今では、押しも押されぬ国民的人気アニメの「ドラえもん」ですが、当初は、それほどのヒットではなく、アニメ化されるも視聴率が振るわぬまま終了し、原作の連載も一旦打ち切りとなっていました。今回は、そんな「ドラえもん」が、今日の地位に至るまでの経緯と、意外過ぎる、アニメ化第一弾(日テレ版)の内容をご紹介しましょう。
「藤子f不二雄のドラえもん誕生秘話!昔に打ち切られていた!」からの続き
連載打ち切り後の単行本刊行で「ドラえもん」の人気が急上昇
こうして、一旦は、連載が打ち切りとなってしまった「ドラえもん」ですが、1974年から単行本(てんとう虫コミックス)が刊行されると、連載(小学館の学年誌(小学◯年生))以外の読者層にも広がったことで、徐々に人気が出始め、
1977年には、てんとう虫コミックスに未収録の「ドラえもん」の話をまとめて読むことができるようにと、「コロコロコミック」が創刊。
「コロコロコミック」創刊号
すると、1978年には、1500万部を売り上げる大ヒットとなり、1979年4月からは、再びアニメ化。現在、「テレビ朝日」で放送されている「ドラえもん」へと至ったのですが・・・
「シンエイ動画」の楠部三吉郎と「ジブリ」の高畑勲の情熱で再アニメ化
実は、この新「ドラえもん」(アニメ)、当時、設立間もない「シンエイ動画」という会社の創業者の一人である、楠部三吉郎さん(現・シンエイ動画名誉会長)が、「ドラえもん」に惚れ込んで再アニメ化を希望されたそうですが、作者の藤本弘(後の藤子・F・不二雄)さんは、なかなか了承されなかったそうです。
というのも、「ドラえもん」は一度、1974年に、視聴率が振るわず、打ち切りになっているのですが、その内容というのが、藤本さんの原作のイメージとはかなり違っており、藤本さんは懲り懲りしていたのでした。
それでも、「ドラえもん」に惚れ込んでいた楠部さんは、粘り強く藤本さんを説得されると、藤本さんから、企画書の提出を求められるまでにこぎつけたそうで、
この企画書を、高畑勲さん(スタジオ・ジブリの監督)に頼ったところ、高畑さんは、「ドラえもん」を読み、
こんなすごい作品が日本にあったの?子供の願望をこんな形で叶えるキャラクターを出現させるなんて、これは画期的だよ!
と、企画書の作成を快諾。
そして、この高畑さんの企画書を見た藤本さんはようやく納得し、アニメ化を了承されたのでした。
ちなみに、楠部さんの著書「『ドラえもん』への感謝状」によると、企画書の内容は、
「ドラえもん」は、子どもたちの夢想空想を、大人の知恵で少しだけふくらませてあげる。笑いの中で子どもたちの夢をふくらませてあげる。
でも、現実世界はそんないいことばかりじゃない。だからのび太はできそこないで、最後はいつも失敗してしまう。子どもたちの夢想空想を笑いの中へ解放してくれる、解放戦士こそ、「ドラえもん」なのだ。
だったそうで、確かに、これなら、藤本さんも納得されるはずですね。
「ドラえもん」大ブレイクで「藤子不二雄」大ブーム
こうして、新たにテレビアニメ化された、新「ドラえもん」は、たちまちブレイク。翌年の1980年には、映画「のび太の恐竜」が公開されると、配給収入15億5000万円、観客動員数累計1億人を突破する、大ヒットとなったのでした。
そして、この「ドラえもん」の大ヒットに伴い、1980年代には、「怪物くん」「忍者ハットリくん」「パーマン」「オバケのQ太郎」「プロゴルファー猿」「エスパー魔美」「ウルトラB」「ビリ犬」「チンプイ」など、
これまで発表されてきた他の「藤子不二雄」作品も、立て続けにテレビアニメ化&映画化され、たちまち、「藤子不二雄」旋風が巻き起こったのでした。
旧「ドラえもん」はオヤジ声?狡猾のび太に怖くないジャイアン?
