おさむさんと雄一郎さん♪

娘さんは、「長瀬磨美(ながせ まみ)」さんといい、
ニューヨークで画家として活動されているとのこと。

おさむさんは、磨美さんが短大卒業後、
ニューヨークに絵の勉強をしに行きたい、
とおっしゃった時、それを後押しされたそうで、

チャレンジしたい思うて、
それで今ここ(ニューヨーク)に来てることが、
それだけでもう、ええと思てるんです。

結果はどうなるか、それは本人の努力次第やけれど、
一番難しい一歩はもう踏み出してるわけですから。

あとは・・・ま、適当に頑張ったらええと思いますけどね。
はっはっはっ。(笑)

と、おっしゃっていました♪

さて、いかがでしたでしょうか?

一旦は漫才を置き、俳優への道に進まれるも、
再び漫才に戻ってこられ、相変わらずパワフルな笑いで、
観客を笑いの渦に巻き込まれているおさむさん。

いつまでも若々しいとはいえ、
60代も後半に差し掛かっているので、
お体には十分に気をつけて、
これからも頑張ってほしいですね。

応援しています!!

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