1958年、同じ「日活」の看板女優だった浅丘ルリ子さんと、結婚を考えるほどの真剣交際をするも、浅丘さんのお父さんの反対が原因で破局した、小林旭(こばやし あきら)さんですが、その後、人気歌手・美空ひばりさんと結婚されていたことがありました。今回は、そんなお二人の馴れ初めから破局までの経緯をご紹介します。
「小林旭が若い頃は浅丘ルリ子と真剣交際していた!」からの続き
美空ひばりに好意を抱かれる
浅丘ルリ子さんと破局してからしばらく経った1961年秋、小林さんは、美空ひばりさんと、雑誌「明星」の「当代の人気者No.1 対談」という対談をされるのですが、
小林さんに好意を抱いた美空さんから、
恋人はいるの?
と、聞かれ、
小林さんが、
いないよ
と、答えると、
じゃあ、私と親しくしてよ
と、それ以来、美空さんは、小林さんに猛アプローチを開始。
携帯電話がまだなかった時代、小林さんの行く先々に、美空さんから電話がかかってくるほか、美空さんに、芸能人が集まるパーティーに呼ばれては、
私のダーリンよ
と、美空さんの友人たちに紹介されたそうです。
ちなみに、小林さんは、
複雑な気持ちだったよ(笑)
と、後に率直な気持ちを明かされているのですが、
小林さんの元恋人・浅丘ルリ子さんは、
20歳くらいのときは、小林旭さんとお付き合いをしていました。旭さんは父に結婚の申し込みをしてくれたのですが、父が「あの子はまだ女優をしていかなきゃならないので、今は結婚させられません」と断わったんです。それから次第に旭さんとは疎遠になり、結局結婚はしませんでした。
しばらくすると、旭さんの撮影現場に、(美空)ひばりさんがよくいらっしゃるようになった。当時、すでに大スターのひばりさんですから、車を降りずに、車の中から撮影を見ていらっしゃるんです。「あぁ、きっとこの方と結婚なさるんだわ」と思っていたら、案の定……
と、語っておられます。
山口組組長・田岡一雄の脅しで美空ひばりと結婚
そんなある日のこと、小林さんの自宅前に、黒塗りの車が1台横付けされ、2~3名の若い衆が降りてくると、最後に、美空さんの芸能界の父親代わりでもあった、山口組三代目組長(後の神戸芸能社社長)の田岡一雄氏が降りて来て、
お嬢(美空さん)がアンタにほれてると言うとんのや。天下のひばりにほれられて、これは男冥利に尽きるやないかぁ。
と、切り出されたそうで、
小林さんが、
いや、僕は結婚するにはちょっと早いんで
と、たじろぐと、
田岡組長から、
ひばりはアンタと一緒になれなんだら飯食わんと言うとんのじゃ。ええやないか。一緒になったれや。
と、すごまれたそうで、
小林さんは、断れなくなり、1962年、24歳の時、美空さんと結婚されたそうです。
(ただ、美空さんのお母さんがこの結婚を良く思っていなかったことから、結婚式と新婚旅行はされるものの、入籍はされなかったそうです。)
美空ひばりとの結婚でマスコミから激しいバッシングを浴びる
ちなみに、お二人の結婚は、「戦後最大の華燭の典」「世紀の結婚式」と、マスコミにもてはやされたのですが、
その一方で、
小林旭はひばりの財産、地位を利用している
同じ芸能人として(小林旭が美空ひばりに)劣等意識を持っている
などと、激しいバッシングも浴びたそうで、
小林さんは、
そう言われるのはある程度、予期してたよ。だって“天下のひばり“とたかだか日活の“渡り鳥風情”とじゃあ、それはもう月とスッポンの開きがあるってことは、はなから自覚してたからね
と、承知の上だったことを明かされています。
披露宴での小林さんと美空ひばりさん。