若い頃には、「マッドドッグ(狂犬)」と呼ばれるなど、そのギラギラとした存在感が持ち味だった、渡瀬恒彦(わたせ つねひこ)さんですが、壮年期には、寡黙ながらも人情味溢れる演技で、お茶の間で人気を博しました。今回は、そんな渡瀬さんの、壮年期の代表作である、「おみやさん」にまつわるエピソードほか、デビューからの出演ドラマを画像を交えてご紹介します。
出演作品(テレビドラマ)
それでは、まず、渡瀬さんのデビューからの主な出演ドラマをご紹介しましょう。
1970年「ゴールドアイ」
1971年「あまくちからくち」
1972年「忍法かげろう斬り」※実兄の渡哲也が病気降板のため第21話から代役出演
1973年「隼人が来る」 第24話
「殺人大百科 手作りの棺」
「ゴールドアイ」より。渡瀬さん(左)と吉田輝雄さん(右)。
1974年「りんりんと」
NHK大河ドラマ「勝海舟」
1975年「影同心」
1977年「前略おふくろ様」 第2シリーズ 第16話
「ラスト・ダンス」
「かあさん堂々」
「あしたの海」
「天の花と実」
「まひる野」
「時計」
「影同心」より。渡瀬さん(左)と山口崇さん(右)。
1978年「遠ざかる足音」
「哀愁 はてしなき愛」
「殺人の棋譜」
「松本清張おんなシリーズ・心の影」
「露草のように」
「南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政」
「遠ざかる足音」より。(左から)新珠三千代さん、渡辺文雄さん、渡瀬さん。
1979年「悪の紋章」
「結婚のとき」
「愛と喝采と」
「高木彬光シリーズ 白昼の死角」
1980年「大激闘マッドポリス’80」
「特命刑事」
「誘拐」
「特命刑事」より。(左から)堀川まゆみさん、渡瀬さん、片桐竜次さん。
1981年「夜の花火」
「傘次郎・新子捕物日記 夫婦河童」
「少年はどこに消えた」
1983年 NHK朝の連続テレビ小説「おしん」
「おしん」より。渡瀬さんと田中裕子さん。
1984年「生きていた男」
「松本清張の葦の浮船」
1985年「刑事物語’85」
「真田太平記」
「私が死んだ夜」
「真田太平記」より。
1986年「主夫物語」
1987年「上意討ち 美女が惚れた腰抜け侍」
「塀の中の懲りない面々」
1988年「夏が来れば思い出す ダウンタウン・ヒーローズ」
1989年「代議士の妻たちII」
「花のいのち」
「五島・福江行」
「塀の中の懲りない面々」より。片岡鶴太郎さん(左)と渡瀬さん(右)。
1990年「天と地と〜黎明編」
「愛されてますかお父さん」
1991年「三十六人の乗客」
1992年「十津川警部シリーズ」
1992年「松本清張サスペンス 黒い画集・証言」
「流れてやまず 長流不息」
1992~2016年「タクシードライバーの推理日誌シリーズ」
「十津川警部シリーズ」より。伊東四朗さん(左)と渡瀬さん(右)。
1993年 NHK大河ドラマ「炎立つ」
1994年「大忠臣蔵」
「ボクの就職」
「男はいらない」
「私は貝になりたい」
「ボクの就職」より。伊東四朗さん(左)と渡瀬さん(右)。
1995年「侠客 幡随院長兵衛」
1996年「出世と左遷」
「たにんどんぶり」
「事件・市民の判決」
1997年「卒業写真」
「黄昏流星群 -恋をもう一度-」
1998年「松本清張七回忌特別企画・熱い絹」
1999年「猟犬探偵・竜門卓 セント・メリーのリボン」
「山村美紗サスペンス 名探偵キャサリン」 第7作
「苦い夜」
「旅立つ人と」
「苦い夜」より。
2001年「バブル」
「てのひらの闇」
「十手人」
「京都迷宮案内第3シリーズ」 最終話
2001~2015年「世直し公務員 ザ・公証人シリーズ」
2001~2009年「北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼シリーズ」
「世直し公務員 ザ・公証人シリーズ」より。渡瀬さん(左)と岩城滉一さん(右)。
2002年「長崎で消えた女」
「松本清張没後10年記念企画・黒の奔流」
2002~2016年「おみやさんシリーズ」
2003年「湯けむり殺人案内 なんにも専務の名推理」
2003年 NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」
「湯けむり殺人案内 なんにも専務の名推理」より。渡瀬さんと美保純さん。
2004年「捜査一課長・神崎省吾」
「つぐない」
2005年「警部補・鳴沢了〜破弾〜」
2005年「警視庁捜査一課強行犯七係」
「獄窓記」
「虚貌 強盗放火殺人犯の消された15年」
「つぐない」より。(左から)渡瀬さん、ガッツ石松さん、大滝秀治さん。
2006年「食い道楽!出張料理人 亀崎源一」
「時代屋の女房」
2006~2017年 「警視庁捜査一課9係シリーズ」
2007年 NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」
2007年「半落ち」
2008年「天と地と」
2010年「やまない雨はない」
「内田康夫ミステリー 湯布院殺人事件」
「ちりとてちん」より。
2011年「南極大陸」
「帰郷」
2011~2014年「SP〜警視庁警護課シリーズ」
2011~2012年「医師・円城寺修シリーズ」
2012年「京都地検の女」 第8シリーズ 第1話
「帰郷」より。渡哲也さん(左)と渡瀬さん(右)。
2013年「よその歌 わたしの唄」
