いやらしい演技で(←褒めてます)、しばしば、主役をも食ってしまう名優、伊武雅刀(いぶ まさとう)さん。今回は、そんな伊武さんの生い立ちから下積み時代についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
伊武さんは、1949年3月28日生まれ、
東京都中野区のご出身、
身長175センチ、
血液型はA型、
学歴は、
私立東邦高等学校中退、
趣味は、料理、読書、
だそうです。
本名は?旧芸名は?
ちなみに、伊武さんの本名は「室田 悟(むろた さとる)」なのですが、芸名は、「伊武 雅之(いぶ まさゆき)」「伊武 正巳(いぶ まさみ)」「伊武 専(いぶ せん)」を経て、
声優の井上瑤さんに、「名前の最後の字を2画の字にするといい」と言われて、「伊武 雅刀(いぶ まさと)」⇒「伊武 雅刀(いぶ まさとう)」となったそうです。
少年時代は萬屋錦之介さんに憧れ、映画スターを夢見ていた
さて、伊武さんは、国鉄の職員だったお父さんのもと、2人兄妹の長男として誕生するのですが、(いつ頃かは不明ですが)お父さんが水商売に転職し、お母さんも働かれていたため、
食事はあまり作ってもらえず、おかずを買ってきて、妹と二人だけで晩御飯を食べることも多かったほか、運動会のお弁当が、かんぴょう巻き1本だけ、ということもあったそうです。
そんな中、伊武さんは、毎週土曜日になると、近所の映画館に行き、邦画3本立てを観るのが楽しみな映画好きの少年だったそうで、いつの頃からか萬屋錦之介さんに憧れ、映画スターを夢見るようになったそうです。
NHKテレビドラマ「高校生時代」で俳優デビュー
その後、伊武さんは、中学生になると、授業をサボって裏山で外国製のタバコを吸ったり、新聞販売店で住み込みで新聞配達のアルバイトをするようになったそうですが、
高校生になると、お父さんが名古屋にキャバレーの職を得たことがきっかけで、家族で東京から名古屋に引っ越し。
ただ、名古屋の高校では馴染めず、友達ができなかったことや、経済的な事情で大学への進学はすでにあきらめていたことから、この先どうなるんだろうと不安に苛(さいな)まれたそうで、そんな時、新聞で、小さな劇団が劇団員を募集しているのを見つけ、受けてみることに。
すると、その劇団の講師をしていた人が、「NHK名古屋」のディレクターで、「高校生時代」(後の「中学生日記」)というドラマを手掛けていたことから、「高校生時代」のオーディションを受けたところ、見事、合格。伊武さんは1967年に俳優デビューを果たしたのでした。
現代演劇研究所「劇団雲」に入団
すると、伊武さんは、
演技としては、一番ナチュラルにできていた時期だったと思います。怖いもの知らずですし、そもそも演技というものを知りませんから。しかも、ドラマに描かれているのは高校生の実態です。
学校のトイレでタバコを吸うような不良の役で、私自身もそれで先生につかまったことがあるから、自然にできるんですよね。煙が出ないようにタバコを吸うコツなんかも分かっていましたから、それをやってみるとリアルになるんです。
と、手応えを感じたそうで、
映画ではないものの、憧れていた映像というものに出演できて、曲がりなりにもお金までいただけた。完全にはまりましてね。
と、「高校生時代」に出演したことをきっかけに、本格的に俳優を目指そうと、高校を中退して東京へ戻り、演技の基礎を身につけるため、現代演劇研究所「劇団雲」に入団し、研究生に。
(ちなみに、なぜ、「劇団雲」だったかというと、一番好きな俳優だった山崎努さんがおられたほか、芥川比呂志さん、神山繁さん、小池朝雄さん、高橋昌也さんなど映画の脇を固める俳優がたくさんいたことから、「そこに入れば映画界に入れる、俺の未来は決まった」と思われたからだそうです(笑))
ただ、お金がなかったため、トイレは共同、風呂はなし、窓を開ければ隣の家の壁という、3畳一間のアパート(日がまったく当たらず、朝だか夜だか分からなかったそうです)に住み、未来の映画スターを夢見て頑張る日々を送られたのでした。
「伊武雅刀の若い頃はデスラーの声ほか小林克也とラジオ番組も!」に続く