ところで、藤本さんがなかなかアニメ化を了承されなかった原因の、旧「ドラえもん」(日本テレビ版)とはどのような内容だったのでしょうか。
まず、オープニングは、
ぼくのドラえもんがまちを歩けば、みんなみんなが振り返るよ♪
ハア、ドラドラ、ハア、ドラドラ♪
かぜきるおつむはツンツルテンだよ♪
と、女性歌手の演歌調の主題歌で始まり、
ドラえもんはというと、間が抜けていて、「保護者」というよりは「友達」っぽい感じで、声はオヤジ声(「バカボンのパパ」の声の富田耕生さん)、
(途中で「ドラゴンボール」の孫悟空の声の野沢雅子さんに変更となって、少年っぽい声になっています)
そして、
のび太は、ドラえもんをだまして道具を使うようなところがある、ずる賢いキャラで、
ジャイアンは、体が大きく、力持ちだけれども、ガキ大将ではなく(母親は亡くなっている設定)、声は新「ドラえもん」の「スネ夫」の声(肝付兼太さん)、
スネ夫は、現在と同じく、裕福な家のボンですが、ジャイアンよりも、威勢よく威張り散らし、
しずかちゃんの家には、お手伝いの「ボタ子」、
そのうえ、「ガチャ子」という鳥型ロボットが登場するほか、
「ドタバタギャグ」といったテイストで、現在、慣れ親しまれている、友情を中心とした、新「ドラえもん」(テレビ朝日版)とは設定がかなり異なっていたようです。
富山事件(旧「ドラえもん」再放送で藤本弘が激怒)
ちなみに、この旧「ドラえもん」、テレビ朝日で心機一転、新「ドラえもん」の放送がスタートした3ヶ月後に、富山テレビで再放送されているのですが、それを知った藤本さんが激怒。(「富山事件」)
藤本さんは、
原作とは似て非なるものだ
と、旧「ドラえもん」の内容がまったく気に入っておらず、
たしかに一度は許諾して作ったものだけど、私が作った原作のイメージと全然違うし、放送して欲しくない。できたら何とかしてほしい。
と、おっしゃったそうで、
藤本さんが所属していた「藤子スタジオ」は、小学館と連名で、
再放送は許諾できない。法的措置も考える。
と、富山テレビに内容証明を送って抗議しているのです。
(そもそも、(旧「ドラえもん」については、藤本さんが所属していた「藤子スタジオ」とアニメ会社は契約書を交わしておらず、口頭での契約だったそうです。)
そのため、いまだに、旧「ドラえもん」(日テレ版)は封印されたままで、再放送の目処は立っていないのですが、
原作漫画の方でも、生前、藤本さんが難色を示したことで単行本未収録となったエピソードが、藤本さんが亡くなってから13年後の2009年にから発行された「藤子・F・不二雄大全集」に全て収録されていることもあり、再放送される可能性がゼロではないようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
確かに、旧「ドラえもん」単体で見ると、B級アニメとしては、これはこれで全然アリなので、DVD等の販売ならよさそうですが、
藤本さんが、「コロコロコミック」創刊時、
小学生が読む、本当の意味でのまんが雑誌を作りたい!
という、創刊編集長・千葉和治さんの言葉に感激し、
(自身の)全ての作品の掲載権を預ける
とまで、言われている心中を察すると、親族が利権のためにテレビ放送を勝手に許可するなんていう情けない話にはなってほしくないものです。
それに、テレビ放送してしまうと、現在の「ドラえもん」との設定があまりに違い過ぎて、デメリットのほうが大きい可能性も。
いずれにせよ、作品が偉大過ぎると、作者が亡くなった後のしがらみがいやらしくていけませんね。
「藤子f不二雄の死因は?鉛筆を握ったまま?昔は肺結核も!」に続く