2014年「更生人・土門恭介の再犯ファイル〜罪を犯した女たち〜」
「おやじの背中」 第4話
2017年「判事失格!?弁護士夏目連太郎の逆転捜査」
「アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」※遺作
「そして誰もいなくなった」より。
ほか、非常に多くの作品に出演されています。
「おみやさん」
ちなみに、渡瀬さんは、2002年~2017年、京都鴨川東署資料課長の「おみやさん」こと鳥居勘三郎が、過去の資料をもとに難事件を解決していく、刑事ドラマ「おみやさん」シリーズで、主役のおみやさんを演じられているのですが、
「おみやさん」より。
放送開始から10年目の2011年には、
見ている方が支持してくださってる最大の証明ですから、とてもうれしくありがたく思います
と、感謝を述べつつ、
(自らが長く演じている「十津川警部シリーズ」と比較して)十津川は相手の反応は関係なく、直球を投げる。おみやさんは相手とのやりとりの中でカーブを投げられるんですね。優しいんだと思います。
と、超ロングランヒットとなった「おみやさん」の魅力を分析されています。
京都への愛
また、このドラマは、渡瀬さんがデビューした「東映京都撮影所」で制作されており、スタート当初から、作品の舞台も撮影もすべて京都だったことから、和傘職人や桜守といった京都らしさを描いているところも見どころとなっているのですが、
京都をよく知る渡瀬さんは、台本に、「ベージュ色」と書かれているところを、「亜麻色」と言い換えるなど、セリフの細部にまで気を配り、京都らしさを意識されていたそうで、
京都は何年たっても発見の多い場所。京都の町並みや伝統美を楽しんでほしい。
と、「おみやさん」の推理だけではなく、京都らしさも楽しんでほしいとおっしゃっていました。
橋田賞
そんな渡瀬さんは、「おみやさん」の主演が認められ、2012年には、「第20回橋田賞」を受賞されているのですが、
褒められるとすごく元気が良くなります。僕は人が褒めるのが下手で、家でも仕事場でも人を褒めない。たまに褒めるのは犬だけ。これからは褒めるようにしたい。
と、喜びを語っておられました♪
さて、いかがでしたでしょうか。
渡瀬さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 幼少期はガキ大将
- 文武両道でモテモテ
- 電通PRセンターに就職
- 「電通PRセンター」就職1ヶ月で「ジャパーク」に転職
- 岡田茂にスカウトされて「東映」に入社
- 「殺し屋人別帳」の主演で俳優デビュー
- 当初はひどい演技だった?
- 東映のバックアップで現代的なアクションスターに
- デビュー当時からやんちゃで別格扱いだった
- 「狂った野獣」では自らバスを横転
- 「暴走パニック大激突」では自ら対向車に激突
- 「北陸代理戦争」ではジープの下敷きになり大ケガ
- アクションに活路を見出していた
- 狂暴性とイノセンスで高い評価
- 安岡力也を半殺しに
- 岩城滉一と舘ひろしをボコボコにして川に放り込む
- 先輩・菅原文太を一喝
- 芸能界のドン・若山富三郎も何も言えなかった
- 元ボクシング世界王者・ガッツ石松も一目置いていた
- ケンカを目撃した梅宮辰夫の証言
- 「ピラニア軍団」志賀勝と友人・江藤潤も証言
- 大原麗子と格差結婚
- 大原麗子とラブラブだった
- 嫁姑問題と別居生活
- すれ違いの日々が続き離婚
- 離婚理由は?
- 嫁姑関係がより悪化していた
- 渡瀬恒彦は離婚後も大原麗子を気にかけていた
- 7回忌の法要にはじめて参列
- 大原麗子も渡瀬恒彦に対して変わらぬ想い
- 胆のうガンが発覚するも手術はせず
- 滑舌が悪くなっていた
- 「警視庁捜査一課9係」に対する強い想い
- 健康管理を徹底していた
- 本人のコメント
- 余命1年と宣告されていた
- 前向きに闘病するも体調が悪化
- 遺作「そして誰もいなくなった」は酸素吸入器をつけながら撮影
- 最後まで「警視庁捜査一課9係」に情熱
- 「警視庁捜査一課9係」の取材会には現れるも・・・
- 死因は胆のうガンによる多臓器不全
- 兄・渡哲也のコメント
- 密葬
- 遺作「そして誰もいなくなった」では自身を重ねていた
- 兄は渡哲也
- 兄弟仲は?
- 渡瀬恒彦と渡哲也の兄弟共演は3度だけ
- 当初3度目の共演は渡哲也に断られていた
- 兄・渡哲也との深い絆
- 現在の妻は?
- 妻と二人でウォーキング
- 子煩悩だった
- 子供は息子1人と娘1人
- 薬丸裕英が息子・渡瀬暁彦をイビっていた?
- 出演作品(映画)
- 「ピラニア軍団」の発起人
- 「ピラニア軍団」の兄貴分
- 面倒見が良く慕われていた
- 出演作品(テレビドラマ)
- 「おみやさん」
- 京都への愛
- 橋田賞
について、まとめてみました。
初めての現場に入った時には、まず、スタッフ全員の名前を覚えたという渡瀬さん。
「ADさん!」と呼ばれるよりは、「○○さん!」と呼ばれた方が気持ち良いだろうし、良い仕事してくれるだろうということなのですが、「ケンカ最強伝説」がある一方で、こういったことを亡くなるまで貫かれたという渡瀬さんは、まさに「男の中の男」。
近年よく見かける、表面だけカッコをつけている男子には、ぜひ見習ってほしいものです♪
「渡瀬恒彦の幼少期はガキ大将!中高時代も文武両道でモテモテだった!」