いかりや長介さんに弟子入りを志願し、付き人として採用されると、その翌日から、さっそく仕事を開始した、志村けん(しむらけん)さんですが、しばらくは不遇な日々が続きます。
「志村けんは高3でいかりや長介に弟子入りし付き人になっていた!」からの続き
脱走?
いかりや長介さんに食い下がり、なんとか付き人になった志村さんですが、それから約1年後には、付き人という仕事に嫌気がさしたのか、「社会勉強をするため」と、ほかの付き人に伝言をして辞めると、バーテンダーなどのアルバイトをされていたそうです。
(ただ、その付き人が、いかりやさんに伝えるのを忘れていたため、志村さんが「脱走」したと、「ザ・ドリフターズ」のメンバー間では大騒ぎとなったそうです。)
加藤茶の口添えで復帰し加藤茶の付き人に
しかし、その後、志村さんは、再び、「ザ・ドリフターズ」の付き人に戻りたいと思ったそうで、(いかりやさんの家には行きづらかったことから)今度は加藤茶さんに頼み、加藤さんに口添えしてもらったところ、
二度も弟子入りする奴は、よくよく好きなんだろう
と、出戻りを認めてくれたそうで、
志村さんは、今度は、しばらく、加藤さんの付き人となり、加藤さんの家に居候させてもらったそうです。
「ザ・ドリフターズ」の食べ残しのラーメンを食べていた
ただ、志村さんは、付き人時代、付き人3人で6畳一間で生活し、給料は源泉所得税を引かれると4500円と、食べるにも事欠く生活だったそうで、
「ザ・ドリフターズ」のメンバーが楽屋でラーメンを食べている時でも、ラーメンを注文するお金がなかったため、メンバーが食べ終わると、メンバーの食べ残しを全部合わせて1人前のラーメンにし、それを付き人同士で分け合って食べていたそうですが、
そんなある時、志村さんは、いつものように、「ザ・ドリフターズ」のメンバーがラーメンを注文した際、
スープの中に入れておじやにして食べよう
と、ライスを注文したそうです。
そして、メンバーがスープを残してくれるのを待っていたのですが・・・
なんと、その時に限って、全員がスープまで残さず平らげたそうで、
志村さんは思わず、
加藤さん! このライスの立場はどうなるんですか!
と、隣に座っていた加藤さんに激怒したとか。
志村さんが付き人を辞めたのも、こんな過酷な生活に疲れたからかもしれません。
(そんな生活の中、たまに実家に帰ると、お母さんから「食ってるのか?」と聞かれ、志村さんは「食ってない」と言うやりとりがあり、その後、お母さんは、黙って、志村さんの大好物のすいとんと厚揚げを作ってくれ、家を出る時には、お金を握らせてくれたそうです。)
お笑いコンビ「マックボンボン」を結成するも相方が失踪
さて、それでも、志村さんは、1972年、22歳の時には、同じ「ザ・ドリフターズ」の付き人だった井山淳さんとお笑いコンビ「マックボンボン」を結成し、「志村健」名義で芸能界デビュー。
「マックボンボン」時代の井山淳さん(左)と志村さん(右)。
初めての仕事は、「小松みどりショー」の前座だったそうですが、井山さんのボケに対し、志村さんが立ったままの姿勢から、井山さんの顔面に足でツッコミを入れるなど、体を張ったネタが評判となり、
その後は、小柳ルミ子さん、天地真理さん、いしだあゆみさん、森進一さん、沢田研二さん、鶴田浩二さん、三波春夫さんなどの前座も務めるようになったそうです。
そして、1972年10月には、早くもコンビ名のついた冠番組「ぎんぎら!ボンボン!」で司会を務めることが決まるのですが、
(「シャボン玉ホリデー」の後番組で、後に「シャボン玉ボンボン」にリニューアルされています)
師匠のいかりや長介さんは、ネタのストックもないまま、テレビに出演することに難色を示し、反対。
志村さんは反対を押し切って出演されるのですが・・・
いかりやさんの不安は的中し、知名度の低さとワンパターンなネタがすぐに飽きられてしまい、視聴率不振により、番組はワンクール(3ヶ月)で打ち切りになってしまいます。
また、その失敗でショックを受けた井山さんは失踪。当時の所属事務所「渡辺プロダクション」は、井山さんを契約解除とし、「ザ・ドリフターズ」の付き人からも除名したそうです。
新生「マックボンボン」として再始動するも相方がやる気なく自然消滅
そのため、志村さんは、「ザ・ドリフターズ」の付き人の一人だった福田正夫さんを、次の相方に選ぶと、新生「マックボンボン」として再始動。
しかし、福田さんは、もともと、お笑い志向ではなく(元自衛隊員だったそうです)、常日頃から、
お笑いじゃなくてもやっていける
と、公言しており、
志村さんがコンビのネタを考えている横で、新聞の求人広告を見るなど、練習に身を入れることもなかったそうで、間もなくコンビは自然消滅となり、志村さんは再び、「ザ・ドリフターズ」の付き人に戻ることとなったそうです。
(結局、福田さんは芸能界を引退されています)
ちなみに、「ザ・ドリフターズ」のメンバーの一人、仲本工事さんは、
志村はやる気があったから、付き人やりながら自分でコンビ組んで、営業の仕事もしてたんです。本当に一生懸命でしたね。
と、当時の志村さんの様子を明かされていました。
「志村けんのドリフ加入は加藤茶の後押しのお陰だった!」に続く
「マックボンボン」時代の志村さん(左)と井山淳さん(右)。