高校卒業後の1961年、「俳優座養成所」に入所すると、新劇の面白さを実感し、「俳優座養成所」卒業後の1964年には、「文学座」の研究生となられた、石立鉄男(いしだて てつお)さん。そんな石立さんの、生い立ちからブレイクするまでの経緯について、調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
石立さんは、1942年7月31日生まれ、
神奈川県横須賀市のご出身、
身長177センチ、
体重79キロ、
血液型はB型、
学歴は、
⇒横須賀市立池上中学校
⇒三浦高等学校卒業(現・三浦学苑高校)
趣味は、骨董、陶芸、将棋、ゴルフ、錦鯉の飼育、マージャン、
ちなみに、「石立鉄男」は本名です。
生い立ち
石立さんは養鶏業を営む両親のもと、全員男5人兄弟の4番目として誕生すると、敗戦の悲しみが色濃く残る横須賀で生まれ育ったことから、
近所のお姉さんが、赤い口紅をつけ、ネッカチーフをかぶって、アメリカ人を相手に「ウェルカム」と言っているのをたびたび見ており、
チクショウと思った。白人嫌いを含めて、僕の生き方のすべての原点はこの基地の子意識にありますね。
と、後に語っておられます。
また、男性中心の考え方のお父さんに、
人に迷惑をかけるな。何をやってもいいがその道の大物になれ、泥棒になるなら大泥棒になれ。
と、言われて育たったことから、後に、飲む、打つ、買う、と、自分で責任を取れれば何をやってもいいとの考えになっていったそうです。
石原裕次郎に憧れて「俳優座養成所」~「文学座」
そんな石立さんは、中学、高校と、バスケットボール部に所属し、選手として活躍。
俳優に興味があったわけでもなく、新劇のことなど何も知らなかったそうですが、ちょうどその頃、石原裕次郎さんがデビューして、なんとなく、そのかっこよさに憧れると、
高校卒業後の1961年には、兄弟も男ばかり、高校も男子ばかりだったため、きれいな女の子たちと一緒に何かやる俳優という仕事に憧れて、冗談半分で「俳優座養成所」を受験すると、見事合格。13期生として入所されます。
その後、「俳優座養成所」の卒業公演で、改めて新劇の面白さ、奥深さを実感すると、「俳優座養成所」卒業後の1964年には、折よく、劇団「雲」への大分裂などですっかり弱体化してしまった文学座から誘われ、「文学座」の研究生となられたのでした。
演劇界のホープとして
こうして、「文学座」に入られた石立さんは、1965年、「花咲くチェリー」で初舞台を踏まれると、その演技を見た作家の水上勉さんから認められ、
翌年の1966年には、水上さんが「文学座」の為に描き下ろした処女戯曲「山襞(やまひだ)」で、メインキャストの鉄次役に抜擢。
すると、その演技が高く評価され、同年、「文学座」の座員に昇格されると、
ハムレットのやれる男
と、演劇界における最高の褒め言の一つで呼ばれるようになったのでした。
1966年頃の石立さん。
ちなみに、石立さんは、当時のインタビューで、
「山襞」の本を貰った時は、たいへんなことになったと思いました。どうにか、明日で公演も終わりそうですが、わりと好評だと聞いて嬉しいやら、悲しいやら、そんな気持ちです
と、初々しいコメントを残されています。
テレビドラマに出演
また、石立さんは、舞台で活躍するかたわら、1961年には、「青年の樹」の脇役でテレビドラマに初出演されると、1963年には、「まごころ」で主演を務め、本格的にテレビドラマデビュー。
以降、
1964年「初恋物語」
1965年「駅」
「ふりむくなマリー」
「光る海」
「都ぞ弥生」
1966年「城塞」
「ぼくの母さん」
「真田幸村」
1967年「レモンのような女」
1968年「三匹の侍」
1969年「見合い恋愛」
「S・Hは恋のイニシャル」
1970年「時間ですよ」
「ポーラテレビ小説『オランダおいね』」
「見合い恋愛」より。由美かおるさんと石立さん。
など、立て続けにテレビドラマに出演されるのですが、
この頃の石立さんのお給料は2~3万円で、家賃7000円の市ヶ谷の四畳半のアパートでインスタントラーメンを愛食しながら自炊暮らしをされていたそうで、
せめて5万円とれるようになればいいがなァ
との気持ちはありつつも、かといってお金のためにタレントになろうという気はさらさらなく、
1966年4月のインタビューでは、
そんなことまでするくらいなら、役者をやめたほうがいい。そしてテレビも大事にはしますが、あくまで本職の舞台で、一所懸命やりたいと思っています。貧乏には慣れてますから。
と、おっしゃっています。
単身渡米~文学座退団
しかし、1970年頃、単身渡米され、4ヶ月の滞在中に、ニューヨークのグリニッチビレッジで、パンと水だけで生活する、まだ売れていない現地の舞台俳優たちと知り合うと、
彼らが、いい舞台をやることを目標にしているのではなく、
いまに俺はスターになるんだ
と、スターになることを目指しており、
スターになれば、舞台も、テレビも、映画も、すべてができるという考え方を聞いて、
僕は何と温室にいるんだろう
と、愕然。
石立さんは、帰国後、「文学座」に退座届を提出されたのでした。