CMディレクターとして活動されていた1977年、カネボウ化粧品「クッキーフェイス」のCMで、夏目雅子さんと知り合うと、たちまち男女関係となった、伊集院静(いじゅういん しずか)さん。しかし、その時、伊集院さんはすでに妻子ある身でした。
「伊集院静の本名は?韓国人?若い頃は電通!長嶋茂雄と?」からの続き
「皐月」で小説家デビュー
伊集院さんは、お父さんのことを書き留めておきたいとの思いから、1981年、「小説現代」に「皐月」を発表。
ただし、自身では作家デビューした意識はなく、その後は、小説を書かれることはなかったのですが、1985年に、妻で女優の夏目雅子さんが亡くなったことで、病室で闘病中の夏目さんと過ごした209日間を振り返り、5年かけて執筆された短編集「乳房」を1990年に発表されると、1991年には、「第12回吉川英治文学新人賞」を受賞。
執筆当時は、これが生涯最後の小説だと思っておられたそうですが、この作品により、本当の意味での作家デビューとなり、以降、本格的に小説家として活動するようになります。
すると、
1992年「受け月」では、「第107回直木賞」
1994年「機関車先生」では、「第7回柴田錬三郎賞」
2001年「ごろごろ」では、「第36回吉川英治文学賞」
2014年「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」では、「第18回司馬遼太郎賞」
と、みるみる文才を発揮され、2016年には、「紫綬褒章」まで受章。
今では、依頼があれば何でも書くことができる
と、豪語されるまでになられています。
最初の妻と離婚!子どもは?夏目雅子と不倫関係に
そんな伊集院さんの気になるプライベートですが、実は、夏目さんとは不倫の末の結婚でした。
伊集院さんは、もともと、「電通」時代に知り合った一般女性と結婚され、女の子が誕生しているのですが、
1977年、27歳の時、CMディレクターとして、カネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMを担当した際、当時、まだ無名のモデルだった夏目雅子さん(当時は「小達雅子」名義)をイメージキャラクターに起用すると、この化粧品が大ヒット。
これで、夏目さんは一躍スターダムにかけのぼるのですが、そこから2人は不倫関係に。
そして、伊集院さんは2人目の娘の出産前に家を飛び出し、1980年に離婚されたのでした。
(ちなみに、離婚後、元奥さんは、保険の外交員をして娘たちを育てられたそうで、この2人目の娘は、現在、女優として活動されている西山繭子さんです。)
桃井かおりと三角関係も~夏目雅子と再婚
そして、1984年に、伊集院さんは夏目さんと再婚されているのですが、
実は、この頃、伊集院さんは、女優の桃井かおりさんとも関係を持っていて、三角関係となり、夏目さんと再婚するまでその関係は続いていたようで、夏目さんは、桃井さんに伊集院さんを取られまいと、結婚を決めたと言われています。
ただ、夏目さんは、伊集院さんと結婚するまでの7年もの不倫関係の間に、何度も妊娠しては堕(お)ろすということを繰り返していたそうです。
(伊集院さんご自身と、夏目さんの母スエさんが認めています)
夏目雅子が死去
こうして、純愛を貫いたというイメージとは程遠いながら、ようやく結ばれた2人でしたが、翌年の1985年2月14日、夏目さんが、舞台「愚かな女」公演中、10円玉ほどもある大きさの口内炎ができ、加えて激しい頭痛など、極度の体調不良を訴えます。
実は、夏目さんは、この時すでに、舞台に立っていられないほど、体調が悪化していたにもかかわらず、泣きながら、
這ってでも舞台に戻る!
と、頑なに病院へ行くことを拒み続けたそうです。
それでも、共演の西岡徳馬さんの勧めにより、翌2月15日、慶應義塾大学病院に行き、受診されると、検査の結果は「急性骨髄性白血病」で、そのまま緊急入院。
ただ、夏目さん本人には、「極度の貧血」とだけ告げられ、本当の病名は伏せられていたそうで、夏目さんが入院すると同時に、伊集院さんは仕事をすべて辞めて看病。
しかし、同年9月11日、その甲斐もなく、夏目さんは27歳という若さでこの世を去られたのでした。
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