帰国後、1970年、「劇団四季」のミュージカル「アプローズ」が大ヒットとなり、一躍脚光を浴びた、木の実ナナ(きのみ なな)さんは、その後、ミュージカル女優としてさらなる飛躍を遂げ、さらには、歌手としても大ヒットを飛ばします。

「木の実ナナが若い頃は劇団四季の「アプローズ」で一躍脚光を浴びていた!」からの続き

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「ショーガール」で舞台女優としての地位を確立

1973年、「劇団四季」のミュージカル「アプローズ」で一躍脚光を浴びた木の実さんは、翌年の1974年には、細川俊之さんとの二人芝居「ショーガール」に出演すると、この舞台での演技が高く評価され、

1975年には「芸術選奨新人賞」
1976年には「紀伊國屋演劇賞」

を受賞するなど、舞台女優としての地位を確立。

(このミュージカルは、以降1988年まで上演され、観客動員数60万人を超す大ヒットを記録しています)


「ショーガール」より。木の実さんと細川さん。

木の実さんは、この「ショーガール」について、

母の影響で、子どものころからミュージカル好き。15年間続いたミュージカル「ショーガール」は、脚本、演出、音楽、出演者すべて日本人だけでオリジナルを作った初めてのミュージカル。事務所の社長が木の実ナナのために、男と女の物語を作ってみようと企画してくれたんです。

でも男性役の候補がなかなか見つからなくて。歌とお芝居はできても踊りは尻込みしちゃう俳優さんが多かったんです。そんなときに細川俊之さんが、踊りは本格的にやったことはないけど、トライしてみようかなと言ってくれて。

初演が28歳のときでした。ちょうどお客さまが日本人オリジナルの舞台を待ち望んでくださっていた時期だったと思います。日本人ならではの男と女の会話もふんだんに入れて。毎年違う脚本で、2人芝居は変わらず。

細川さんとは、「おはようございます」「おつかれさまです」以外は言葉を交わさず、食事に行くこともない。舞台の上だけが恋人。だから余計に、舞台で純粋に恋心を持って演じられる。あうんの呼吸で分かり合えていたと思います。

と、明かされています。

「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」では西田敏行と武田鉄矢と共にコントも

また、木の実さんは、1978年には、バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」にも出演され、まだ駆け出しの俳優だった西田敏行さんと武田鉄矢さんがレギュラーとともにコントを披露するなど、新境地を開拓されています。

ちなみに、この「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は、当初、人気絶頂だったアイドルグループ「キャンディーズ」を中心に、伊東四朗さんと小松政夫さんのコントがメインのバラエティ番組として制作されたのですが、

1978年、「キャンディーズ」が解散し、降板したことで、「キャンディーズ」とともに、コントの箸休めとして出演していた加山雄三さんも降板することとなり、その加山さんの代わりに木の実さんが起用されたそうです。

ただ、番組はというと、視聴率が芳しくなかったのか、1979年3月で放送が終了しています。

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五木ひろしとのデュエット曲「居酒屋」が大ヒット

さらに、木の実さんは、歌手としても、「おまえさん」(1976)、「うぬぼれワルツ」(1979)などがヒットしているのですが、

1982年には、五木ひろしさんとのデュエット曲「居酒屋」が、20万枚の大ヒットを記録。

この曲は、カラオケのデュエットソングの定番となるほどの人気を博し、木の実さんは、女優としてだけではなく、歌手としても大成功を収めたのでした。

「木の実ナナのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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